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教科書どおり、指示通り。「思考停止」で行動するのは危険だなと思った件


わたしは「お役所仕事」が嫌いだ。

そのことは以前の記事に書いた。


言われた通りにやればいいんでしょ。
という「融通の利かなさ」「機転のきかなさ」「思考停止」状態が本当に苦手。

いくらマニュアルを作っても、それでカバーしきれない例外がいくつも存在する。だって、いつも状況は違うわけだから。

そして、決まり事には必ずそれが何のために作られたものであるかという背景が存在するはずだ。何かを抑止するため、サービスの均質化を図るため、エトセトラ。

それに思いを馳せることなく、なんとなく惰性で続いている決まりごとについて柔軟に対応することを放棄して、

「それが決まりですから」「それを守っておけばいい」というのが、とてつもなく私にとってストレスである。


今日もまた、そんなことに出くわしたので、そのことについて書いてみようと思う。

結局マニュアルではカバーしきれない現状


私がパートしているところは店舗数が全国で数百を超えるチェーンのリユースショップ。なのでマニュアルがガチガチにある。大体の事はマニュアルに書いてあるが、それでもカバーしきれない「グレーなこと」毎日のように登場する。

たとえば、「中古品」の買取に関して「状態の悪いものは買い取れないので、お客様にお返しする」というマニュアルがある。

「状態の悪い」とは、たとえば洋服なら襟ぐりが汗ジミで黄ばんでるとか、穴が空いてるとか、セーターが毛玉だらけとか、「これはNG」な例えはいくつかは出せるが、そこに書いてある以外のことだってたくさんある。

皮革製品のヤケだったり、袖は傷んでるけどそれ以外はめちゃくちゃキレイだったり、タグがついてる新品なのに、家庭の保存状態が悪くてシミがついていたり。

洋服一つとってもこの状態なので、マニュアルというのは「行動の最低基準の指標」にしかならない。

「店頭に出せないと判断したものは返却」ということだが、「店頭に出せないと判断する」のは個々の人間で、その判断基準は微妙に異なる。マニュアルが踏み込めない部分だ。


だから書いてあること通り、言われた通りだと、どうしても空白ができてしまうのだ。

工場ラインならともかく、客商売は予測不可能なお客さんに接する仕事なので、非常に流動的な対応になる。だから、マニュアルは基本的な部分は適用するものの、その先は、出たとこ勝負の要素が強い。

こちら側の采配だったり、相手側の出方だったり、そういった部分で融通をきかせて、常に優先順位を変えていくと言う能力が必要になる。

杓子定規な新人くんあらわる

そんな現場に、新人さんが何人か入った。そのうちの数人は大学生の男の子だった。多分アルバイトが人生で初めての学生さん。そのうちの1人は、とても実直そうな男の子だった。


新人アルバイトの教育はハッキリ誰がやるとは定まっておらず、その業務に従事する時間帯が一緒のパートさんとか、店長とかが随時教えていく。


今日は、店長不在日で、わたしと、あともう1人パートスタッフがいた。しかし、その新人くんとのかかわりがなかったため、彼がいまどのぐらいの仕事の習得をしているか分からず、どんな戦力になるかもわからないまま、わたしと新人の彼。というメンバー構成で店に立つことになった。

なんだかんだ、この店は午後3時から4時台が1番忙しい。


たまたま今日のシフトは巡り合わせが悪く、その時間帯に私が1人と新人くんが1人と言う配置になってしまった。新人くんは何も言わずに店の端っこに消えた。こちらからは見えない場所。


気をきかせて、オープニングから一緒の主婦のスタッフの人が少し時間を延長して残ってくれて、レジ対応などをしてくれた。


それでもレジが少し慌ただしくなってきたので、その新人くんを探しに行ってレジのフォローを頼みたいから戻ってきてくださいと伝えた。


私はわたしの買取業務があって時間に追われているので、今すぐ走って来てもらわないと困る。


だけど、待てど暮らせどレジ応援に来ないので、また走って彼の場所に行く。もう一度見に行ったら、ゆっくりゆっくりと、商品をもとに戻しているところだった。


「それはほっといていいから、レジは今すぐの急ぎなので、今すぐ来てちょうだい」とお願いしてやっとレジに来てフォローをしてもらおうと思ったら、「何をしていいかわかりません」と言った。


