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憧憬とバイアスのあいだ

 なんとなく考え事をしていて、憧憬とバイアスとはちょっと切り分けが難しいというか、地続きだなと思ったので。

 ある帰国子女の友人は、自分が帰国子女だということをあまり言いたがらなかった。バイト仲間の飲み会でその話題が出たときに、どこに居たのかと尋ねると、すこしだけ間があってから教えてくれた。
 ちょうど少し前にその国に行ったこともあり、私の脳内にはただちに異国で歩き回った街路の地図が4次元でロードされ、暑くて湿気が多くてくらくらした夏の日のような気分で、興奮して彼女にもっといろいろ質問した覚えがある。
 それまでの人生でそんな話など散々されていたかもしれないが、彼女は喜んで話に付き合ってくれた。

 その時に彼女は「帰国子女だというとみんな欧米を想像して、東南アジアの国だと微妙な反応をされるからあまり積極的に教えない」というようなことを言っていた。

 微妙な反応というのは、これは主に私の推測になるのだけれど、「自分のよく知っている国じゃない」「良いイメージが無い」というところから来るのだと思う。逆に「知っている」「良いイメージがある」「憧れている」国であれば話は広がるわけだ。

 子供のころから、本や映画やテレビやらで知った外国になんとなく憧れを持っているのはわたしだけではないと思う。そのまま大人になったのもわたしだけではないはずだ。
 高校生くらいのときはなんとなくイギリスに恋していた。英文学をよく読んでいたのもあるし、音楽も好きだったし、雑誌のストリートスナップもロンドンが一番おしゃれだと感じていた。
 大学生になり、迷走が始まってろくに講義にも出ずにいたのだが、学生証を見せると東京国立博物館に無料で入れることに気が付いた私は、足繁く博物館に通った。そのうちにシルクロードを逆にたどってインドや遠くのアジアに興味を持った。
 20代半ばころからはスペインに行きたくて行きたくて、…

 他にもあちこち行ってみたい場所がたくさんあったし、外国で暮らしてみたいという希望をもっていた。留学も、ワーホリもできないまま人生を過ごしてしまったが、今でもそれは憧憬に似た気持ちがある。外国で暮らした人の、自分にはない経験にも憧れがある。

 冒頭の話題に戻ると、そういう憧れをたぶん多くの人が持っていて、ただその情報がどこから入ってきたかにもよると思うのだけど、自分も含めて大多数の人が意図せず持っているバイアスがある。
 世間には情報が溢れかえっていて、ただ座って口をあけて待っていても溺れそうなほど入ってくる。ただしそれらが意識に残すイメージはどこか偏っていないか。ヨーロッパはおしゃれで芸術的、アメリカは金持ちで技術が進んでる、アジアの国々は日本より遅れてる、中東は戦争、アフリカは貧しい、といったイメージはありがちだ。
 インターネットの普及などにより個人旅行がしやすくなって、旅行先は今では多岐にわたり、ガイドブックは多様な地域のものがある。それでも意識していないと、ただ観光に行っただけではそのバイアスの外側はなかなか見えない。

 たまたま行ったことがあったし興味があったけれど、そうじゃない国だったら、わたしも”微妙な反応”をしたのだろうか。
 少し質問して、つまらなそうな顔を笑顔で覆い隠し(たつもりになっ)て、「へぇ~そうなんだ~」。何かほかの話題を探しながら。わたしは嫌いな返答なので使わないが、「なーんだ」と言う人もいるかもしれない。

 良いイメージのある、憧れの場所。そのイメージも、微妙な反応になる元の悪いイメージも、あるいは知らないという事実さえも、どちらも自分が意識して得た/無意識に入ってきた情報から構成されている。
 今日までに食べたものが明日からの自分の身体を作る、それと同様に今までに得た情報が自分の考え方を構成していて、偏った情報だけで構成された考えは他の要素が色々と足りていない。食事だったら子供のころから栄養指導がされるけれど、情報はそれがないので、まず自分の得てきたものが偏っている可能性があることを意識しないとならない。

 実際に行ってみれば違う点もたくさんあって、住んでみないと判らないことは遥かにたくさんあるだろう。本を読んで知ることも多い。それに今はインターネットがあって家からでもリアルタイムな情報を調べられるのだけど、それだって興味が無いとやらないはずだ。一日は24時間しかないし、生きていくのに必要なことや、他のやりたいこともたくさんある。
 知らなければ興味を持つ機会もない。とはいえ、知らない、興味が無い、よいイメージが無いものは則ちつまらないのか?食べたことのないものには興味が無い?

 結論は特にない。ただ頭のなかでこねくり回していたことを整理したかったメモ。

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