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育児中の母は、子どものことで「24時間セコム」状態という、周りからは見えない事実。

「イクメン」という言葉が嫌いだ。

おむつ変え、食事作り、送迎、目に見える育児を手伝えば「イクメン」という輝かしい称号を手に入れられるが、

送迎ひとつとっても、「送迎」するだけではなく、そのための準備、着替え、宿題、出かける時間から逆算した食事の支度、など、その「お膳立て」がメインで、そちらに使うエネルギーの量がハンパない。

だいたいの場合、その「お膳立て」部分は、母親の仕事だ。

子育てって、そういう、目に見えない部分が多すぎる

そもそも「育児」に使う時間って、
その「目に見えない調整」がメインじゃないかと思う。

オムツを変えた、送迎をした。
だから「子育てやっている」と胸を張られても困るのだ。

子育て中の母は、家にいても「ヒマ」ではない


わたしを含め、多くの主婦が旦那さんに言われて激震が走ったであろう言葉に、育児中「家にいるんだから暇なんだろ」発言だ。

おそらくそういうことを言う男性には想像もつかないと思うが、母は、24時間セコム状態で子どもの状態をセンサーで感知している。常にセンサーが「ON」の状態だ。

子どものメンタルがヤバそうなときはかなりのエネルギーを使って注視するし、大丈夫なときは放置するが、常に息子のことは頭の片隅にある。

私が気がつきすぎることと、息子がマイペースで繊細で気難しくて手がかかるから尚更なのかもしれないが、体力も気力もめちゃめちゃ持っていかれる。

日々起こることはその都度、最適解は考えるけど最適解かどうかわからなくても精一杯対処。

自分の中の体力とか気力とか、1番大変な時ではマックス80%から持っていかれる。

子どもが生まれた瞬間から、母の24時間セコムが発動する


子どもが生まれた瞬間から、母のセコムスイッチは入りっぱなしだ。14年経った今も入りっぱなしなので、いつスイッチを切ることが出来るかはまだ分からない。

生まれた瞬間からセコムスイッチが入って、赤ん坊のころは、自分のお腹から出てきた得体の知れない生き物を生かしておくのに必死。だって、ほっといたら死んじゃうんだもん。たまごっちとはワケが違うのだ。

少し成長したら、食べ物の栄養だったり、好き嫌いだったり、成長の速度だったり、社交性だったり、いうこと聞かなかったり、悩みながらも手を替え品を替え試行錯誤して奮闘する。

小学校に入れば、お友達とのトラブルや、学校行き渋りだったり、習い事に行くだの行かないだの、続けるだの続けないだの。

習い事だって、送迎だけなら簡単だが、そこに至るまでの準備やタイムマネージメント、行くなら何時までにご飯を食べさせなくてはいけない時間
頭の中で爆速で計算しながら、送迎のお膳立てをするのは母の仕事。

何かあったら、その期間中ずっと、母のセコムのアラームはなり続ける。今日はお友達とのトラブル大丈夫だったかな、とか、風邪気味なら、具合大丈夫かな、とか、朝送り出して、夕方帰ってくるまで、仕事をしていても頭の片隅にある。

不機嫌で送り出して、上機嫌で帰ってくればホッとするし、上機嫌で登校しても、つまらなそうな顔で帰ってくると途端に心配になる。

この愛に溢れすぎているわたしは、息子に振り回されっぱなしだ。

息子は14歳になってだいぶ手はかからなくなったものの、相変わらず私っ子なので、休みの日もわたしに10分に一回は話しかけてくるし、わたしをメイドか何かと間違えているようで、すぐ「腹減った」とか言ってくるし、わたしがひとりでボーっとする、という時間を確保するのはかなり難しい。

こんなセコム警報まみれの生活を分からずに、その「行為だけ」手伝ってやった気になられると、そりゃあ気分は悪い。

父親はその分頑張って稼いでくれているし、役割分担な面もあるので、それはそれである程度納得はしていても、この計り知れないメンタルの削られ方は、経験した者しか分からないと思う。

自分の子なのに、勉強しなさ過ぎてビビる

高学年になれば、勉強のあれこれが悩みに入ってくる。勉強しなさいって言ってするなら苦労はしない。ごくまれに何も言わなくても勝手にやる子はいるが、たいがいの子は、勉強なんて面倒くさいという感じなのではないだろうか。

うちの息子は、幸か不幸かわたしにそっくりで「納得いかないことはテコでも動かない」タイプなので、ただ「勉強しなさい」では逆効果。恐竜だの深海魚だの、UMAだの教科書の範囲を上手に外して深掘りしてくる。