すでに数回バイトに来ていて、何度も他の人が教えてるはずなんだけど。

まぁいいや。とりあえずレジをしてくれたスタッフの人に頼んで、教えてもらうことにする。

そして、レジが終わって、まだ何人かお客様がいてレジに並んでいるのにまた彼はどこかに消えてしまった。

基本店舗の運営と言うのは、何よりも優先順位はお客様対応だ。それ以外の商品整理や、商品のメンテナンス、などは、接客をしながら進めていく作業となる。陳列の整理は、お客さんによって常に売り場状況が変わるし、よほどヒマな日か、臨店対策などで行うもので、優先順位はかなり下。

その大前提を伝えなかった教育担当もアレだけど、そもそもそれを理解してないのもどうかと思う。

今日は店長がいなかったので、最後に、せっかちで、かなり言葉がきつい私が最大限に優しく、オブラート50枚ぐらい包んでその新人くんに伝えた。

「この店で1番大事なのは、お客さん対応なので、基本はお客さん最優先でお願いします。レジをしたい人、買取をしたい人、買取の見積もりができて見積もりをのクロージングをしたい人、その人たちの顧客対応が1番大事なことです。だから、カウンターに人がいなければ、いてもらえますか。」と。

と言ったら、彼は、なんとなく腑に落ちないような表情で

「店長に、出勤したら1時間、店内の商品整理をするように言われてるんですけど。」と言った。


その店長がどういうつもりでそれを言ったのか知らないが、お客様がいらっしゃる時にはそっちが優先と言うことを伝えなかったのだろうか。

いや、お客様が優先と言うのは言わなくてもわかると思ってしまったのだろう。というかそれ言わないとだめなことなの?と思って愕然とした。

この店の売り上げは、買い取った商品をお客さんに売った瞬間に成り立つ。その売り上げからバイトの給料は払われる。

日本は優しい国だから簡単にクビにはならないが、その場に立ってボーっと突っ立っているだけでお金がもらえると思っているなら勘違いも甚だしい。これからの未来を背負う青年に、そんな勘違いをしないでほしい。


わたしが彼にビックリしたのは、指示を守ることは大事ではあるけれど、「状況に応じて、自分で考えて柔軟に動く」というところから一番離れた発言だったからだ。

わたしが一番恐れている「思考停止」

もしかしたら、店長が彼にそう指示したときは、スタッフが多くて、ヒマな日で、やることがなかった日なのかもしれない。だから店長も悪気なくそういう指示をしたのかもしれない。

だけどそれが365日適用されると、どうして思えるのだろう。忙しくてお客さんがひっきりなしに訪れる週末や、クソ忙しくて倒れそうな年末年始も、彼は出勤して1時間、のんびり商品整理をすればいいと本気で思っているのだろうか。

だってここは小売店で、店舗スタッフとして働くのだ。百歩譲って店長の言葉が足りなかったとしても、「今日は違うかも」と思わないのか。

あれこれ言いたいことはあれど、なんとか言葉をひねり出した。

「店長の指示が違うということではなく、それはそれであってるんだけれど、今日は今の時間帯に接客するスタッフが少ないので、お客さんの対応をしてほしいということです。お客さんの対応が最優先だから、みんな自分の作業をしながら、お客さんがレジに来たらそれを中断して、レジをしているんだよ」

と、わたしのブチ切れた気持ちを、またもや50枚くらいのオブラートに包んで伝えたつもり。

残念なことに、何を伝えても、「伝わっている感」がない。

なんというか、コンピューターに指示を出している感じ。

「基本はこうだけど、イレギュラーが出た場合は聞いて」的な指示が通らないというか、逆に「何言ってんの?」みたいな顔をされる。

白は白。黒は黒。グレーはなし。みたいな。
プログラムでもif文とかで細かい指示できるよね?初期のコンピュータみたいな感じなのか、彼は。

これには参ってしまった。彼に悪気があるわけでもなさそうで、だからといって、仕事を覚える気もなさそうで、お客さんが来ても、そちらの方向に目もやらず、突っ立っている。

