見出し画像

【鬼語りエッセイ】とあるがっこうの先生の1週間日記③-怒ってばっかりだった去年のクラス-

10月23日(月)
あわてて退勤して、帰宅してすぐ寝ちゃったので書けなかった!!

10月24日(火)
・そろそろ文化祭シーズン。今は、最終学年なので関係ないですが、なんというか校内全体が少しテンションが高くて、浮ついているような、そんな雰囲気になります。そういえば、去年の今頃を思い出してみる。今年は持ち上がりなので、担任クラスのメンバーは去年も同じ。去年の今頃は、クラスの子達は文化祭の準備や、文化祭委員の仕事に身を入れるのはいいのだけど、全然みんな勉強してなくて(部活に行事に忙しくて、最低限しかできてなかったんだと思う。だけど、志望校として書いてくるところはみんな高くて、どうしようって思ってた。)ほんっとうに毎日イライラして怒ってばっかりだった。少しでも明るい気持ちで授業を始めようとするけど、途中で、居眠りをはじめる、とか予習をやってないだとか、そういうのが目について、授業自体のテンションが下がる。加えて、自分もなかなか授業準備に時間が割けなくて、思い通りの授業ができなくて、自分に対して腹立たしいところもあった。補習も、本当にだるい、受けたくないって顔をされる。(こっちだって補習なんてやりたくないよ!!!!!!補習なしで、いい成績とってくれよ!って思ってた。)本当に、自分の授業の時間にも、ホームルームで小テストの結果を発表するときにも、イライラしてばっかりだった。面談でも、今思うと必要以上に生徒を詰めてしまうこともあったと思う。(大反省)だけど、文化祭が終わって、寒くなってきて、模試も増えてきて、判定もリアルに出る。だんだんと、雰囲気が変わってくる。それで、たぶん、年明け前くらいからかな?少しずつみんなが、前よりも「受験に対して不安…」って感じの顔をしはじめてきて、とにかくこのみんなの感覚をマイナスじゃなくてプラスに変えなきゃって思った。だから、担任として怒ってばっかりじゃなくて、ホームルームや授業では「今日やるべきことを具体的に伝える」話し方に切り替えた。感情的に話しても、不安を煽るだけだなって思った。だから、今日帰ったら、〇〇の復習をしようね、今日は〇〇の小テストの勉強をしようね、そういえば模試が近いからこないだ、〇〇やばかった人はこれをやろうね、みたいに具体的に伝えるようにした。あとは、模試や定期試験、あとは小テストでも成績が良かった子達のことは、徹底的に褒め称えるようにした。(たぶんこれは、よくない面もあるのだと思う。)だけど、もはや洗脳でもいいので、小テストで満点=模試も伸びる=志望校に受かる、みたいな構図を徹底的に刷り込んだ。これがどれだけ功を奏したかはわからないですが、周りのクラスよりもちょっとだけ早めに、全員の意識が受験の方に向いた、ような気がします。だけど、その代わりに面談では、弱気な発言や不安の吐露が増えた。泣き出す子もいた。それをケアすることも、担任の仕事だって思って、今もとにかく聞いて、声をかけてる。
・2年前に担任した子と、よくお笑いの話で盛り上がる。今年のキングオブコントは、誰が面白かったですか?って。わたしは、圧倒的に隣人、のお2人のコントが好きでした!
・最近、けみおの動画にハマってます。こないだ、親友のマイルズ(アメリカ出身)と一緒に日本に帰っている動画があって、本当に癒されています。

これ。
親友をはじめて日本に連れてきて、新鮮な驚きを目にしたり、リアルに喧嘩したり(笑)、だけど大切な関係って感じで、友情っていいなって。あと、けみおさんがしゃべっている英語が、簡単な表現で聞き取りやすくて、すごく勉強になる。

10月25日(水)
・英文科を志望している生徒がいる。入試で面接があるらしく、自分が英文科だったこともあり、読むべき本を教えてください、と言われたら。「アメリカ文学」とか、「イギリス文学」という学問の概観としておすすめなのは、入門書でいくつかあるのだけど、作品のおすすめを教えて欲しいと言われた。なぜか、ふと思いついたのは近代イギリス文学作品の1つである、オスカーワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』である。主人公の美青年ドリアン・グレイは、自分の肖像画を描いてもらうと、肖像画の方が歳をとり、自分は永遠に若いままならいいのに、と願う。それ以来、不思議なことに肖像画の方が醜くなり、ドリアン自身は歳を取らず、そして純情だった彼は次第に不品行な行いを重ねる。周囲から肖像画の秘密が暴かれるのを恐れながらも倫理観を欠いた行いを続け、彼に恨みをもった人間から、復讐と秘密の暴露をされる危機が訪れる、というお話。オスカーワイルドの作品は度々彼のセクシュアリティや人生の結末(かなり悲劇的なのだけれど)と、結びつけて論じられるのだが、普通に読書として展開が面白い。「秘密を抱えた人の末路」という物語の仕組み自体が、サスペンス作品もそうだけれど、この先どうなるのか、惹きつけられる。日常が、仕事に忙殺されているのだけれど、文学作品を味わってわくわくする気持ちをまた取り戻したい…。
・仕事がかなり追い込まれている。やることたくさんで、つらい…!