わたしはもともと勝気な性格だったので、誰にも言われなくても「点数取ったらぁ、天下取ったらぁ」で学校の成績が良かった。

わたしの母も放置プレイだったので、勉強しなさいなんて一度も言わなかったし、わたしも好奇心旺盛だったので言われなくても勝手に習い事を見つけてきては体験授業に行き、勉強も勝手にして成績が良かった。

なので、母はよく「どうやったらあんなに勉強ができるの?どんな教育をしているの?」と聞かれたそうだ。

そして「何もしていない」と素で答えて、たぶん周りのママさんには疎まれていたと思うが、事実、わたしに関しては、ほんとうに母親はノータッチだった。

そうやって、ほっといても勝手に勉強する子というのもいるものだ。それが私。(笑)

そんなわたしだから、マイペースで競争意識がゼロで全然勉強しない息子を見て、ほんとにビックリした。

勉強しなさいと言われたことがないので寂しかったが、勉強しなさいと1時間に100回言っても勉強しない子を見て、信じられないし、いまも定期テストの時間割を把握せずにノー勉で登校する息子がマジで信じられない。

わたしにとってのUMAは息子だ。

小学校高学年で引き算ができないことに気づき、これは公立に入れたら高校受験がマズイと焦って丸投げ塾に突っ込んだ。

動物のような精神年齢の低い息子たちを上手にまとめあげる塾の先生との出会いと、なぜか引っ込み思案の息子は塾が大好きになり、監禁ブラックと呼ばれる塾に通って、いちばん下のクラスでトップになり、中堅私立の一貫中学に突っ込んだのだが、中学に入ったら当然勉強はせず、ゴロゴロと転げ落ちて、また下から数えたほうが早いという地位を中2にしてゲットしてしまった。

今日は今日とて、またもセコム発動

そして今日、また息子からの電話でセコムが発動した。

先週から定期テストで、今日までテストだった。そして息子を朝送り出して、ひと息ついていると、息子から電話。途中駅からだ。昨日の休日は元気まんまんで、勉強は1分もせずにゲームをしまくり、深夜まで寝なかったのに、いざ今日は、喉が痛くて鼻水が出るからテストを休みたいとの連絡。

てゆうか昨日1日中ゲームしまくって何もせずに12時まで起きてて、テストを休みたいという神経がまず信じられない。

久々に自分の血管がブチブチと音を立てて切れた。

具合が悪いなら寝てればいいし、調子が悪いなら病院に連れて行って、とか、いろいろ策はあるのに

遊ぶだけ遊んで勉強1ミリもせず、学校に行く時だけ具合悪くなるって都合が良すぎはしないか。

今朝から急になったとか主張はしているし、わたしはわたしで息子の具合は心配だ。しかし、言ってることとやってることの筋が通らなすぎるから、ブチ切れが止まらず、いい加減にしろ!!!とどやす私。

ほんとにつらいんだよぉ・・・と電話で泣き出す息子。

具合が悪いのは心配だが、遊んでばっかりで何も準備しないから、学校休んでテストが0点でも気にならないんでしょっ、と思ったらもう怒りが止まらなくなり、自分が何をしゃべったのか思い出せないほどいろいろまくしたてた。

息子も、じゃあ行くよ!ってやけくそになって電話を切って、そのまま学校へ。

それはそれで心配になるのが母。

電話で、静かなテスト中に、自分の鼻水のズビズビ音が周りに迷惑をかけているのではないかと気になって、テストが受けられないと言うので、


でも、周りが静かなのに周囲が気になるのは分かるし、調子悪いのも心配になり、そのまま学校に電話し、経緯を話して、先生方に声掛けとケアをお願いして。

また学校に向かう息子に電話して、学校にちゃんとそういう話をしてるから大丈夫だから行ってきなさいと連絡して。

自分は都内の乳がんの定期健診に向かうのだけど、朝の8時半ですでに自分のHPをほぼ使い切って、朝からぐったりしてしまった。

不機嫌で出かけていった朝は一日中どうしてるかなと言うのが頭の片隅からずっと離れないし、電車が遅れて遅刻して行った日は、先生に叱られなかったかなとか無事着いたかなとか心配になるし、なんだかんだ心配になり、何事もなかったような顔して帰ってくる顔を見ると、「心配して損した」と思いつつ、元気そうなわが子の顔にホッとする。


