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「ぼっちが嫌だ」と言いながら文化祭に向かった高1息子のその後

文化祭の時期ですね。
文化祭といえば「ザ・青春!」と思い切り楽しんでいるイメージを持つ方が大半だろうが、実はそういう子ばかりではない。

というのも、うちの息子は文化祭が「キツイ」のだそうだ。

コミュニケーション能力は高いがとにかくオクテ。プライベートの時間に気を遣うのが嫌らしく、友達付き合いはあまりせず学校でときどき誰かと話す程度。

こんな息子なので、「学校で友達に会える!」なんてテンションではなく、学校自体にも「学生だからしゃーないか」としぶしぶ行ってる感じ。

そんな息子は青春がほとばしる「文化祭」が全然楽しくないらしい。「みんなで作り上げる」とか「一体感」とか、あんまり興味がないらしい。

そうはいっても体育祭とか、年度のはじめ5月に開催するときには「疲れるからいやだ」とか言いながら結構楽しんで、総合優勝なんかすると喜んで帰ってきたりするし、そのときに話す友達ができたりすることもある。

でも文化祭は別物で、これは空き時間に「誰かと一緒に楽しむ」という要素が非常に強く「ぼっち」が最も悪目立ちする瞬間だ。

ふだん「ぼっち」で行動することをそこまで嫌がらない息子でも、この時期の「際立ったボッチ感」を味わうのはなかなかに苦行のようだ。

それでもいちおうクラスの催しでやる仕事も割り振られているし、行ったら行ったで楽しいかもだし、と背中をグイグイ押して、とにかく行かせた一日目のことはこちら。笑顔でグイグイ行かせたけど、息子の行きたくない顔に見送った後思わず泣いたよね。

さて、無理やり行かせた息子はどういう顔をして帰ってきたかというと「悪くない顔」をして帰ってきた。聞けばクラスで会話する友達と控え室でおしゃべりしていたらしい。一緒にいる相手がいたらよかった。正直わたしはほっとした。これなら明日も行ってくれるだろうと。

するとその日の夜遅く、またも浮かない顔をしてわたしのところに来た息子。「明日行かなくちゃダメ・・・?」とこれ以上暗い顔はできないだろうという亡霊のような顔でわたしに話しかけてきた。

あれ、今日思ったより楽しかったんじゃないの?と思ったのだが、今日は出し物も見ずに教室内で友達と話して乗り切ったが、明日も乗り切れる気がしない、とのこと。

もうあの文化祭というお祭り感も無理だし、なんか「怖い」し、だけどいちおう自分に割り振られているシフトに穴をあけてクラスの子に何か言われるのも嫌だしで悩み続けている、という。

ぶっちゃけ病気で休む人もいるわけだし、シフトに穴をあけても誰かが穴埋めするだろう。今日も先生がちょこっとクラスの手伝いをしていて、たぶん誰かの穴埋めだと思うし。だけどそれで少しでも行く気になるならと思ったので、「そんなに気になるなら行ったほうがラクじゃない?」と言ったが、やはりずーんと気持ちが落ちて行く気になれないという。

息子はなぜか昔から「仲良くなった友達とクラス一緒に慣れる運」が異常に悪くて、オクテの息子がせっかく仲良しになった友達と翌年必ずと言っていいほどクラスが離れてしまう。

いまはこんな「ぼっち」と言っている息子だが、中2のときには仲良く行動するグループに入れて文化祭も楽しそうだった。お目当ての女子とも一緒に文化祭を回れたなんて喜んでいた。だけどもちろんクラス替えでお別れ。

息子はとてもオクテだが、だいたい普通は他のクラスになればなったで新しい友達ができる。だけど息子は自分からグイグイ行くタイプではないので、新しいクラスでぼんやりしているうちに、知らぬ間にすでにみんなが仲良しになっていて、ぼっちとして存在が薄くなり埋もれてしまうという現象が起こっているのだと思う。オクテっぷりがすごいのだ。

なのでこちらが動かないので致し方ないのだが、やはり母としては胃のあたりがキュンってするよね。

ボーっとしているように見えて実はトガってる息子の一面に誰か気づいて声をかけてくれたら・・・なんて思うけど、そんな埋もれているものを見つけてくれる人なんていないよね。みんな元気だもの。

母は見ているしかできない。もどかしい。だからついつい神社で縁結びのお守りを買っちゃうんだよね。

そんなこんなで息子はまた悶々と悩み始めた。どうしても辛いという。今日一緒に話したという子は、最近よく話題に上がる女子。その子も学校を休みがちで、テンションや趣味が合うそうだ。だったらその子と文化祭回ったらどうかと話してみたけれど、なぜかそれはイヤ。らしい。女子だからかなぁ。

