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普門館との邂逅

日中の長時間を外で過ごした日の夜は、身体にこもった熱がいつまでも抜けなくてだるい。
外出を控えるようになって約2か月、すっかり体力が落ちてしまったなと思う。近所の公園をぐるっとひと回りする散歩ルートにも飽きて、近頃は新規開拓にいそしむようになった。

家を出て北東方面(たぶん。わたしには方角というものがよくわからない)へ少し進むと、環七通りに突きあたる。
そこをずーっと南下(たぶん)するのは、今日が二度目のことだった。

おおまかな方向だけを気にしながら、ひとけの少ない路地を選んででたらめに歩く。
家を出たときは雨が降りそうな曇り空だったのに、次第に日差しが強くなってきて汗ばんだ。日陰を見つけて曲がってみると行き止まりだったので引き返し、ゆるい坂道をのぼっていくと、こぎれいに整備された場所にたどり着いた。

立派なホールの前の看板には「立正佼成会大聖堂」とある。
ふと、その上の文字に目が留まる。左を向いた矢印の横に「普門館」と書いてあった。

“吹奏楽の甲子園”として広く知られる普門館は、30年以上もの間、吹奏楽コンクールの全国大会が開催されていたホールだ。
かくいうわたしは中高時代、どっぷり吹奏楽漬けの日々を送っていた。特に中学の3年間は、普門館の舞台に立つことを夢見て、来る日も来る日も練習に明け暮れていたのだった。

日本に同じ名前のホールがふたつもあるとは思えなかった。
どきどきしながら矢印のさすほうへと進む。どうやら、さっきからずっと視界に入っていた、シートで覆われた建物がそうであるらしい。

吹奏楽経験者ならば誰もが一度はあこがれる夢舞台が、耐震上の問題によって解体されることが決まったのは、2012年のことだ。
全体像はまだホールのかたちを保っているものの、壁面の一部は容赦なく引きはがされ、大きなクレーン車によって工事が進められている様子だった。

中学1年生のとき、コンクールメンバーである先輩たちの手伝いとして楽器の搬入を行ったことはあったが、奏者としてその舞台に乗ることはついにないまま、わたしは6年間の部活動を終えた。

あのときは13歳だったから10年ぶりか、と計算したあとで、その年月の長さにかなり動揺してしまう。だって、まだこんなにも色あざやかなのに?

あれほどにも強く焦がれた日々から10年後、まさかこんなにも近くに住むことになっていようとは。わたしは運命を信じがちな質なので、何やらふしぎな縁を感じずにはいられなかった。

帰宅後にあれこれ調べていると、2018年にバズったこんなツイートを見つけた。

解体前、普門館が一般開放された時の映像である。
演奏されているのは、吹奏楽経験者なら誰もが知る名曲「宝島」。ひさしぶりに見てみるかと何気なく再生ボタンを押した。

まるで直接つかんで揺さぶられてるんじゃないかと思うくらい、心がはげしく動くまでには、たったの数秒もかからなかった。

普門館を目の当たりにした時はまったく平気だったのに、耳慣れたその旋律が飛び込んできたとたん、反射のように涙がにじんだ。

中高時代の部活でも、大学生の時に所属していた社会人の団体でも、数々の舞台で幾度となく演奏してきた曲。そういえば、中学の引退コンサートで最後に演奏したのもこの曲だった。
このうえなく明るくて楽しい曲なのに、演奏中に泣けて泣けて仕方がなかったことを思い出す。濃密な3年間の集大成。

制服姿の学生たちを中心に、年代も性別もばらばらな人たちが、思い思いの場所で音を鳴らす。
見たことも会ったこともない彼らのことを、わたしはずっと前からよく知っているような気がした。

十代にもどることはもうできないがもどらなくていい 濃い夏の影
―― 小島なお


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