手がかかる子と、かからない子


息子は小さいころから人見知り、場所見知りがひどく、散歩に連れ出すのも嫌がって大変だった。

かなり慎重で、知らないこと、新しいことが苦手で、不安が強い子だ。好き嫌いはハッキリしていて、やりたいことは意地でもやるし、やりたくないことにはテコでも動かない。

勉強はしない。「またまたぁ」と言われるが、本当にしない。本気でわかってくれるのは勉強しない仲間のママ友ひとりだけ。

全然手がかからない子もいるのにめっちゃ手がかかる子を授かって奮闘して、ママとよく話している。

自分で自覚が出る子はいいけど、マイペースでのんびりしてるこういう子はほっとくと置いてけぼりになってしまうし、手をかけないとほんとにヤバイと思う。

全然手がかからない子もいるのに、わたしはもしかして、前世で何か相当悪いことしたんじゃないかっていうくらい業が深いのか、手のかかる子を授かって、負担が大きくてクタクタである。


だからって子供を責めるって言うのはまた違うし、子供せめても卑屈になるだけで何もいいことはないから、目の前の子どもを必死で育てる。

こちらも試行錯誤しながら、最終的には独り立ち成長してもらうのが最終目標だから、なんやかんやありながらもできるだけ楽しく平和にやりたいと思っている。

独り立ちしてほしい気持ちはあれど、なんだかんだ言っても心配だ。可愛いからこそ、繊細で気難しいから下手に扱って不登校とかなってもこれはこれでまた大変だし、とりあえず普通に育って欲しいし、ちゃんとなってほしいと思って必死だし、叱咤激励したり、なだめすかしたり、必死である。

毎日試行錯誤すぎて他にいろいろやりたいことあるんだけどそこまで手が回らないくら必死だ。


だから、子育てってヒマそうでいいよな、なんて言われたら腹が立つし、理解されないって感じる。




繊細な息子と、前時代的な学校システムの狭間で


息子は好き嫌いがハッキリしていて個性的だが、空気は読めて、学校のような「集団行動すべき場所」では、集団行動に合わせている。合わせたくないのに合わせるから、疲れる。なので基本的に学校が嫌いな子だ。

いまの日本の学校、というか、教育の方向性について、前時代的な制度にも限界が来ていると思うし、不登校が悪いとか思わない。

だが、うちの子のような新しい刺激が嫌いな子が、不特定多数の人とのリアルな人との関わりを経験するチャンスは、中学生のいまのところ、学校に通うことでのみ担保される。その「さらされる」経験が必要だから、学校に行ったほうがいいと思って、だましだまし行かせている。

今やオンラインでも友達が出来るではないかという意見もあるかと思うが、息子を見ていた思ったのが「選べない不特定多数との関わり」は、ネット上では難しいということだ。

コロナ禍の休校時、リアルの知り合いとしかやらせていたなかったオンラインゲームを、知らない人ともやるようになった。

ツイッターで見つけた同じゲームをやっている人のサークルに入れてくれとお願いし、自分から入った。そこはオクテな息子にしては頑張ったと思うし、これはこれで勉強になったと思う。

だが、そのお付き合いをよく見ていると、良くも悪くも「いいとこどり」が出来てしまう関係だ。

嫌なときはケンカしてプツっとオフラインにすれば良し、気が向かなければそのパーティに参加しなければ良し。

わたしもFacebookやブログを使って起業をし、集客していたので、オンラインで知り合った方がたくさんいる。自分のニッチな趣味や指向に会う仲間が集まりやすいという点ではネット経由での出会いは貴重だ。

だが、世の中、自分が付き合いたい人とだけ付き合って一生を終えるわけではない。接客業をすればイヤなお客はくるし、会社の組織で働けば、気の合わない同僚や上司はいる。そんな人と付き合いたくないと自分で会社を興すなり、自営をしたとしても、やはり気に入らないことやうまくいかないことはあるものだ。

そういう「さらされる」経験を、若いうちにしておくというのは、とても大事だなと思う。心地よい経験も、もちろん大事だが、「心地悪い経験」こそ若いうちに味わっておくのが大事だなと思う。

嫌なことを避けつづけて大人になって、ちょっと嫌な上司に叱られてせっかく就いた仕事を辞めてしまう、などという話はよく聞くが、その「さらされた」経験が少ないせいなのかな?と推測する。

よく、何不自由なく育った子のことを「温室育ち」というが、まさに害虫や天候などにさらされることなく、耐性がないまま育ってしまうと、自然界(人間界)に出た瞬間にボキっと折れてしまうのではないかと思う。


