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いつまで青春を謳歌するか

 キラキラ輝く夢や希望、それを語る言葉。強烈で華美な刺激、燃えたぎる情熱。そういうものから一定の距離を置くようになったのは、いつからだったろう。
 若いうちはそれでも良かった。それしか知らなかったと言い替えてもいい。理想とする未来に、どこまでも邁進していけると、誰もが信じていただろう。テレビの画面やニュース記事で取り上げられる仄暗いニュースは、自分にはそれほど関係ないと。

 では、歳を重ねてみて、どうか。
 自分の意思だけではどうにもできないことだってある。描いた理想に進むことはできても、近道はない。いや夢や理想を語れるだけ幸せで、日々をやり過ごす以上の余力がない……なんてことも、ごく普通にあるだろう。
『ただ生きているだけでも、結構しんどい』そう考えたことは、本当になかっただろうか?
 青春とは心のあり方である、心の持ちようである、などと説く者もいるが、では青春時代と同質の勇気やら希望やら冒険心やらが持てなくなったとか、ある程度の『安定した生活』のうえで人生を送りたいと考えている『大人』たちは、ただ老け込み、老いていくだけの人だろうか。
 そんなことはないだろう。

 きらびやかで清新な言葉で語られるものではないかもしれない。しかし、怖いもの知らずの無鉄砲でも、根拠のない自信でもない、経験によって培われた知恵と力、経験に裏打ちされた自信があるはずだ。挫折を経てなお、あるいは挫折を経たからこそ灯った、心のより深い場所で静かに光を放つ情熱の炎だって、きっと。
 春が過ぎて他の季節が巡るように、青春が過ぎれば朱夏が訪れ、やがて白秋が、玄冬がやってくる。試しにウィキペディアで『青春』のページを開くと、

「青春」以外が人間の年代を表す言葉として用いられることは、一般的な用法ではない。

  なんてことが書かれている。事実その通りだが、そんなものは結局『青春』という言葉から想起される『若さ』や『活力』であったり、またそのような充実していた日々に対する『あこがれ』を過度に有り難がった先人たちによって作り上げられた、偏った文化ではないか。季節が変わっていくように、それぞれの年代において変わっていく『今』を楽しむのだって、悪い生き方ではなかろう。

 別に『幾つになっても青春だ』といった在り方に異を唱えるわけでない。ただ、そのような若かりし頃の心持ちにはなれそうもない私のような人もおられよう。あるいは、年齢にかかわらず。
 真に貴ぶべきは『青春』ばかりではないよね。

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