『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』

 もし私がこの本を紹介されて読んだのでなかったら、最初の数ページで投げ出していただろう。予備知識がない状態で最初の数ページを読もうとすると、すんなり頭に入ってこない。冒頭の段落だけでも、麦戸ちゃん、七森、白城、と3人登場する。七森は彼女がいるので男、という推測ができるが、彼女がここに登場している麦戸ちゃんなのか、白城なのか、ここにいないのか、すぐに判別できなかった。
 頭のほうで登場する人物が多すぎる。ただ、いくらか読み進めたあと戻ってくれば、問題なく読めてしまう。

 純文学に読みやすさは、さほど求められない。文章がうまい、とは思わない。
 「」内のセリフが、である調の地の文のような、奇妙な文体になっている箇所がある。出版社の見落としなのか、地の文のように読ませたくてわざとそうしているのか。個人的には、違和感のほうが強かった。

以下、ネタバレ要素が含まれます。





 表題の作品は男性がメインのキャラクターになっている。冒頭の何ページかを除けば、一応、問題なく読める。ちょっと弱いキャラクターだな、という印象を受けるが、こういう人はいる、と感じる。好き嫌いは別として。

 読みながら、高校の部活のメンバーを思い出した。2人で座って、「私たち、お人好しだよね」と言っていたのだが、どこか周囲に対して不満や苛立ちを抱えているような、そんな印象を受けていた。
 2人だけではない。卒業間際になってから、「居場所がない」と言っている人がいた。私は彼女のその感覚にさえ、気づいていなかった。なじんでいるように見えたのに、なぜそう感じているのかが謎だった。もっとも、常に恋愛ネタや純粋さでいじられていた私は、なじむ、ということがあまりなかったので、「なじんでしまう」「没個性」という問題である、と考えれば、わからなくもない。
 ここに登場するキャラクターも、どちらかというと、自分で勝手に傷ついて、周囲に不満を抱えているような感じがする。繊細さん、という見方ができないわけではないが、自分で問題を解決する意思が弱いのかもしれない。

 生きづらさはあると思う。ただ、自分で生きづらくしている、という面もある。
 周囲に気遣って、傷つけないように、傷つけないように、と気を回してばかりいるから、不満が溜まる。そういう不満を感じ取れる人もいるけれど、本人は気遣っているだけのつもりなので、なかなか気づかない。
 日本人にはありがちな気もするが、こういう忖度みたいな風習は良くないな、と感じる。

 私も幼いころは、本来の自分を出せない場面があったと思う。ただ、私の場合は、明らかに周囲の反応がおかしかった。ニックネームでだれかの名前を呼んだだけなのに騒がれる、なんてこともあった。最近はどちらかというと、自分の主張が強いために問題を起こすことのほうが多いかもしれない。文化的にはクウォーター(ただしハーフ・クリスチャン)、というアイデンティティがあるので、少し感覚がずれているのかもしれない。

 気遣いはそれぞれだ。近くで見守る気遣いもあれば、話しかける気遣いもあるし、逆に離れる気遣いもある。相手による。相手を知らなければ、気遣うことさえ難しい。無駄に気遣えば気遣うほど、相手の感覚とずれていく。話をしないとわからない。
 気遣ったつもりがずれていて、相手に違和感を与え、思ったような反応が得られない。こういうことが積み重なれば積み重なるほど、自分と同じやり方で気遣わない他者を許容できなくなっていくのではないかと思う。

 これは男女でもありがちだ。問題を解決したい男性に、ただ共感してほしいだけの女性が語る。男性は問題解決を善意で提供しようとする。でも、女性は解決策など求めてはいない。これは本来、女性が女同士の集まりでやるべきことであって、男性に求めるべきことではないのだろう。男性は解決したい生きもので、女性は群れる生きものだ。動物も、メスは群れに残って生活を続けるケースが多い。
 頼ってほしい男性に、女性が頼らない。女性の気遣いかもしれないが、男としてはもの足りない。これも典型だが、こちらは素直に本能に従えばいいようだ。

 相手を知り、相手を尊重できない限り、本当の意味で優しくすることは難しい。相手が何を求めているのかわからなければ、良かれと思って行動しても、ありがた迷惑になりやすい。

 紹介されて読んだ、と書いたとおり、この本は二つの異なる経緯で紹介されていた。一つは私的な理由だが、もう一つはフェミニズムだ。

 男性のフェミニズムは難しい。女性が抱える問題は、男性にはなかなか理解できないと感じる。
 PMSなど知らない男性も多いし、心の問題は女性のほうが抱え込みやすい。もし女性の心を男性の身体に移したら、3日で気が狂う、という話もあった。そう聞けば、どれほど理解できないか、わかるかもしれない。
 女性の感情は嵐だ。脳が違うから、女性の「甘えたい」は男性のそれの3倍くらいの強さで現れると言われる。生理前になると、ホルモンのせいで意味不明な苛立ちなども生じる。1日の中でも気分が激動する、などなど。

