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人生の終焉までを17歳で決めろなんて酷すぎる。

珍しく、感情的に綴ってしまうかもしれないと一言断っておく。これは、この何とも言えない気持ちは、ちゃんと文章にしたいししなければならない。

この話は、つまるところ、大学進学についてだ。私は大学進学して低空飛行だったけれど卒業したし、また大学院の修士課程を目指そうとしている。一般的にはそれなりの学歴の人間が卒業した今になって受験や大学、キャリアについて考えた文章ということになる。

大学生をそれなりにやった

高校時代の私は、いろいろと限界だった。一刻も早く、実家から出たかった。でないと、本当にどうかしてしまいそうだった。当時を振り返ればそうなるのも仕方ないと思うが、このことが、後に影を落としてくるのだった。

大学時代の私は熱心な学生だったかと言われるとそうでもない。出席率は悪くないけど、さほど優秀でもない自分に気づいたとき、私は優秀でないなら、まあ、卒業できればいいやと目標を低くした。本当は優秀でない自分が許せなかった。でも優秀になるために何をすればいいのかもよくわからなかった。優秀でないなら程度の差なんてない。全部同じことだと思った。

優秀でないならいらないと、自分を殺してしまえたらきっとよかった。それくらい潔かったら、私はきれいなまま死ねたのに。

一方で逃避するように趣味に没頭した。とあるアニメのとあるキャラを推すこと。そのためにバイトした。貯めたお金でグッズを買ったり同人誌を買ったりした。バイトしながら、やってくる客が話すお金に見えたりしたくらい、お金のことしか考えていなかった。バイトに気持ちをこめるほどの時給が発生していないのだから当然でもある。

優秀でないなりに頭を使った結果が専攻に関係の深い授業ばかり取ることで、これのおかげで単位は問題なく取れた。大学は「単位取れそうな講義を受講する」という生存戦略が使えるところだ。

数学が苦手なら数学から逃げ回れる。専攻が苦手な分野のときは転学部とか考えた方がいい。専攻に特化していく大学において専攻が苦手、というのは致命的だ。

ピークが大学受験だったんじゃない?

そんな感じでどうにか卒業したけれど、大学院入試には落ちた。落ちた理由なんてそれこそいろいろあるし、究極は学力が足りなかった、の一言に尽きるのだけど、博士課程在学中の先輩に言われた言葉が刺さっている。

「大学に受かって家を出るってところがピークになってしまったんじゃない?」

努力とか、頑張りとか、そういうもののピークが、大学受験で過ぎ去ってしまった。

ああ、そうかと納得はいく。

私の勉強はいつだって家を出るためで、できるから好きなだけで、もっと言うなら私は学習内容でなく、私の出す成績を愛していた。そんなに悪くないけど突出していいわけでもない頭の出来に頼った、熱意のない、勉強。

それでも何とか大学まで入れてしまったのだから驚きと言えば驚きである。まあ熱意がなくても結果があればいいんだけれど。

専攻への興味がないわけではない。ただ私にとって学力とは振りかざし他者を踏みつけにし、自分の自由を守るためのものだったのだ。それでも私は必死だった。今を守るので必死だった。

高校時代の自分が最善を選び取っていなかったとは思わない。自分のために最善を尽くしてきた。私はそれを誇りに思う。私は私が生きるために選択したことを悔いたりしない。

ところが、"家を出る"という目標がなくなってみると私は思いの外無気力だった(抑うつ状態なのだからそれもそうだ)。風船の空気が抜けるみたいに、あっけなく気力はしぼんでいった。

大学は好きだった

気力がだんだん落ちていくなかで、私は大学が好きだった。大学は、高校までほど人間関係を強制されなかったから好きだったという消極的な"好き"だけど。いや勿論出会った教授陣も好きだし、仲のいい同期もいたけど、大学を好きだった理由のメインはそこに尽きるのだ。

高校までのクラスでの学校祭とか体育大会とかそういうものが憎くて仕方なかった。大学ではそれらは自由参加のものに変わる。私はそれらの運営に参加することなく、学校祭は気が向けば行き、ごはんを食べる程度の関わりをしてきた。それが可能だから、大学を好きだった。

書けば書くほど、「えっそれあの大学である意味あった?」となる話である。要は婚活で「年収1000万以上なら誰でもいい!」と言っているのと変わらない。条件を満たせば誰でもいいと言われて嬉しい人はいない。

キャリアについて何も考えられなかった

抑うつ状態、何も考えられなくなるし当然だとしか言いようがないのだが、漠然と「大学院に行こう」と考えていて、その先のことはあまり考えていなかった。というか考えられなかった(抑うつ状態はもう既に始まっていたと考えられる)。

卒論の指導教官に「今言うのか」という時期に「(研究)向いてないと思うよ」と言われても、もう考えがまとまらなかった。日々生きるだけで精一杯だった。

こんなはずじゃなかった。キャリアについて私は熟考してきたはずだったのに。どうして今こんなに行き詰まっているんだろう。そんな考えばかりが浮かんでは消えて、文章にすらならなかった。文章にすらならないなんて、相当重症である。疲れていたんだな、あのときの私。

あまりに酷だ

それにしたってこの社会は酷である。17で自分の進路を決めねばならない。何もわかっていないのにわかったような気になって、進路を決める。それが間違っていたとしても軌道修正をはかるのは難しい。

大学を出た私が一つ言えるとすれば、得意なことを伸ばして、上を目指すのは決して無駄じゃないということ。それだけだ。


執筆のための資料代にさせていただきます。