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「ほんとう」の気持ちで生きてゆく

いったい何がこんなにも、わたしの心を動かすのだろうと思う。
「心が動く」という経験すら、ものすごく久しぶりのような気がした。誰に見せるためでもなく、ただひとりで、わたしは静かに心を震わせて泣いた。

挫折も失敗もない、楽しくて平穏な日々のなかに、でも絶望はあり続けるのだという現実を思い出す。絶望があるという事実に落ち込むでもなく、ただそうだったのだということを冷静に思う。

自分を殺して生きているつもりはない。むしろ自由にのびのびやっていると思っていたが、自分自身がわからなくなることの頻度は最近、圧倒的に増えた。

矛盾したいくつもの気持ちが自分の中にある。両立することはないだろうと信じ込んでいた二つの想いが、同じくらいの重さで、在る。どっちが本当の自分なのかわからなくて、どっちも本当であることを受け入れられなくて、ずっと混乱しつづけている。

そのことが、今も苦しい。苦しいということすら許されないような気がしていた。
人様に誇れるような選択はしてこなかった。自分が一番いいように、一番心穏やかにいられるようにという方ばかりを選んだ結果、そうなってしまったのだった。

自分の持つ価値観を、これまで生きてきた人生を、徹底的に疑ってしまう。いくつもの矛盾が、そこにある。


『ダルちゃん』は、そんな矛盾だらけのわたしをも、まるっと包みこんでくれる漫画だ。

主人公のダルちゃんは、ダルダル星人の女の子。人間に擬態し、24歳OL・マルヤマナルミとして生きている。
「普通の人」になりたくて、周りから浮かないように変だと思われないように、ダルちゃんは日々、「誰かに合わせて」「何かになりきって」生きている。

そんなダルちゃんだが、心を通わせられる友人や、詩や、恋人との出会いを経て、みるみる変化を遂げていく。
とはいえ、「ある女性の成長物語」という言葉で片付けられるような作品では、決してない。

ダルちゃんを始めとした登場人物たちには、たくさんの「ほんとう」が溢れている。
ほんとうの気持ちやほんとうの言葉や、ほんとうの愛。

それらは必ずしも美しくなく、ハッピーエンドを約束するわけでもないけれど、自分の中にある「ほんとう」を、根底から揺さぶられる心地がする。

いつのまにか、自分の気持ちに嘘をついていないか?
気づかないうちに、自分の心に不誠実に生きてはいないか?
切実なまでに訥々と、問いかけ続けてくる作品であると感じた。

(※以下、内容のネタバレを含みますので、今後読む予定のある方はご注意を。)


特に印象的だったシーンが二つある。

ひとつは、友人であるサトウさんの恋人・コウダくんとダルちゃんがはじめて会ったシーン。

コウダくんの姿を目にした瞬間、ダルちゃんは衝撃を受ける。
普段だれかと一緒にいるとき、ダルちゃんが必死で隠して押し込めていた状態そのもので、コウダくんがその場にいたからだ。

「えー?」「なんか変?」
そう言うコウダくんに対して、ダルちゃんは
「だってそんなの普通じゃない」
「普通は普通です」「誰でも知ってます」と言い募る。

「私は普通じゃないから 余計なことをして
普通じゃないから みんなにうとまれる
普通じゃないから 幸せになれない」

「だから いつも人目を気にして
誰かに合わせて 何かになりきって」

「そうして生きていく以外に
どんなやり方があるのかわからない」

顔を覆って泣きながらそう話すダルちゃんに、コウダくんはこう言う。

「普通の人なんて
この世に一人もいないんだよ」

「存在しないまぼろしを
幸福の鍵だなんて思ってはいけないよ」

実体のない「ふつう」の威力に惑わされ、苦しんだ経験はないだろうか。
わたしには、ある。当時の葛藤を思い返したとき、この言葉は、まるでよく効く薬のように、まっすぐすとんと腑に落ちた。

「存在しないまぼろしを
幸福の鍵だなんて思ってはいけないよ」

この先なにかに悩んで立ち止まることがあったとして、その理由が「ふつうじゃない」という点にあったとしたら、お守りみたいにこの言葉を思い出そうと思う。
「ふつうであること」は必ずしも、幸福の鍵ではないのだということを。


もうひとつは、恋人・ヒロセくんとの別れのシーン。
詩と出会い、ダルちゃんは「表現すること」に魅了される。しかし、ヒロセくんは「自分たちのことは詩に書かないでほしい」「耐えられない」と言う。

ヒロセくんを失いたくないあまり、一旦は「もう詩を書かない」という決断をしたダルちゃん。
しかし、コウダくんとの出会いをきっかけに、ふたたび憑かれたように詩を書くようになる。

「私は 私のために 書くことに決めたの」

そう言って、ヒロセくんに別れを告げる。

「あなたを幸せにするなんて
自分にそれができるかもって 傲慢だった」

「……私にできることは
自分を幸せにする それだけなの」
「私を幸せにするのは 私しかいないの」

その夜、二人は一緒に食事をする。
「ふと この慈悲深き友情は どんな恋よりも尊い 人生の大きな宝物になるんじゃないかという気がした」と、ダルちゃんは思う。

空はどこまでも高く
街はきらめき
世界は美しい
私は
自分で自分をあたためることができる
自分で自分を抱きしめることができる
それが
希望でなくてなんだろう

静かに連なった言葉たちに、二人の顔に浮かんだ表情に、何度だって、どうしようもなく心を揺さぶられてしまう。

なにかを手放すことは、時に得ることよりも難しい。でも、手放さなければ出会えなかった感情や人が存在するというのも、確かなことなのだと思う。
なにが正しくてなにが間違っているかなんて、きっとうんと先になってみないとわからない。だから、過去を理由に立ち止まるよりも、今は見えなくてもとにかく前へ進んでいたいと、そう思う。


たったひとりの人間や、たったひとつの作品との出会いが、自分の根幹を揺るがすこともあるのだという、その事実。
『ダルちゃん』という作品は、ダルちゃん自身の変化を通じて、そのことを教えてくれた。

そして、『ダルちゃん』は、紛れもなくわたしにとっての「たったひとつの作品」である。
いまの自分にとって、何よりも大切なことに気づかせてくれた気がしている。

優しくて、強くて弱くて、美しい。ダルちゃんのような人で、わたしもありたい。


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