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「ごちそうさま」のブーメラン

「ごちそうさま」は日本語の中でも「いただきます」の次に好きな言葉かもしれない。食物を育ててくれた人、食物を届けてくれた人、料理を作ってくれた人、テーブルまで運んでくれた人、この一皿に関わってくれた全ての人への敬意と感謝が詰まっている。(ちなみに「いただきます」にはこれから始まる食事の時間へのワクワクも詰め込まれているから、「ごちそうさま(あぁもうなくなっちゃった)」の寂しさに比べて1点リード。)

外国語には同じような言葉が見つからないのも(「いただきます」「ごちそうさま」両方)なんだかおもしろい。だからこそ、日本人に生まれたからには積極的に人生の中で使っていきたい!そう思っている。

1回でも多く人生でこの言葉を使いたい!だから「ごちそうさま」と言って必ず飲食店を出るようにしている。

チェーン店なら「ごちそうさま」だけでも充分かもしれない。けれど、個人店とならば「ごちそうさま」に付け加えて、「〇〇がおいしかったです」とか「〇〇の香り良かったです」とか、加えて「また来ます」とかを必ず言う。食事を提供してくれたことに対する感謝の気持ちを込めることと、私自身のあれこれの感想をブレンドする。私なりの「ごちそうさま」アレンジ。

もし自分なら?を考えてみて、このアレンジに達した。純粋にお店の人がうれしいと思ってくれたなら、私もうれしいから。

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先日、大好きな人と甘味処に出かけた。味には人一倍敏感で、グルメなその人を、自分の"とっておき”と思っている店に連れ立っていくのは少々ドキドキした。

餡子が苦手だけれども「ここのは特別」と私が思うその店は、その土地を訪れた時に"必ず訪れるリスト"のひとつになっている。餡子嫌いの私に革命を起こした店だった。同じく餡子が苦手なその人にも、その味に共感して欲しくて、バスに揺られてゆらゆら30分かけて訪れた。

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甘すぎず、豆の風味を上品に感じるその餡子は、一瞬でその人の心と舌を掴んでくれたようだった。「これならいけるね」そう答えたその人は(口数が元々そんなに多くないことに加えて)黙々と、そしてじっくりと味わいながら苦手だったはずのぜんざいと羊羹を完食した(私は羊羹と氷ぜんざい、もちろんペロリ)。

そんな彼が、お店を去る時「ごちそうさまでした。本当に、おいしかったです」そうお店の人に伝えていた。その時にこの人は、目には見えないけれど私と「同じもの」を大事にしている人だと気がついた。『ごちそうさまアレンジ』ができる人だ、と。

そしてさりげなくしたためていた「おいしかったです」は作り手だけでなく、お店を紹介した私の気持ちもうれしくしてくれた。

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言葉は時にブーメランのように跳ね返ってくることがある。悪口をいえば自分の悪口が、相手に敬意や感謝を伝えれば、自分にも同じく温かい言葉が。私はそう思っている。

ぜんざいを私は作っていないけれど『ごちそうさまアレンジ』が自分にも跳ね返り届いた。その日の午後は、満腹のお腹と、幸せな気持ちいっぱいで過ごしたのを覚えている。だから、これからもじゃんじゃんと「ごちそうさま」と言っていこう。またきっと「ごちそうさま」が誰かを、私を、大切な人を幸せにしてくれると私は知っているから。


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