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あるのかないのかダイアリィ

 日はまた体調がよろしくなかった……といっても職場の付き合いに臨んでのことだから、いつものロンリー不摂生とはちょっと違うよ、ということにしておこう。誘われないと行かないものの誘ってもらえるのはありがたい話なので、たまの酒宴も悪くない。ちなみに飲みすぎてもひどく調子が悪くなるだけで奇行に走ったり記憶が飛んだりしたこともないので、すべてを忘れるためのツールとしては酒はあまり効果がないようだ。ま、何事もほどほどがいちばんなのだろう。

 気がない時にすること、というかできることは何となく限られていて、ある程度復調してくるまではせいぜいモニターを眺めているのが精いっぱいだ。PCよりはテレビがラク、しかしテレビよりはゲームの方が多少なりとも『何かしてる感』は出るのでゲームに走ることが多い。それでもあまり集中力を消費せずほぼ惰性で続けられるような……となると限られた中でさらに限定的になるのでとりあえずシレン6の武器強化にとぐろ島をうろついていた。まあ、ものすごい有意義な時間とはならないといえ、まだ進んでないイベントもあるし、すべての事象はそれが真に必要なタイミングで成されるので今日はそういう日なのだ多分。とか言っていたら昔の恩師よろしくせっかく鍛えた火迅風魔刀を危うくロストしかかったのでやはり何事もほどほどがいちばんなのだろう。

 の他の時間はといえば、日中はほとんど横になっていた。少し部屋を暗くして、軽くふとんを掛ける。窓際のベッドの上でにわかに強まる雨の音を聞きながら、ぼんやりと何も考えなかったり考えたりしていた。雨音と冷蔵庫の駆動音くらいしか聞こえない静かなひととき。別にすぐさま死ぬつもりは無いまでも、いざその時が来れば似たような状況のような気がしないではない。ひとり静かな部屋、病院か自宅かの違いくらいあるかもしれないが。
 今際の際になって今世を感謝で締めくくれるか、そいつはまだちょっとわからない。できれば孤独死は避けたいといえ、人はみんな一人で生まれて一人で死ぬ、寂しいくらいが丁度いいんだ――と漫画『哲也-雀聖と呼ばれた男』の中に書かれていた気がする。たとえ誰かが隣にいても体験できるのは自分だけ、と考えると人数の多少もそんなに関係ないのかもしれない。天国やら地獄やらいうやつも、実際のところはあるのかどうか不明確だから極論どっちでもいいといえる。すべては闇から生まれ闇に帰る、ってナウシカも言ってたし。

 れこれと哲学めいた思索ごっこを繰り広げるのも生きてる醍醐味と言えないでもない。そういうことを考えないで生活できるのは大変幸福で結構なことだが死ねばそれまで、ちょっと早い終活みたいなノリで人生の終え方みたいな事を考えてみるのもたまには悪くはない、と思う。だがしかし小耳に挟んだウワサによるとヒトは脳の自殺スイッチを入れてしまうと生きている間は解除できない、ということらしいので、やっぱり何事もほどほどがいちばんなのだろう。


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