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紫がたり 令和源氏物語 第百十話 須磨(十七)

 須磨(十七)

須磨の浦に厳しい冬がやって来ました。
覚悟はしていたものの、過酷な冷気が海から吹き上げてくる様子に、みな心まで凍てつくような思いです。
源氏はまだ夜も明けきらぬうちから読経を始めるので、明けてゆく冬の海をぼんやりと眺めていました。
千鳥が群れをなして鳴きながら渡っていく情景がどこか温かく感じられます。

友千鳥もろごゑに鳴くあかつきは
       ひとり寝覚の床もたのもし
(千鳥の声が響く明け方の目覚めは慰められるものだ。私も独りと思っていても、忠誠を尽くしてくれる者達がいるのを思い出させてくれるから)

“千鳥”という鳥は存在しません。
小型の水鳥たちが群れを成している情景のことを“千々の鳥”として、万葉の時代から歌に詠み込まれてきたのです。
冬の寂しい浦にあって、愛らしい水鳥たちが群れる様子に古の人達は情緒を感じたのでしょう。
側近の惟光や良清、その他の従者は源氏が自分達を千鳥になぞらえて感謝の念を表していることに深く感動していました。
白い簡素な直衣を身につけた源氏が黒檀の数珠を握り締めて佇む姿は以前にも増して神秘的に輝いておりました。

年が明けると、都では例年通り春の除目(じもく=官位の認定)が発表されました。
右大臣は太政大臣となり、これ以上はないほどに上りつめました。
源氏の親友三位の中将は優れた人材で右大臣家の婿ということもあり、しばらくぶりの昇進です。
宰相という重い地位を与えられましたが、本人はまったく仕事に張り合いが見いだせず、つまらなく日々を過ごしておりました。
「私がいても国は太政大臣の思うとおりにしか動かん。やってられんよ」
と、見咎められない程度に出仕しております。
中将はもう久しく顔を見ていない源氏が懐かしくて、何もやる気が起きないのです。
この人は好敵手がいてこそ己を鼓舞して高めていくタイプなので、一番の公達という風になってしまうと目標を失ってしおれてしまうようです。
心にあるライバルは常に源氏のみ、あの人より優れた人はそうはいないのだよ、と遠く須磨の浦に思いを馳せるのでした。
「よし、決めた。後で何か言われたら、それはその時だ」
ぴしりと扇子を畳むと宰相の中将は側近を傍らに召して、何やらひそひそと耳打ちをしました。

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