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言葉で心を動かしたい。

いつからだろうか。
本を手に取るたび、まずは作者略歴をたしかめるようになっていた。

中でもわたしの目が吸い寄せられるのはその人が生まれた年、そしてデビューした年である。

ああこの人は自分と三つしか変わらない、この人は今の自分の年でデビューしている。ほとんど無意識のうちに計算してそんなことをはじきだし、なんともいえないむずむずした思いに駆られてしまうのだ。


「筆一本で食べていく」というのはどれほど難しいことだろうか。
自営業だから、自分の筆が止まれば当然収入はゼロだ。
もっとシビアなことがある。たとえ腐るほど書こうとも、認められなければ1円の儲けにもならないという現実がどんと構えているのだ。

もちろんわたしは、儲けたいから書く人になりたいわけではない。
しかしながら、食べていくためにはどうしたって稼がねばならないのだ。


来年度には大学卒業である。
うーんどうしようか、と思いあぐねる毎日。

まあ、それだけで生きてけるほどの技量は到底持ち合わせていないので、普通に就職するつもりである。
でも、書くのをやめることはこの先もきっとないんだろうなあ。
と、確信に近い強さでそう思う。

そうしよう、というよりは、そうなるんだろうなあ、という感じ。
だって、書きたいから。書かずにはいられないから。


誰かが自分の文章を読んでくれる、そのうえ評価してもらえるというのは、なんと幸せなことだろうか。
自分の身内ですらそう思うのに、見ず知らずの誰かの心に届けることができただなんて、ちょっと信じられないくらい嬉しくて。

先日、素敵なエッセイを書かれているお二方が、ご自身の記事の中でなんとわたしのことを紹介してくださった。

読みやすく丁寧な言葉で紡いだ「3分で読めるエッセイ」を、ほぼ毎日更新されているキッチンタイマーさん、
そして、日常の些細な疑問や気づきにスポットを当て、すいすいと読み手を引き込む文章が魅力的な久保田真司さんのお二人である。


目にした時、わたしはぽかんと呆けてしまった。

よくよく考えれば、知り合い以外の誰かにこうして自分の文章を評価してもらったのは初めてのことだったのである。
恥ずかしながら、キッチンタイマーさんの文を目にした時は、あまりの嬉しさにちょっと涙が滲んでしまった。

思い出すたび、今でもじわじわと嬉しさがこみ上げてくる。
実力もないくせに自己満足と自己顕示欲の塊だと落ち込み、情けないと何度も悩んで眠れない夜を過ごしたこともすべて、丸ごと報われたような気持ちになる。


この痺れるようなよろこびを、わたしはこれからも絶対に忘れたくない。
誰かの心に自分の文章が刺さるというのは、決してささやかな出来事ではない。大したことじゃない、と感情を押し込める必要なんてない。

とてつもなく嬉しい奇跡みたいな話だと思うし、わたしはそれが間違っているとは思わない。
たとえ自分の身に起こったことだろうと嬉しいことは嬉しいし、すごいことはすごいのだ。

間違ってなかった、わたしがやってきたことは決して無駄なんかじゃなかったのだと強く思った。


言葉で心を動かしたい。

みんなじゃなくてもいい。
すべての人を、なんておこがましいことは言わないから、それでも一人でも多くの人の心を、動かすことができたなら。


今こうして一人で見上げて、ああ綺麗だなあと感じた空の色も、きっと家に帰り着く頃には違う色になっているんだろうし、まして自分がそう感じたことすら忘れてしまってるんだろう。

それがすごくこわいから、

せっかく心に沁みたことを、
美しいと感じたものを、
ひび割れそうに痛いことを、
なかったことにしてしまうのが嫌だから、せめてもの抵抗のつもりでわたしは言葉に書きつける。


初めて通る道を歩いた。
いつもと違うところを、曲がってみた。

ひなびた薬局に時が止まったような酒屋さん、フラメンコ教室だって、その隣にはいかにも京都らしい町家がひっそりと佇み、かと思えば正面にはモダンなマンションが建っている。
おとうふやさんにゲストハウス、人形屋さん。

見ていて飽きることがない。
ふうん、おもしろい。最近好きになった星野源のうたがウォークマンから流れて、それが今の感じにすごく合っていて、なんだかPVに出てる人になったみたいな気分である。


メロンソーダのドロップみたいなみどり色だった信号が、半熟たまごの黄身みたいなオレンジがかった黄色に変わる。

ああ、なんて綺麗なんだろう。


なんの役に立つものでもない。

ただ、目に映る景色の美しさを。

目の前がちかちかするほどの激しい怒りを。

引きちぎれそうな切なさを。

日常の中のささやかなしあわせを。

生きていく中でぶつかるそんなよしなしごとたちを、わたしは言葉で表現したい。


そして、誰かの日々にほんの少しの彩りを与えることができたなら。
人生なんて大層なことは言えないけれど、今日一日を、明日という日を生きていくためのささやかな支えになれたなら。

それは、他でもないわたし自身の生きる糧となる。
わたしが言葉に動かされ、言葉に生かされている人間であるからこそ、そんなふうに生きているどこかの誰かに届けたい。


自分の文章を読んでもらえるということを、未だに奇跡みたいに思っています。

あなたの貴重な時間を割いてまで読んでもらえただなんて、心が震えるほどに嬉しいことです。

本当に、ほんとうにありがとうございます。


どうか、届きますように。


#エッセイ #書くこと #言葉

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