そうこうしながら翌朝を迎えた。

朝からもうこんな地獄みたいな表情ってありますか?という暗い顔をしている。

昨日はなんとかなったけど、やっぱりとにかく行くのは嫌だ。だけど休んでみんなに何か言われるのも嫌だ。のはざまで悩みすぎて、さめざめと泣き出してしまった。

あまりにも悩み苦しんでいるのでわたしがカウンセラーになるしかない。わたしが泣きたいよ。

ぶっちゃけ、みんなに何か言われる、のは、「ごめんね」で済むんではないか?と言った。責任感が発動するのは大事なことだけど、ぶっちゃけクラスのシフトなんてどうとでもなる。

「ずるい」とかいう人もいるかもしれないけど、もし言われたら謝れば済むはず。ほとんどの人はそこまで気にしないと思う。それでもしその問題が解決したら、君は安心して休めるのかい?と聞いた。

すると「うん」と言った。
「母ちゃんは行ったほうがいいと思う?」「行ってほしいんでしょ?」
と言うので、そりゃあ行けるなら行ったほうがいいし、楽しめればいいけど無理ならしょーがない。

昨日あれだけ「行け」とゴリ押ししたのは、楽しめないかもしれないといって行かず、もしかしたら楽しめたかもしれない機会を逃すのはもったいないし、いちおう文化祭というものをこの目で見ておいた方が良いと思ったからだ。楽しくないのも含めて味「経験」のほうが大事と思ったから。

だいたいの場合は「意外と楽しかった」と返ってくるのだが、ほとんどの行事は1日で済むし、新しい場所が苦手な息子はよく研修旅行なんかも行きたくないと重い足を引きずっていくのだが、現地での経験が楽しく「面白かった」と帰ってくる。

今回は2日目が「無理」となった珍しいケースで、よほどしんどいのだろうと思われた。ひとまず文化祭自体は経験したし、無理強いしてぼっちの苦痛を味わわせなくてもいいのかも、と思った。

「みんなが楽しいイメージの文化祭だけど、自分が楽しくないとハッキリしてるなら行かなくていいよ。楽しまなくちゃいけないものじゃないしね」

といって、欠席フォームを送った。その瞬間、息子の表情がふわっと軽くなり、ものすごく安心した様子だった。よほど気が重かったんだね。

欠席フォームには「文化祭の空気感が無理で楽しめないそうです。シフトに穴をあけることを申し訳なく思い迷っていましたが辛いそうなので休ませます」と書いて送った。そういう子だって伝えたほうがいいと思ったから正直に書いた。

「文化祭が楽しめない」というのは、本人もだけどわたしも少なからずショックだった。だから「みんなが楽しむからって、自分は楽しめなくてもいい」という言葉は、息子に対してよりも、わたしに対して言った言葉だ。正直な話、文化祭を楽しんでる息子を見たかったもん。


小学校時代の息子を見て、さすがにそこまでぼっちになるほど友達と付き合わないのも想定外だったし、中学受験のために訪問した文化祭はキラキラして楽しさが詰まっている雰囲気で、そこで息子が青春をエンジョイしている想像をしていたからだ。

文化祭2日目に行かなくて済んだ息子はいつもどおりの穏やかでニコニコした息子に戻って、へらへらとゲームしていた。「早く終われ」とぼっちの時間を過ごすよりよほどいいかもしれない。息子の笑顔を見ると、これで良かったんだなぁと思って、また泣けてきた。

こういう言い方はしたくないけど、「ふつうに学校に行って、ふつうに部活に入って、ふつうに友達とわいわいして学生生活をエンジョイする」って、そんなに高望みじゃないと思うんだけど、うちにとってはそれも高望みだ。

結局、子育てなんて親の思い通りにならないのだが、それにしてもわが家は思い通りにならない度がすごすぎてわたしが手放さなくてはいけないものがとても多く感じる。

小さいころから繊細で手がかかった息子だから、自分の中のいろんなお花畑の想像を捨ててきて、もう捨てすぎて手札が残っていない。よく子育てが終わったベテランママが達観した様子で「結局、元気が一番よ」というけど、ほんとにそうなりそうだ。

もう学生生活のエンジョイとかは諦めるから、とにかく自活できるようにだけはなってほしい。それはわたしの子育てのゴールだけど、そこに行くまでにあと何枚「子育ての理想」カードを捨てなくてはいけないのだろう。

子育てというのはわたしにとって、わたしを悩ませ、わたしの理想を諦めさせ、結果、わたしを成長させまくるための修行にしか思えない。なんかすごい難易度高いコースを選んでしまったようなのだが、もうここまで来たら頑張るしかない。

なんだかんだ文句言っても、思い通りにならなくても、やっぱり自分の子はかわいい。わたしもどこかのベテランママのように「結局、元気が一番よ」と達観した笑顔を見せられるようになるまで、まだいくつか試練がありそうだが、一歩一歩やっていこうと思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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