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以前は嫁がやっていた。ピンとこなかった昭和の父。

認知症の父の介護を始めて、あらためて

ああ。そうか。

と感じたことがある。

父はデイサービスに通っているが、父は「自分はリハビリ施設に通っていて、足が治ったらそこを「卒業」できる」と思っている。もちろん、施設を利用するのに、父に嘘はついていない。総勢8人の関係者会議で決めた介護計画の通り「規則正しい生活を送る」という目標のために、通っていることは、毎回父と会うたびに話しているが、毎回忘れてしまう。

父は、東京の私がたびたび来ることに対し「母親に会いに来ているのだろう」と思っていたらしい。だから「二人で美味しいものでも食べておいで」と言う。これは、私より頻繁に訪れる妹には言わないセリフ。ほんと、妹がかわいそう。でも、妹は、私よりかは近くに住んでいるので「仕事の帰りに寄ってみた」的なことをいう。その説明も父のためのことを思ってしていたことだが、もしかしたら逆効果なのかということになった。さらに父は、私に対しても「自分の家をほったらかして、ちょくちょくここに来ていて、いいのか?」とさえ言うようになった……。うっかり旦那に罪悪感を抱きそうになってしまう(笑)

私も妹も、本当は「お父さんのオムツを替えるために」実家に来るということ、それは週末のヘルパーさん不足からくるということを、そろそろちゃんと説明した方がいいんじゃないかということになった。たとえ毎回忘れても、何回も話していることは記憶に残るかもしれない。

父は、認知症ではあるが、頭はいい。だから、いっそのこと、介護保険のしくみの説明から始めようということになった。

以前、介護という仕事は、妻か嫁が担っていた。
例えば、自力で立てない認知症の父の場合なら、

朝、起こすのも、オムツを交換するのも、粗相した場合は、パジャマを着替えさせ、シーツを洗い、布団を干す(重労働!)のも、食卓に連れていくのも、食事を食べさせるのも、リビングに連れていくのも、用があれば飛んでいくのも、(入浴はできないので)体を拭くのも、薬を管理し飲ませるのも、寝かせるのも、もちろん、一日何回かオムツを替えるのも、大便をした時に後片付けをするのも、そしてその間のすべての家事も、全部、妻か嫁の仕事だった。

女性が社会進出した社会、加えて高齢化社会で、その女性たちの仕事だったものを国でやろうというのが、介護保険。国民から保険料を集めることになった。お父さんは今も払っているけど、その制度を使う側でもある。お母さんや私たち(嫁じゃないけど)の代わりに、ヘルパーさんが家に来たり、デイサービスに通ったりしているんだよ。

こういうように説明しようと思う。と提案した時、母と妹は「素晴らしい説明」だと賞賛してくれた。
きっと、かの上野千鶴子さんも、この説明に賛成してくれるだろう。

週刊東洋経済の「24年目の介護保険 改良史か?黒歴史か?」の記事はとても面白かった。
「介護保険成立は奇跡だった 当事者たちは声を上げて」上野千鶴子

もっと当事者が声を上げて、この制度を改革していかなければならない。この号、めっちゃ読み応えあります。

さて、ところが。
父はお金の流れは理解できたのだが、どうも「妻と嫁」の代わりという点にピンとこない様子。あとで母とそのことについて話した時に、母が言った言葉に納得した。

お父さんは、誰の介護も見てないから

父の母親も認知症だったが、介護は同居した次男の嫁が行った。
母の両親も、長命だったが、介護は同居した長男の嫁が行った。
介護は嫁がする、がっつり「昭和式」だが、それを、というか、その苦労を見ていないのだ。

介護の悩みは、経験していない人にはできない。同じルールがここにもあったのかと気づいた。
制度を使わないとお母さんが大変。ここが分からないみたい。

父は優しい人なので、毎朝、母が食事を作って運んできてくれることに感謝はしている。よく口に出して「ありがとう」と言っている。この言葉で母がホッとした表情になるシーンもよく見ている。

でも「食事は女が作るものだ。だけど感謝は口にした方がいい」そういう思考回路なのだと気づいた。昭和だ。

腰の悪い母は、父の食事を寝室のベッドまで運ぶのに、介護保険でレンタルしたカートを使って運んでいる。そういう時も「腰が悪いのに、申し訳ない」というより「そのカート、便利だな」になる。

昭和を生きた父。もちろん、父ががむしゃらに働いてきたから、私も妹も大学まで行けたし、習い事も習えた。

感謝しにくい昭和である。

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