 話の中にも登場するが、セクハラや痴漢の経験がない女性が、いったいどの程度いるだろう。都会人なら、まったく経験がない人のほうが少ないだろう。小学校高学年にもなれば、痴漢の対象になる。大学生になって初めて目撃する、なんて、むしろレアかもしれない。美人かどうかは関係ない。吐き気がするほど気持ち悪い経験をした人の話も、直接聞いたことがある。触っているかいないか、曖昧な程度の例もあるが、私自身は、かなりあからさまにされた経験もある。ショッキングなので、記憶には残ってしまう。
 ただ、地方では東京ほど被害がないのかもしれない。麦戸ちゃんは地方から来ているように見えるので、初めて見てショックを受けた、というところかもしれない。毎朝のように電車の中でされる人もいるくらいなので、自分がされたわけでもないのに引きこもるのは、少々弱すぎる気もするけれど。

 痴漢ではなくても、以前、接客中に手を握ってくる男がいたが、明らかに変なので男性に代わってもらうようにした。この手の侵害は、男性客が多い店で接客などしていれば、よくある問題かもしれない。

 声をかけられるだけなら、さほど問題はない。
 典型的なパターンとしては、名前を訊かれる、学校名などを訊かれる、親しげに声をかけられる、など。ヘタなケースでは、何の脈絡もなく、いきなり「プレゼントをあげようか」とわけのわからない話しかけ方をする。クリスマスでデートの待ち合わせ場所の近くだった。急いでるから、と断る。
 面倒なケースも、ないとはいわない。手を繋ごうとする人もいる。個人的に困ったのは、通学中に道を塞がれて「つき合ってよ」と迫られたときだ。さすがに身体の大きな不良に待ち伏せされると、怯む。
 ストーカーは一時的であっても、厄介だと感じる。

 もちろん、人によって経験はさまざまだし、感じ方もそれぞれ違うだろう。相手の男性が知り合いで、好みのタイプなら、多少のセクハラ行為はハラスメントにさえならないかもしれない。

 この種のリアルな話は少々、過激な感じもするが、フェミニストは男性を否定したいわけではない。存在するだけで迷惑、なんて勝手に思われても、逆に困惑する。
 個人的には、自分が男性であることを肯定している男性なら、男性性をきちんと発揮して、幸せに生きたほうがいいと思っている。

 社会が一般的な男性のスタイルに合っているのはどうも、事実らしい。だからといって、自己否定的な男性が増えるのは問題だ。むしろ、存分に幸せに生きてもらって、その分を優しさ・サポートで補ってもらえればいいと思う。


 収録された話は4篇ある。フェミニズムのテーマは、『バスタオルの映像』にも見られる。
 「男性も女性も殴るから、それはフェミニズム」というボケと、このコントに異議を唱える主人公の話だ。

 男女の身体は違う。もちろん、脳も違う。
 多少、何らかの障害などで、機能的にも中間的な人は存在するかもしれないが、ホルモンの性質は違う。同じように扱えば平等になる、という話ではない。
 公平はあっても、世の中に平等は存在しないと思っている。だから、本当は男女平等、という言葉はおかしい。「男女公平」であるべきだ。平等、という言葉で表現しようとするから、こういう問題が起きる。

 女性の心身には不調も多く、生理が始まれば、むしろ不調がない人のほうが少ないくらいだろう。ただ、我慢してしまう人が少なくない。痛みに強く、我慢できてしまうのは女性のほうだから。
 個人差はあるので、必ずしも全員が我慢しているとは限らない。更年期を過ぎると楽になる、という話も聞く。
 薬などで生理を止め、不調を緩和する方法はあるらしい。ただ、「それを当たり前にして仕事をさせようとしている、結局どこまでも女を利用したいだけ」と主張した女性もいた。

 筋力は男性のほうがあるのが普通で、女性はやはり男性に勝てないと感じる。相手が鍛えている男性であれば、何をどうやっても越えられない。
 大人の男性に殴られるのは、女性にとっては抗えない恐怖になる。その恐怖は植えつけられることはあっても、完全に消え去ることはない。たとえ教育のつもりであっても、女性側はそのようには受け取らない。ただ反感を覚えるだけ、もしくは男性恐怖に陥るだけだ。男の子なら、いつか超えてやる、早く大人になりたい、があるかもしれないが。

 たとえば、犬や猫を殴る人はあまりいないと思う。そういう感覚で、別の生きものだと認識して接したほうが、間違いは少ないかもしれない。
 それでも女性は人間として、自己成長も貢献も求めるから、難しく感じるのかもしれないけれど。


 2篇目はフェイクニュースを書く妹がいなくなって、それでも妹が帰ってくると信じたい姉が結婚することになり、シェアハウスをどうするか、という話。最後の1篇は断崖絶壁の家と、みえない友だちのファンタジーだった。

 生きにくさを抱えている人物が登場する、という点が共通しているが、その中のテーマはそれぞれらしい。

 情報が混乱する社会で、その原因を意図的につくる立場にいる人物。お金は入るかもしれないが、あまり気持ちのいい仕事ではなさそうだ。あとで旅をしているらしいことはわかるが、妹の旅の目的は、わからないままだ。だれかといっしょにいるかもしれないし、単独かもしれない。

 断崖絶壁に建つ家、には現実感がない。空中庭園、というわけではないと思う。ギリギリでバランスを保つ家庭、という感じだろうか。
 親には見えない友だち。主人公はその存在を感じ取っている。幽霊的な印象はなく、どちらかというと宇宙人設定のような印象を受けた。

 生きにくいと感じるなら、逃げてもいい。後者の逃げ方は非現実的だけれど、小説にはファンタジーやユーモアもあっていい。


 

 

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