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添削のプロから見た chat-GPTが書く文章の致命的な欠点

合格点だけど、優勝しない。
それが、現段階での Chat-GPT が書く文章の致命的な欠点だ。

Chat-GPTが大人気。みんなでいろんなことを聞いている。今は、どのようなことを、どのような手順で聞くとすごいことができるのか、むしろ問いかけの作法が問われる時代。流行に乗り、私もいろいろな用途で使っている。最近、これは便利だぞ!と思ったのは Facebook のヘルプセンターでは探せなかったトラブルの解消法だ。トリセツがネット上にある限り、もうお問い合わせはここでいい(笑)
また、何か一般的な説を展開する時に、足りない要素はないか? 見落としている項目はないか? という チェックにも使える。Chat-GPT のようなシステムは、ネット上に存在する大量のデータを全部学習して、問われたことにダブりなく抜けもない形で整理して表示してくれる。

自分の仕事の分野(教師、ライター)のことも一通り試してみた。例えば、小論文を書かせてみると、結論、それから結論のための根拠(この根拠は、ほぼ、ダブりも抜けもない形で書かれているが、やや、言葉に並列感覚がない)そして、予想される反対意見や、それに対する反論まで盛り込み、最初の結論に結び付くよう、きちんと材料を見つけてきて、仕上げるというイメージだ。

Chat-GPT によって生み出された小論文を見て、私は「ふーん」と言って、心の中で「可」をつけた。

完全に合格点ではある。だから、合格点を出せない学生がこれに飛びつく気持ちは分からないでもない。ただ文章としては、合格点だけど、優勝はしない文になってしまう。

全然、刺さってこないのである。確かに小論文というものは、必要以上に刺さる必要はない。そんな激しい個性的な人はいらないという大学がほとんどだろう。でも、優秀な大学ほど、こいつスゲー!という人材を血眼になって探しているはずだ。これがどんな奴なのかを考える必要があるのであって、「てにおは」がどうだとか、字数が足りないのではとか、誤字脱字があるとか。ほんと、そんなことはどうでもいい。私もそういう些末(些細ではないよ←こういう指導はしている)ことを気にするなと言う。

誰もが憧れる、企業も大学も探している、この「スゲー!」というのは、人柄や人生経験がにじみ出ている「スゲー!」であって「スゲー!要素をきちんとそろえて並べてきた!」のスゲー!のレベルではない。確かにそういう人材は昭和では大人気だったが、もう、はっきり言ってニーズがない。それこそ、AI でいいのだ。
そんな及第点な自分でいいのか?
どうしたらいい?

私たちが「すごいマジでイケてる」「感動した!」という文章、つまり自分の心の中で優勝する文章とは、むしろ国語教師として採点をすると不合格の域に入るものすらある。Chat-GPT そろえた要素とは違い、その人の経験に基づき、偏っているのだ。「なんか刺さる!」とか、「そうか!気がつかなかった!(気が付かないことは偏りである)とか「そんな風な考え方もあるんだ!」とか「ああ、アタシなんて大したことない!」「俺も燃えてきた!」そう思える文章である。

そしてそういう文章を書くには、数多くの人間的な経験が必要だ。もれなくダブりない、当たり障りのない、失敗がない人生ではなく、その人なりの凸凹な人生が必要なのだ。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、やきもちを焼いたり。そして とにかく頭を使う。頭を使って、体に心に起きていることを分析(のためには言語が必要)し、徹底的に言語化する。言葉に直しておく。思考という気体を昇華して言語という個体にしておく。もちろん、前提である人生経験を沢山積む。積むために動く。

そういう作業をすっ飛ばして、及第点までの足りない部分をChat-GPTでちゃちゃっと持ち上げてしまおうというのは、おそろしく何かを間違えている。

ではでは。

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