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人に本来宿る「靈性」を呼び戻す 『日常=祈り』

はぁい、ゆかりです🙋‍♀️
すっかりお久しぶりな更新です。
暑いかと思えば急に寒くなったり、1日の中での気温差の大きさに身体が驚いたり、な日々ですね。
いかがお過ごしでしょうか?
この夏の終宴として新たに始めたジャーニーの「学び 3.0」をシェア✨
日が空いての6回シリーズの予定です。

【スピリチュアル・インテリジェンスって?】

『Human Potential Lab』プレゼンツの新講座初回受講。
現代の3大タブートピックのひとつとも言える「スピリチュアル」。

IQ、EQは知ってるよ、って方も多いのではないかな。
そこを超えた叡智「SQ」の探究をガイド、ナビゲーター、参加者で共に学び合う「学び 3.0」スタイルの新世代型講座。
提供する者される者、教える者教わる者、の対等でない関係性を突破したスタイルは私自身の在り方にもスーパービンゴ!

自己探求の道(インナーコスモスジャーニー)に他者とのダイアログや、フィールドダイナミクスが交わり合って、新たな世界観を生み出すプロセスワークを体感する悦びに心震える体験なのです。

そもそも。
「解を得る」タイプの講座ではなく。
自らの魂に問いかけて、対話の中で肚落ちを得る」講座。
皆で各々内的探究しそれをシェアする。

1回目は「山伏」星野先達がナビゲーター(スピーカー)。
人生で「山伏」なる方と触れ合えるなんて予想だにしなかった。

1回目参加の最終シェアで発した私なりの「スピリチュアル・インテリジェンス」とは?
この記事の表題の通り。
『人に本来宿る靈性を呼び戻す』知性、智慧、叡智のこと、かな。
自分の日々のプラクティス(実践)は、私が日々日々感じて取り組んでいることを更に深化(進化、神化)させていくこと。
それすなわち、日々の『祈り』心と身体と魂を丁寧に込めること。

【星野先達の教えから得たインスピレーション】

私たち日本人はそもそも、本来は霊性(スピリチュアリティ)高い民族である。
戦後、その日本人の精神性を恐れたGHQによって抑圧されたさまざまな文化や習慣、伝統、心意気が、あるという話も散見しているもよう。
近代化し利便化が進み、技術的なことや物質的な豊かさへの盲信や目に見えるものしか信じられないという愚鈍さを身に付けた私たち。
そのことが決して悪い、ということではなく。
得ている恩恵やメリットも十二分にあることも、また真実ではあるものの。

壮絶なる違和感を覚えている人も多いのではないでしょうか?
そもそも私たちが「知っている」ことなんて、ほとんどなくて。
単なる錯覚や思い込みや集合無意識的な観念、操作的な教育や環境によって、「自分の頭で考えているつもりになっているだけで思考停止している」状態である、となかなか受け入れ難い、ということも往々にして私自身も「わかっているつもり」であるのだ。
言い換えると「知っている」と思っている状態であるということを知っていると知っている。

そして私も含めて現代人は非常に残念なことに、「直感」と「思考」を混ぜこぜにして取り違えてしまっている。
女性性的な直感、インスピレーションと「思考」の区別ができておらず、ということはつまり。。。

見えない世界のところは、「思考」を働かせても何の役にも立たない。
それ自体を恐れて、目に見えない世界を「怪しい」の一言で切り捨てる人が多いのも頷ける。
単に「理解できないから怖い」というだけである。
頭で理解できるわけが、ない。
それは「感じること」なのだから。

かくいう私も、頭で納得できないことへの抵抗感や拒絶を経験して、ずっと「感じているもの」を抑圧してきたので、その辺りの心境は通ってきた道としての理解をできるのも然り。

ただただ「スピリチュアル」は特別なものでもなく、否定して排除すべきものでもなく、いつも私たちと共に在る
感じようとしていないだけで、つまり潜在的に奥に埋もれてしまっているだけなのだ。

『学び<氣づき』の星野先達のお話と在り方。
共に過ごさせていただき、知恵のシェアリングに感謝と感動。

特に「日常が祈りである」という件では、自然に頬に涙が伝う。
胸の奥側から湧くあの感情は、なんという名前を付ければ良いのか。

『うけたもう』=「委ねる」で生きること。
私の名前の持つ、言靈のエネルギーテーマとのリンキング備忘録。
ゆるし、緩む、ゆるまる、委ねる、ゆらぐ、揺れる、ゆっくり、ゆったり、癒す、湯(水)
涙の意図、理由も魂が知っていて感じてくれているから、身体が反応してそれを教えてくれている。

