見出し画像

妹と暮らして見つけたこと

はぁい、ゆかりです🙋‍♀️
今月は予定外だったのですが、諸般の事情により急遽北海道へ飛びました。
一週間、久々に姉妹で同じ部屋、同じものを食べて共に過ごした時間や会話の中で妹によってもたらされた気づきがたくさんありました。
妹のプライバシーに触らない範囲で少しだけ綴ってみます。

【小さな妹、のままにしていたのは、私】

妹も私も大きく生まれて、私は標準的に育ち、一方妹はとってもスローペースで小さく育っていきました。

私の内側には、私の後を付いてきて自分では選択をし切れない妹、計画的にコツコツすることが苦手で行き当たりばったりな妹。
そんなイメージの小さな妹が存在していて。
妹の成長や変化をしっかりと感じて受け止めたり、そのままの姿を認めていなかった、と妹に気づかせてもらいました。

あまりにも小柄だった妹は、可愛がられることも多かったのですが。
その逆の経験もたくさんしてきています。
つらかったり悲しかったりを、妹なりに消化して、そして今が在るのに。
そこを私は頭だけで処理して、感情面が未完了だったな、と。
妹に対しての心配や不安や感情面をそのままぶつけること、ってきっと。
無意識に妹をコントロールしようとしていたのだ、と気付かせてもらいました。

妹の話す内容は、私からすると「ん?」と思うことがあるけれど。
同時に妹からすると、私の話は「はぁ?」という感じなのだ、ということもすごく感じました。

私にはほとんど記憶はありませんが、1歳半児の私はすでに妹のお世話に勤しんでいたらしく。
幼少の頃の写真を見ると姉妹一緒に写っている写真が非常に多く、仲良さげな雰囲気。
成長の過程でいつしか妹を疎ましいと感じたり、価値観が合わないためか話をすることに疲弊する、とジャッジしたり。
なんだかいろんな思いが寄せられてきて、結局は自分の内面課題が明るみに出てまだまだ向き合うテーマがたくさんあるのだな、という再発見。
ありがたいことなのか、しんどいことなのか、分かりませんが、それも自分の未熟さをただただうけたもう、ということなんだなぁ、と。
そんな感じなんです。

【妹との生活】

妹の日常で、一人ではできないような妹の希望を叶えたり。
運動を共にしたり、話をしたり。
妹が日常では食べないものを私がいるからという理由で分け合って食べることは、私にとっても嬉しいような体験。
どんな風に生活しているかがわかると、安心する面ともやっとする面の両面もあり。
社会的、経済的、身体的にいろいろと大変だろうけれど、でも一人で工夫して毎日を過ごしているのだ、とわかっただけでもよかったなぁ、と思わなくもない、いやはやでもな、、、みたいな頭が忙しい感じ。

私が妹にしようと思っていた魂振りやヒーリングは、「普通のマッサージの方がいい。なんかいや。」と不評でしたが、それも私と妹の価値観が「違う」というだけなんだなぁ、と。
天然石ブレスレットのアチューメントは嫌がらずにさせてもらえたので一安心。

妹の住まい周辺は平坦な道が多く、徒歩圏内に商業施設や公共施設も多くあり、便利な環境ではありました。
そんな中でも緑や公園もとても多く、のんびりとのどかな感じも。
ただ、空港や自衛隊基地の音は、結構すごくて。
妹が騒音に対してイライラしている様子もよくわかる。
長きには暮らせないな、と感じたのですが、妹もずっと住むわけではない、とも思っているみたいで。
神戸には戻らない、と決めていたみたいだけど。
実家に妹の私物が一部屋満載にあるのは、一体どうするつもりなのかは、謎のまま。

お互いに感情的に言い合ってケンカしたり、ひとつのものを分け合って食べたり、同じものを見て楽しんだり、違うということですれ違ったり。
たくさんの体験が感情体験を呼び起こしてくれる一週間強の滞在となりました。

【ただ「違う」ということ】

同じ両親の元に生まれて育っても、しかも1年しか歳が違わない同性でも。
私と妹には、分かり合えないことが本当に多いこと。
性格や考え方、興味関心もまるで「違う」。
そりゃそうだ、別の人間だもの。

でも本当に。
ただ単に「違う」というだけ。
私には「分かり合いたい」「分かち合いたい」が強くあり、けど同時に「分かち合う」ことはできるが、「分かり合う」は無理なんじゃないか、という思想があって、まだ葛藤を残したままだったり。
「分かり合えない」は別の次元に超えていける、とも思っているのですけど。
対して妹は「わかってほしい」とかないし、「わからないのは当たり前」というような考え方が浸透していて。
なんとも実は精神的にしっかり自立しているのは、妹の方なのかもな、と感じました。

妹が最も大切にしている価値観は「楽しいことをする」ということ。
対して私は「深く考えること」なので、話し合いは大体険悪なモードになり、とても良い時でも並行線になりがち。
共に何かを経験するというところで見てみると、楽しい経験を分かち合うことはできる、という感じ。

で、遠慮なく感情的になっても、やっぱり姉妹なんだ、という感じと。
他者と関わるようにもう少し思いやりと建設的なコミュニケーションを心がけてもいいかもね、という感じもする。
答えなんてないけれど、何が正しいなんて全くないんだけど。
そのほうが心地よいかもしれない。
ついつい意地を張ったり、自分の思っている「しあわせ」や「良いこと」を押し付けようとしたり。
妹は妹でしあわせに楽しく一人でやっていっているのに、私や両親が勝手にジャッジしていただけだった、と思い知らせてもらったな、って。

そして、ただ「違う」というだけのことなのに、それをこじらせて傷つき合ってきたな、って。
傷つけ合った、ではなく、あくまで受け手の受け取り方の世界だから、主体的に傷つくことを選択していた、と今ならみえるんだよな、その位置から。

私の視点も少し選択肢が増えて、ちょっとだけ視野が広まり、ちょっとだけ視座も高まった。
でもまだまだ、未熟者なりね。
教わること、学ぶことがたくさんあるなぁと感じました。

【結びに】

こんなに個人的な文章を最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。

全然しっかりしてないし、頑固な思考ぐせがあるし、家族に対して感情的になるし、そして後でモーレツに反省してクヨクヨする薄暗い性質なんですが。
でもまぁ、気づきが早く訪れるようになった自分にも気付いてもいます。
自分の中心からズレてもつれたものも、まっすぐに整える方法を身につけて、自分と向き合うこともできるようにもなってきています。
あかんところいっぱいあるねんけど、でもそれでも一生懸命生きているんだなぁ、私も妹も、みんなみんな。

そんな風に思うと、ダメなところを責めまくってクヨクヨするよりも。
その経験がもたらしてくれた宝物や気づきを大切にして、この自分でただただ毎日、生き切るんだ!って思えました。
妹よ、すごいな、本当に。
ありがとう。

心配事が完全に消えてなくなったわけではないのだけど。
一緒に過ごさせてもらえて本当によかった。
こんなに長文にしたためても、言語化しきれないほど、いろんな思いがあるのだけど。
またいずれ妹と分かち合えたらいいな、とそんな風に思いつつ締めくくります。

今日の自分は昨日の自分よりも、明日の自分は今日の自分よりも、きっとちょっとすてきに変化している自分なんだ。
私も、あなたも。

今日も全力で感謝!

この記事が参加している募集

多様性を考える

サポート、ありがとうございます💗 世界の子ども支援に大切に使わせていただきますね!!!