10月26日(木)
・今日は仕事で、自分のミスが発覚して、少し動揺(ちなみにいうと、まだ解決はしていない。)している。なんとかしなくちゃ。でもまあ、実りの少ない3年間の経験で、どんな大きなミスでも焦って行動するとよくないということは分かっているので、とりあえずは落ち着いて対処していこうと思う。
・クラスの子の推薦書をたくさんたくさん書いている。人のいいところを見つけるのは、3年間で少しだけ得意になったし、もともと文章を書くこと自体が好きだから、あまり苦労はしていない。だけど、大学(文科省なのかな?統一の基準なのか、そのへんわかってないや。)が評価軸を決めてくる。例えば、「多様な人々と協同して、主体的に学習できたか」とか。なんだろう、拡大解釈すればそういう経験は誰にでもあるのかもしれないのだけど、だけど文字通り解釈した時、そんな経験って結構稀じゃないか…??まあ、クラスのみんなが人それぞれ違う、っていう解釈ならそもそも学校にいるだけで、多様な人と協同はしてるんだけど…とか。枠組みの定められた中で、人のいいところを見つける。ここまでの範囲の中で、褒めてください!ってそれは、確かに学校のシステムってそうだし、大学が学生を評価する時だってそれが原則なんだと思う。だけど、なんでもいいよ!この子のこと褒めて!って、白い枠だけ用意してくる大学の方が、型破りで自由さを感じる。
・なんか!!!
同期が!ツンデレで尊い!ツンデレな同期は大切にしよう。(詳細は少しみっともないので、省きます。ツンデレな人が好きです。ギャップが好きです。)

10月27日(金)
・昨日のミスは、管理職の人たちがカバーに動いてくれてなんとかなった。ミスが起きた経緯も、まあ、仕方ないよねこれは…という感じだった。うん…そうなんだ、仕方ないんだよ。仕方ない。学校は、不可避的なミス、というのが頻発するのだと思う。いや、ミスって言ってるからもちろんわたしも不注意はあったのだけど、だけど、生徒への伝わり方が違った、とかイレギュラーな動きがあってそれを把握していなかったとか(わたしが今回してしまったミスはこの2つ両方に当てはまる)。色んなことが同時多発的に起こっていて、トラブルやイレギュラーが多くて、仕組みが複雑で、だけど決まったことを伝えても、伝え方がよくないと相手に伝わらない。そういう、綱渡りみたいな業務を日々やってる。へとへとになる。
・今日は文化祭の準備の日だった。自学年は出し物はないので、部活の動きがメインだった。残りの時間は推薦書を書いたり、授業準備をしたり。体も頭もへとへとです。だけど、高校生の輝きってすごいな。ほとんど忙し過ぎて部活を観られてなかったにも関わらず、ちゃんと出し物が完成する。普段は、課題だの小テストだのに追われて、文句言いながらもちゃんと勉強して、部活もクラスの出し物も協力して発案したり企画したりして、時には喧嘩をしながらもまあまあのクオリティに持っていって、委員会なんかを兼務してる子もいて、かとおもえば有志で出るカラオケ大会やダンス大会、研究発表をやる子なんかもいて、それでいてみんな、一応具体的な進路目標も持ってるんでしょ????すごすぎない?それ。わたしは、ど田舎の進学校、それも、進学校の闇を全て凝縮したような学校にいたので(勉強さえできればいい、大学さえ受かればいい、生徒指導は二の次、教員と生徒とのコミュニケーションも少ない、部活は行事は最低限で小規模かつ完全放置、何をおいても勉強が最優先)健全な主体性とか、学校に対して反感があっても対話しようという気持ちとか、だけど学校が好きでそれを良くしたいとか、自分が輝ける場にしたいとかそういう気持ちもなかったし、そしてそういう気持ちを持ってる生徒もすごく少なかったと思うんだ。今は多少違ってるのかもしれないけど、だけど今の勤務校に勤めて、本来の高校生の意欲とか主体性に向き合うことができて、幸せだと思う。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?