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小説『火花』と漫画『かくかくしかじか』に射抜かれた話。

はじめはあれっという程度だった違和感が、だんだんだんだん大きくなって、書けない日々が続いている。

わたしは、文章を書くのがこわくなった。
他の誰か以上にたぶん、自分自身を納得させられないことがこわいのだと思う。

こんなこと、もう言い古されてるし。
わたしより上手に書いてる人がたくさんいるし。
というかなんの役にも立たないし、そもそもわたしの私生活の話なんていったい誰が聞きたいねん。

これまでもずっとそうだったはずなのに、それらすべてが急に虚しくてたまらなくなった。
何度か経験したことではある。でも、普段はそのうちうずうず書きたくなってくるので今回も同じようにしてみたところ、どうやらそうもいかないようなのである。

信頼している友人に、その話をしてみた。
書こうとするたび、自分の中で「だから何やねん」という声がする。するといつも、確かにこれを書いたからなんなんだと思ってしまい、書けなくなるのだと。

「それが、普通の感覚なんやと思うよ」
友人は、静かにそう言った。
自分の身を削り、日常や思考をさらけ出すのは誰だってこわい、と言う。

にも関わらず(ばかだっただけかもしれないが)、どんどん晒しまくっていたわたしのことを、その友人はいつもすごいと言ってくれていたのだった。

え、じゃあわたしこのまま、「普通」になるの?

誰しもどこかで「自分は普通じゃない」と思っていることなんて、特に大学生はそのきらいが強いことなんて、よくわかっている。
それでもやっぱり、周りと同じように「自分は普通とはちょっと違う」と思っていたわたしにとって、それはぽっかりと黒い恐怖だった。

じゃあがむしゃらに書き出したのか、というとそうではない。

漫然と日々を消化する以上に現実と向き合うことがこわくなったわたしは、毎日ふて寝ばかりするようになった。朝起きてごはんを食べては眠り、バイトから帰ってきては眠り、晩ごはんを食べるとまた眠った。眠っていれば何にも考えずに済むから、とても楽だった。

それ以外には、本や漫画をたくさん読んだ。
書けないならせめて読もうと、図書館や友達から借りた本や、本屋で衝動買いした本たちを片っ端から読んでいった。どんどん活字をのみこんでいると、少しだけ生産的なことをしているような気分になるから、何もしないよりかはちょっと楽だった。

その中でも特に、今のわたしにぐさぐさ刺さった本と漫画を、一冊ずつ紹介したい。

『火花』/ 又吉直樹

芥川賞を受賞したことで、その名を広く知らしめた小説である。

古本屋をぶらぶら見ていたとき、何気なく手に取った一冊だった。以前から読んでみたいと思っていたことと、360円という安価に惹かれて即購入。購入から数日後、何気なく読み始めると止まらなくなった。

『火花』は、師弟関係を結んだ二人のお笑い芸人の物語だ。
「お笑い」という明るいはずのテーマで展開してゆく物語は、二人の軽快なやりとりにクスッとさせられるシーンもあるものの、全体的にとても暗くて重い。何があっても頑として自分を曲げない先輩・神谷と、彼を徹底的に慕う後輩・徳永は、明るく振る舞う反面、いつもどこかで葛藤しながら生きているように見える。

「人を笑わせる」ということ、ごくわずかな収入、恋人にできない女性、借金をしても後輩に奢り続ける先輩。さまざまな苦悩が絡まって、それは文字なのに、その痛みが手に取るようにわかった気がした。読んでいる間じゅう、少なくともわたしはずっと痛かった。

中でも、徳永のコンビである「スパークス」の解散ライブのシーンがとても良かった。詳細は割愛するが、一行読み進めるごとに痛かった。ぼろぼろ涙が出た。とめどなく出た。

解散ライブを伝えるネットニュースのコメント欄についた、数々の酷評を読んで徳永がこう言う。
少し長くなるが引用するので、ぜひ全文に目を通してみてほしい。

もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持など微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分が考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。

必要がないことを長い時間をかけてやり続けることは怖いだろう? 一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。

引用するために読み返していると、また泣けてきた。

所詮は芸能人の書いた…と思ってこれまで読んでこなかったわたしは、本当に馬鹿だったと思う。心からおすすめの一冊です。

『かくかくしかじか』/ 東村アキコ

『東京タラレバ娘』や『海月姫』といったヒット作で有名な漫画家・東村アキコ先生のエッセイ漫画。(全5巻)

物語は、アキコが高校生の頃からはじまる。
幼い頃から少女漫画家を目指していたアキコは美大進学を志し、地元の絵画教室に通うようになる。そのとき出会った恩師・日高先生との交流を軸に、アキコの大学進学や漫画家デビュー、その後はじまる怒涛の日々が描かれた作品である。