だからといって、理解力に乏しい感じでもなく、感情が見えないというか。「なんでバイトきたの?」という感じ。

仕事を覚えようという意志も感じないし、稼ぎたいという気概も感じない。

もし「なんでバイト来たの?」と聞いたら「親がやれって言ったから」って言いそうで怖いから聞けないような薄気味悪さ。

大学生だから社会人経験がないのはわかる。だけど、他の大学生は、個人差はあれど、仕事覚えてやってみようと言うふいんきを感じる。

だからそのビックリ新人くんの背景を想像するに、社会人経験がないからと言うだけではなく、彼はきっと、ゲーム勉強、言われたとおりにやる優等生だったのではないだろうか

正解ばかり追い続けて、状況によってやり方を変えると言う方法を学んでないのではないか?と思ってしまう。もちろん私の想像の域を出ない。

これからの世の中、人間味こそ大事だと思う

冒頭で話したお役所仕事に戻るが「言われたことさえやればいいんでしょ」な精神を貫くとこうなるのか。これで生きて行けるのか。彼は彼の人生なので、このバイトが続いても続かなくてもわたしには関係ない。けれど、なんだか日本の未来は大丈夫なのかと憂いてしまう。

いくらAIが人間の代わりをするといっても、人間らしい部分は人間が担うべきだと思っているし、そのAIが代われない部分が人間味だと思っている。

わたしが嫌いな「お役所仕事」というのは、その「人間味」を感じられないから拒否反応が出るのかなと思う。

わたし自身、世の中のことをさほど知っているわけではないけれど、人間の代わりにロボットができることを取って代わりつくした先には、人間らしいほほえみだったり、情緒だったり、気配りが残ると思っている。だから接客業は絶対に亡くならないと思っている。

だかたこそ自分がいまいる最低賃金のパートだって、大事にしたいと思っているし、そこに「お役所仕事」で臨むのはどうかなと思ってしまう。

まあ、彼は彼として、自分の息子がバイトデビューしたときには、そんなことにならないように、帰宅してから中2の息子に今日会ったことを話して聞かせ、「接客業はお客さん対応してナンボ」と熱く語り、息子が「そりゃそうだ」と合いの手を上手に入れてくれて溜飲が下がった。

さらにその後、パートのお友達と久々に電話でおしゃべりして、あれこれ日ごろ思っていることを話すことができて、今日のモヤモヤはなんとなく昇華出来た気がした。持つべきものは仲間だなぁと思う。

こんな日常の何気ないことではあっても、実際に「思考停止」している人を見て、やっぱりこれって怖いよなぁ、と思った。

周りの状況を見ずに「言われたことだけやっておけばいい」というのは危険だ。

そんな人にも「死んで下さい」といえば「さすがに無理です」というのかもしれないが、自分にたいして影響がないことは「言われたことだけやっておけばいい」と言う状態で進んでいくのだろう。

そういう人は、接客以外の別の職業で輝けるかもしれないし、それについての深掘りは控える。

だけど、とにかく「何も考えずに言われたことだけをする」という姿勢に疑問を持った。


何をするにも、「いったん周りの状況を見て考える」ことは本当に必要だなと思う。今日の正解は明日の間違いかもしれない。世の中も、自分の周りも、そして自分の毎日変化する。そもそも人生に正解はないのだ。

その場その場で臨機応変に考えることや、自分の意見を言うというのは、脳みそを使うし疲れるものだ。だけど自分を生きようとすると、人生の大事なポイントでどうしても必要とされるのではないかと思う。

わたしも疲れるけど、やっぱり変化に柔軟に対応しながら、自分なりに生き方を模索していきたいと思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!


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