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言葉の羅列と、粒子の浮遊。

先ほどまで、ZOOMでオンラインミーティングに参加していた。
家族以外と久しぶりに話をした。
話すのが苦手な私は、わかりやすくテンパって、最後は手振り身振りと笑ってごまかすで流してしまった感があった。
まぁ、初対面の方がほとんどだったので。と、都合の良いように解釈しておく。

私は会話が苦手だ。
原因は単純で、人と話をすると緊張しすぎるのだ。じゃあ、引っ込み思案かというと、そうでもない。自分の意見はそこそこ持っている。持っているのにうまく喋れないから面倒だ。

「でも、文章は書けるよね」と言われる。
まぁね。

会話と書くことの違いといえば、「削除キー」「消しゴム」「新しい紙」といった、強力なツールがあるということだ。
私をフォローしてくれる、愛すべきツールたちだ。

言葉の羅列と、粒子の浮遊。

ミーティングでは、「ロジカル」と「感性」といった言葉が飛び交っていた。人の傾向として、「論理的思考」と「感情的思考」に大別できるという前提で話が進んでいたのだ。

logical=論理的
〔対義語〕  emotional=感情的 ・ intuitive=直感的

「言語化」という言葉も絡めた会話の中で、論理的なものは言語化しやすいけれど、感情的なものは言語化しにくいという思いが大きくなった。

感性で生きている私の中で浮かんだのは、論理的思考は、言葉を羅列することによって視覚化できた状態。視覚化しているから、人に伝えやすい。
人は言葉をツールとして生きているから。

じゃあ、感情とか直感はどのように表せば良い?
喜怒哀楽の4文字で十分か?またはそれに似た言葉なのか?

いや違うと思い、感性で言葉にしたら「粒子」というものになった。

感情も言葉にできるけれど、言葉では足りないと思うことはないだろうか?
粒子が浮遊して、その状態が言葉になる前に涙になったり、表情に出たりする。

感情が湧き上がる。
粒子が浮遊する。
そして身体が反応する。
それは、人間が言葉を手にする前からあったものだ。

そうして最終的な思いに至る。
この、粒子が浮遊している状態を体感している時。
そこに、私は自分の価値を感じる。

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