男は気楽で良いよねと思う瞬間


こういう、例えば送迎ひとつとっても、90%位のそれに付随する調整はわたしがやっていて、そもそもその調整が発生していることに気づかない旦那さんは凄いと思う。

いつも昔は子育てに疲れたとか、思い通りにならないことがたくさんあって旦那に話すと

「だったら産まなきゃいいのに」とか

「母親だからそんなの当たり前」とか

墓場まで持っていっても消化しきれないほどのいろいろな言葉をかけられた。

人間は、その立場になってみないと事情なんて分からない。わたしだって旦那が家計を背負う重圧は体感として分からない。だからお互い様だと思うが、やはりこんなことが言えるのも、いかに母の「目に見えない育児」が大変かわかってないからだろう。

昔は、息子の将来を考えてくれない旦那に憤慨していたが、最近は中途半端に参加されるくらいなら、自分で自分のやりたいようにやれるのだから、自分が思うように育てようと思った。

息子がだいぶ大きくなって、悩みはまた別のところに焦点が置かれているが、余計な口を挟まれるとコトがおかしくなるので、旦那には相談ではなく報告と言う形をとって、わたしが決めることにした。

時代が変わったせいか、従来なら学校や社会が教えてくれるはずのことさえ、「ご家庭のしつけ」にゆだねられてしまうようになった。結局子どものあれこれは、なんでも母親が責任を取る羽目になる。


だったら責任もどうせ私が取るのだ。残念ながらうちの旦那は朴訥で鈍感力がずば抜けており、息子の繊細さをわかってあげられない。悲しいことに、フォローの声がけさえピントがずれて息子に逆ギレを喰らう始末。

じっくりいろいろ話し合って分かり合いたい私に対して、旦那は、無口で語彙も少なくてケンカが嫌いで平和主義だから話し合いというディスカッションも嫌がる。

旦那も息子も、とにかくおうちが大好きで、だったら家を平和にしておくのが家族にとって最善だ。家を戦場にしたくはない。

そのためには息子のあれこれは私が請負って、叱るべきは叱り、伸ばすところは伸ばし、旦那はとにかくくつろいで、家の居心地が良いようにしたい。

わたしばっかりタスクが多くて嫌になってしまうこともあるが、私だってギスギスした家にいたくないし、不機嫌な時間が増えるほど、自分の人生を不機嫌にしてしまうから、切り替えるようにしている。

きっと前世で殺人かなんかして、今世では徳を積むようにスペシャル手がかかる子を授けてくれたのだろう。徳を積んだ先にご褒美があるかもわからないまま、積み続ける徳。三途の川みたいだが、きっといつか報われる時が来るだろうと信じて、石を、いや徳を積み続ける。


息子にどうなって欲しいのか

子供は自分とは別の生き物だ。だから思い通りにならないことばかりだ。

息子をどうにかしようとは思っていないし、彼の良さを伸ばして幸せになってほしいと思っているが、自分の中で子育てのイメージみたいなものがあって、それをベースに子育てしている。

わたしがこの愛おしくてたまらず、手がかりまくる息子にどうなってほしいのか。

とにかくまずは自立。
自分の力で生きていく力をつける。
そのために必要な知識や、情報を掴み取る力、考える力、先を読む力、やるときはやる力。

息子はまだ発展途上だから、今できないことがこれから勝手にできるようになるのか、教えたらできるのか、教えてもできないのか、未知すぎる中で彼なりの武器を磨けるよう、それを見つけられるよう、全力でサポートしたい。

とにかく料理くらいできるように、と思っていたら、最近は息子がテスト期間中で早帰り、わたしが仕事で不在の日、昼ご飯にスーパーで鶏肉を買い、自己流の味付けでチキンステーキを焼いたりしているようだ。

料理は良いが片付けまでは手が回らず、キッチンが恐ろしいことになっているが、そんなのは後からどうでもなるので、まずは自分で作って食べていることを称賛している。


ますますシビアになるこの世の中で、このマイペース息子がのびのび自分らしく生きられるように祈りを込めて成長をサポートしたいし、

そして、毎日想像のナナメ上から攻めてくる息子のビックリ事件に驚愕し、不安になり、やってらんないよなと思いながらも、心のどこかで「この子は大丈夫」と息子を信じている自分もいる。

大丈夫なんだろうけど、大丈夫がもっと大丈夫になるように出来るだけ手助けをしたい。そんな毎日だ。

14歳の息子が成人するまであと6年。6年後にこれを読んで、わたしはどう思うのだろう。相変わらず手がかってるのか、懐かしく思うのか。

タイムカプセルを埋める気持ちで、今の気持ちをしたためてみた。


今日もお読みくださりありがとうございました!

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