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本当に"小4で人生は決まらない"か

先日、こちらの記事を読んだ。

絶望の事実

まず最初のnote。初読で感じたのは"絶望"だった。私はたしかに弱視で、大人になってからわかったASDだが、小学校のあのカラフルなテストで絶望的な点数を取るなど想像したこともない類いの人間だ。つまり学校において勉強では強者だった類いだろう。運動は散々だったが。だからこそ、驚いた。

この状態の子を救うにはどうしたらいいのか。私には正直言ってわからない。ただ、四則計算もできない大人が増えてしまうのは本当によくないと思う。

その人にとっても、社会にとっても。

それでも現行の制度のままなら話に出てくる少女は中学までは卒業するし、運良くどこかの高校、大学に行けるかもしれない。

でもそれって、運が良ければ、の話である。もっと具体的に言うなら家にお金があるとか、都会に住んでいて進学の選択肢が多いとか、そういうことだ。

そんなもの頼りで人生が決まってしまう現在は正しくない。中学校を卒業すれば皆が簡単な英語を扱えて、ある程度の文章を読み、方程式を解くことができるはずである。教育とはそれを保証するためのものなのだ。

だが実際には出席日数すら関係なく、在籍するだけで卒業できてしまう。

その辺りに問題があるのかもしれないな……絶望的な社会だな……と思いながら最初のnoteを閉じた。スキをつけて閉じる以外、できることなんて何もなかった。

それでも何とかなるという意見の無責任さ

次のnoteを読むと、よんてんごPさんには様々な意見が寄せられたことがわかる。そのなかでも「自分もそうだけど何とかなっている」という意見にはどうしても「運が良かっただけじゃないですか」と言いたくなる。

もちろん高卒や中卒でも起業して稼いでいる方というのはいるし、私より学校の勉強ができなかった知人は今働いて元気に生きているし私はと言えば療養中の身だ。人生何が起こるかわからんな……というのを今まさに体験している。

それでもこの国というのは学歴社会である。そして学歴によって所得に差が出る。私だって転職を試みた際に転職エージェントに「学歴がいいから書類通りやすいですよ」なんて言われた。

私は学歴と学力に助けられて今何とか生きている身だから余計にそう思うのだろう。でも、"運が良かっただけの話"を「だからその子も大丈夫」なんて語ってしまうことには危機感しかない。

障害を見過ごすことの罪

また、少女には何らかの障害があるのではないか、という意見も寄せられていた。これを読んでいて、大人になってからASD(アスペルガー症候群)と診断された私は思うところがあった。

発達障害の診断というのは早ければ早いほどいい。何故なら早ければ早いほど、たっぷり時間を使って療育などの支援を受けたり、自分がどう人と違うのかを自覚してうまくやることを考えたりできるからだ。特に、子どもであれば、支援は大人より手厚い。

大人の発達障害などと話題になり、ASDの診断をもらった今でも、もっと早く周りの大人が気づいてくれていれば人生が違ったかもしれないと過去を呪う夜がある。

障害を見過ごさずに支援に繋げるためにも、就学前の健康診断で発達障害の検査をしたらいいのになと思う。それほどまでに障害を見過ごされて今になって発覚した"大人の発達障害"はつらいのだ。

おわりに

タイトルに自分で答えておくと、残念ながら"ある程度決まってしまう"と思う。

ではどうすればいいか、と言われれば具体的な案はないが、一斉に教室で授業をする、わからなくても進級させる、障害を見過ごす、といった現行の制度を変える必要があると考えている。

大人の発達障害が話題になっているが、これは大人になるまで見過ごされてしまった被害者の話だ。

最後に、どうかいい方向に教育が変わることを願っている。

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