【インナーコスモスジャーニー】

新たなジャーニーに加えて。
過去『Human Potential Lab』がリリースしていた講座、現代3大タブートピックの他の2つとして。
『性』『お金』のジャーニーに、没入してみたくなった。
なんたる深くて、人間と密接し切り離せないテーマであることか。
『スピリチュアル』と対極のような全くもって現実的で物質世界を象徴する2大テーマ。
人間として地球に生きている上で切り離せないテーマなのに、ほとんど目を向けず、ともすれば「穢らわしい」ものとして頭の隅っこに押しやっていたテーマ。
汚い、とは何事か。
いのち在るということは、『性』がなければ成り立たない。
「性=心が生きる」と書くではないか?
『お金』がなければ、現状の生活も成り立たない。
つまり、取り組むのが難しく、取り組めばパラダイムシフトどころか覚醒が待っているという、大きなテーマである。
シーカー(探究者)としてジャーニーのしがいのあるテーマです。

「怖いなぁ、しんどいなぁ。」と正直、思う。
私の敬愛する心理学者であるお二人、ユングや河合隼雄氏も言っているが、「自己実現」は重くて取り組み難いテーマである。
決して輝かしい煌めいた成長の世界というわけでなく、そこには自らの深い傷や見たくない自分(シャドウ、モンスター)との対峙や対話がしっかりと鎮座していたりするのだ。

でも。
それを知っていても、きっと、やる。
やると決めてきた、となんか知らんけど(←関西人よく使う表現w)感じている。

自己探求の道は、続くのね、どこどこまでもいついつまでも。
この器をいただいて、心を込めて魂に問い、魂が問うことに応える。
それを、やる。
何のため?目的はどこにつながり、私は何を紡ぎ響かせるのか?

それすらもひとつの問いで、私は道の途中に、ぽつんと在る。

【結びに】

目に見えぬ世界のことは、実は。
幼少期からずっと自分のテーマであって。
過敏だった私は、自分の性質を恐れ、自分で「病気、障害、頭がおかしい」と抑圧してきた。
異端で異質だと自分をジャッジしていて「普通でありたい。みんなと調和したい。」と心を注いでいた。
いつしかそれ自体が普段の自分になり、目に見えぬ世界の感覚を無視するのもうまくなるが、それがないことには完全にはできず自分で自分を苦しめて苦しんだ。

だけど、今やっと良い時代になってきた。
表現しても大丈夫な時代になってきた。
私が「変」で「異端」ではないと理解できてきた。

ただしその副産物として、声の大きい一部の発信者が作り上げるステレオタイプもいまだに大きい「スピリチュアル」な世界。
本来特別なものでなく、誰もが持ち合わせている感覚なのに。
「新興宗教」「オカルト」「怪しい」「詐欺」的なニュアンスすら内包しているように誤解・曲解して使われるワードでもある。
私自身も実際に旧知の人からの言葉や態度に何度も涙を流しても来た。
それでも「在るものは在る」のだから仕方ない。
抵抗や抑圧を通ってきたからこそ、気づきがあった。
その否定的批判的な旧知の人たちも例外なく普通にスピリチュアルな存在である。

言語化と自己開示がここまで進んで感謝
昨夜のこの講座での体験。
それと今日、自分の提供しているプロジェクトのメインメソッド開発者である敬愛する師のセッションで、感覚を言語化して吐露できたからかな。
ありがたきこと哉。

ここまで読んでくださったあなたも、もれなくスピリチュアリティ溢れる崇高な存在です。
ありがとうございます。
日常のスピリチュアルは、仕事の中、家事の中、挨拶やあなたの呼吸の中にしっかりと根を張っています。
ただ単に、感じるだけです。
心をオープンにして「うけたもう」でいるだけです。

生きとし生けるすべてのものが、より豊かな生を自ら創って感じていけますように。

追記)そう言えば過去記事でスピ的な自己開示をしたことがあったのでリンクを貼ってみます。
 ちょっと前なのに懐古的であり繰り返す感情でもあり、ほろっときます。


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