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紫がたり 令和源氏物語 第百八十六話 朝顔(四)

 朝顔(四)
 
源氏は真剣に朝顔の姫宮との結婚を考え始めておりました。
世間というものは当人の気持ちなどおかまいなしにそれと興味惹かれることを噂話として吹聴するものです。
なかにはまったくのデマもあれば的を射るものもあり、今回の噂話はどうやら後者のようでありました。
「源氏の大臣が先の斎院に求婚しているそうだぞ。女五の宮もこの縁組は大賛成ということだ。たしかにご身分からいってもお似合いだなぁ」
などと、人々が声高に噂しあうのです。
その話はすぐに紫の上の耳に入りました。
まさかそのようなことが、と紫の上は狼狽しました。
須磨・明石へと引き裂かれ、逆境を共に乗り越えて、源氏とは強い絆で結ばれているという自信があったので、よもやそのようなことはないと考えていたのです。
あの明石の上とのこととて包み隠さず紫の上に打ち明ける君が先の斎院を娶ろうとしているとは俄かに信じられないのでした。
しかしよくよく源氏の行動に留意してみると、なるほど近頃心ここにあらずといった体で庭を眺めていたり、そわそわと落ち着かない素振りがみられます。
噂はどうやら空事ではないと思い当たるのも情けなく、紫の上の心はまた不安に晒され、暗く塞がれるのでした。
先の斎院は朝顔の姫と源氏がお呼びし、昔から想いをかけている御方だと紫の上も承知しております。
しかし姫宮が結婚を承諾されなかった、という源氏が得られなかった恋のひとつでもあります。
紫の上は手に入らないものにこそ執着する夫の気性をよく知っているので、もしや姫宮との結婚を真剣に考えているのでは、と直感しました。
少女であった頃から源氏は紫の上を通して誰か他の女人を見ているように思われる節がありました。
それもまた得られぬ恋のひとつだったのでしょう。
まるで自分の虚ろを埋めるように女人たちを求める源氏が、周りも歓迎している今回の話に心を動かされぬはずがありません。
朝顔の姫と紫の上は同じく皇族の血を引いておりますが、世間的にはどうしてもあちらの方が高貴であられるように扱われております。
それは紫の上が世に知られることもなく源氏の妻になっていたことから、宮家の血を引いているとしても所詮は母親の身分が低い出であるから、と軽んじられてしまうのです。
一方、朝顔の姫宮は斎院まで勤められた御方です。
源氏が朝顔の姫宮を娶れば世間はあちらを北の方と見るでしょう。
今更ながら頼りない我が身が情けなく思われますが、それよりももっと気に懸かることは、小さな姫を取り上げられるようなことになったら、と考えると心が乱れてならないのです。
一般的に正妻の北の方の御子として養育されてこそ、重く尊く扱われるのが世の常なので、姫と裂かれてしまう可能性もあるのです。
母としての気持ちが強くなっていた紫の上には、今となっては源氏という男が厭わしく感じられるようになっております。
源氏が朝顔の姫宮を娶ることはもはや何の悩みの種でもありませんが、もしも姫を取り上げられるようなことになったらば耐える自信がありません。
そうなればいっそこの世を捨ててしまおう、と密かに心を固め、縋るように祖母の形見の数珠を袖内で握りしめるのでした。

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