奇しくもというか、それが購入のきっかけとも言えるのだけれど、半年ほど前に友人が『かくかくしかじか』のワンシーンを見せてくれたことがあった。

そのシーンの言葉の部分だけ引用すると、

絵を描くということは
木炭にまみれて 絵の具にまみれて
ひたすら手を動かして
思い通りにいかなくて
紙の上でもがいてもがいて
もがき続けているうちに 偶然なのか必然なのか
ごく たまに ほんの一本
自分が納得いく線が見つかる瞬間がある
その一本を少しずつ少しずつ
つなげて 重ねて
ただひたすら それの繰り返し

たぶん、はじめてこのシーンを目にしたときひどく心打たれたことが、ずっとどこかに残っていたのだと思う。
先日、ようやく購入に踏み切った。

好きなシーンも、好きなセリフもたくさんある。
ものすごく努力して大学に合格したのに、入った途端ぱたりと絵を描かなくなって、遊び呆けてばかりいたアキコなんて今の自分そのまんまじゃないかと思った。見当違いかもしれないけれど、東村先生はきっとこのシーンを描くのしんどかっただろうなとか思った。どうみたってかっこ悪くて、親不孝で、恩師不孝なよくいる女子大生。ご自身でもきっとそれは重々わかっていて(そういうセリフもよく出てくるし)、なのにさらけ出せるのが本当にすごい。

しかし なんで 若い時って
出来るのに 出来ないフリ
しんどくないのに しんどいフリ
楽しいのに 楽しくないフリ

心臓から出血したかと思うほど、痛かった。

はい、それは間違いなく今のわたしです!!!
毎日たっぷり寝てたっぷり食べて、恋人とも友達とも会いたいだけ会って楽しいことをして遊び呆けているくせに、何を悲劇のヒロインぶっているんだろう? 「書けない」じゃないよ書いてないだけ、ていうか書きたくないなら書かなくていいよ。第三者だったら今のわたしを見て絶対にそう言う。いったい何がしんどいの? 誰も見ていないのに、恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

夢追い人であろうとするあまり、そして追い続けられる人に憧れるあまり、言い訳する力がぐんぐん育ってしまったみたいだ。
夢追い人であり続けるのはしんどい。がんばっている人を目の当たりにするのはしんどい。それは紛れもない事実なんだけど、そんな自分をなんとか正当化しようとするあまり、いつしか言い訳まみれのクズ大学生になってしまったというわけだ。わかってるよ、わかってるんだけど全力で背けようとしている顔を、ひっつかんで前を向かせられたような気持ちがした。

でも、一番好きなのは最終巻のラストだ。
今は亡き先生に向けて、アキコが語りかけるシーン。

だって描くしかないじゃん
そのために生まれてきたんだもん
絵を描く人間はみんな
そのために生まれてきたんだから
下手でもなんでも描くしかないよ
ずっと 死ぬまで
ねえ 先生

この言葉を目にしたとき、泣けて泣けてしょうがないわたしは、やっぱり書く人として生きていきたいのだと、死ぬほど思っているのだと思う。

絵を描く人間はみんな
そのために生まれてきたんだから

文章を書く人間は、
みんなそのために生まれてきたんだから。

こうやって「書くこと」に向き合うのは、いったい何度目のことだろうか。
大学生になってからというもの、もちろん今も、わたしの根底にはずっとその葛藤が渦巻いている。こうして「書くこと」について書くのも、もう何度目になるかしれない。

わたしは、まだ「そのために生まれてきた」といえる境地に達していない。全然、まだ達していないのだ。
だから、もっと考えても悩んでもいいのだと思った。少なくともそう思える日が来るまでは。死ぬまで思わなかったとしたら、たぶんわたしはもっと別の理由のために生まれてきたんだろう。それはそれでまあ、納得できる気がするから。

きっと何度も読み返すことになるのだろう。
すべての夢追い人、そして夢追い人を追う人に読んでほしい作品です。

自分の掲げた夢をこじらせている人へ。
とてもよく効く作品を二つ、紹介しました。
それも、のど飴みたいにやさしく癒してくれるタイプじゃなくて、太い針をぶっ刺されて痛い痛い注射をうたれるような感じです。

でも、痛いぶんだけよく効きます。

自分の掲げた夢を保つのがしんどい人へ。
わかる。の一言です。
しんどい無理いやや見たくない! で、一旦逃げ出したとしても、どこかで罪悪感や無力感に駆られてしまうのであれば、たぶんいつか戻って来ることになるんだと思う。逆に逃げ出してなんにも思わなかったならば、それはあなたがそのために生まれてきたわけじゃなかった、っていうだけのことで。なんにも後悔する必要はないし、別の道を見つけたらいいだけなんじゃないかと思うのです。

少なくとも今のわたしは圧倒的に前者なので、この先逃げ出さないことはたぶん絶対無理だけど、なんとか行きつ戻りつしながら書く人を目指したいと思います。

この素晴らしい作品たちにこれほど心動かされた、っていうその事実があるだけで今は、ああ書く人に憧れていて良かったなあと思う次第です。

絶対に無駄なことなんかない。


#エッセイ #コンテンツ会議
#小説 #火花 #漫画 #かくかくしかじか

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