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我が親戚? 「バン」のお話

生涯に渡り、私は図々しくも自分を白鳥の化身と信じ込んでおりました。「バン」というユニークな鳥に出会うまでは……。


※これは彩の国に生息している野鳥「バン」にまつわる個人的なエッセイです。

別所沼公園


幻の鳥


おかしな小話「かもだち」をお読み下さった方はご記憶にあるかも知れませんが、私は3年前に愛する「かもたち」や、楽しき仲間「かもだち」と別れ、古巣の神奈川を後にして「彩の国」へとやって参りました。

チョコレートの街でもある新たな地では、東西南北に水辺も含むお散歩ルートが果てしなく広がっています。
自宅から東へ少し遠出すると、背の高い木々や広々とした水辺が心地良い「別所沼公園」があります。とりわけ朝の木漏れ日や、水辺の木の枝や葉にキラキラと反射する水面の揺らめきの美しいこと!

ある朝、ここでふしぎな鳥に遭遇します。

ずんぐり丸っぽい漆黒の胴体から、長く黄色い脚がひょろりと生えていて、くちばしから額にかけて鮮やかな赤、くちばしの先端が脚と同じレモンイエローというコーディネイト。水辺の草地をのんびりした足取りで、ひょこ〜ひょこ〜と歩いておりました。
可愛いくも、どこか滑稽な姿が微笑ましく、すっかり魅了されてしまいました。

後日、バーダーの義兄に会った際に尋ねるも、肝心の写真がスマホ内に見当たらず、特徴も上手く説明できず、それは長らく「幻の鳥」とされました。


バンの瞬間移動説?


半年くらいして、厳選の上で入手した野鳥の本や義兄からの情報により、幻の鳥は「バン」であると判明します。

水かきはありません


普段は黙していますが、たまに「ケケッ!」とか、「ケケケケーッ!」と、対岸にまで響き渡る、かなり鋭く甲高い声で仲間に合図を送ったりします。それはどこか物哀しい響きを伴っているようでもあります。

鋭い鳴き声や、田んぼを見張るように歩く姿もあって、名前の由来は「水田の番人」から来るそうです。

長い脚を自在に操って沼地や水辺を歩いたり、捕食者から走って逃げたりするのは得意なものの、水かきがないせいか、潜水も泳ぐのもあまり上手でなく、首を前後にフリフリして推進力を得て、一生懸命前に進もうとする姿が何とも健気。

泳ぐ姿もユニーク


しかし空を飛んでいる目撃情報が、何故かないとのこと。謎です。瞬間移動でもしているのでしょうか?

あまり群れることはなく、つがいや、場合によっては一夫ニ妻といった夫婦単位、家族単位で水辺で暮らしています。上の子が両親を手伝って弟や妹の面倒をみるという、心優しきヘルパーの習性も。

私がそっと近づいても全く意に介さず、マイペースでひょうひょうとしている様子に親近感を覚え、何やら親戚のように感じてしまいます。
自分は優美な白鳥ではなかったか。実はバン族だったのか。己の実態を突きつけられた気がして、人生観も変わりました。


消え去った一族


こうして「バン様」は自分にとって、かつての「かも親子」に代わる貴重な存在となりました。親戚レベルなのに様づけは妙かも知れませんが、鳥頭の自分より偉そうで、何故か「様」をつけたくなるのです。

そして別所沼公園には、結構たくさんのバン様方が生息しておられました。
その公園には週1くらいで通うこともあれば、2、3ヵ月、足が遠のくこともあり、ある春の朝、久しぶりにバンたちにお目にかかりたく、いそいそと出かけてみましたら……、

いない。バン族が、どこにも見当たらないではないですか。
がっかりです。一体どうして? 
義兄に尋ねてみましたら、いともあっさり、

「北に飛んでっちゃったんじゃないかな」

哀しい……。
こんなことなら、もっと頻繁に会いに来るんだった。

調べてみましたら、バンは西日本では移動をしない留鳥ですが、冬場に池や沼が凍る恐れのある地域では、冬の間は暖かな地に渡る冬鳥なのだそう。つまり埼玉のこの地には、秋冬を過ごす為に北方から飛来していたのでしょう。

——  もしも私の親類が、ご近所にお邪魔していたら、どうぞ可愛がってやって下さいませ  ——。

これまでも我が「バン様」の自慢話をさせてもらっていた長野市在住の友人に、涙ながらに(←ウソ)メールで伝えましたら、翌日、彼女は自転車を30分も飛ばして、近隣の水辺にバンたちが飛来してやしないか見に行かれたとのこと。

——  市内の野鳥公園と遊水池に取材(と言うと聞こえがいいですね)に行って来ました。野鳥公園の池にカモたちが泳いでいて、ちょっと毛色の違うタイプが岸辺に上がって来たので脚を見たら水掻きがあり(笑)、バン様ではなさそうでした  ——。

画家でもある彼女、取材は絵の題材の為とはいえ、本気で見つけに行ってくれるとは! 我が親友ながら、何てメルヘンな人なのでしょう♪



取り残された幼鳥トリオ


さて、夏の間は街中がセミの大群に占拠されるもの。
お散歩ルートの公園もまた然りで、セミを恐れる私は野鳥散策をしばしお休みし、たとえ遠回りでも、極力セミに遭遇せずに済むルートを厳選し、ビクビクしながら買物や駅に出かける日々が続きます。
なので、セミ族が出没し始める前に緑地の見納めにと、もはやバンのいない公園に散策に行きましたら……、

バンの幼鳥が岸辺にいたのです! 

取り残されていた幼鳥


二羽います。親鳥たちは見当たりません。
兄弟でしょうか。幼すぎて飛ぶことができず、取り残されてしまったのでしょうか。それとも、私のように、ぼう〜っとしていて、気づいたら仲間においてけぼりされてしまったとか。
もしかしたら、まだ飛べない弟(あるいは妹)にヘルパーのお兄さん(あるいはお姉さん)が一羽だけ残って面倒をみているとか?

色々と想像してしまいました。どうぞ仲良くガンバッて育ってね、秋になってセミ族が姿を消してくれた頃(←失礼)、また会いに来るからね、と可愛い二羽にしばしのお別れ。

兄弟?


そして夏も終わり、いつしか秋も深まり始めた頃、しばらくぶりに別所沼公園を訪れました。

いました、いました。まずは一羽。身体は黒めになっていましたが、まだ幼鳥の姿を留めています。水際のフェンスの中です。
フェンス越しに、巨大な望遠レンズを備えたカメラを構え、夢中になってシャッターを切りまくっているおじさまがいます。


 【野鳥観察者の掟】
  撮影中のバーターには、
  決して話しかけてはならない


私はこの鉄則を守り、撮影がひと段落したのを見計らってから、そっと声をかけました。

「バン、ですよね?」
「そうです。まだ幼鳥ですが」カメラおじさまは嬉しそうに答えて下さいました。

「春に取り残されちゃったみたいですよね?」
「脚が悪くて、一羽だけ置いていかれちゃったんでしょうね」

「あれ? 私が見たのは兄弟らしき二羽でしたが」
「二羽? それは知らなかったなあ……。あ、ホントだ! 他にも二羽、やって来ましたね」

確かに手前に居た一羽は脚が悪そうです。

そうか、三羽いたのか、そうだったか、とおじさまが再びカメラを構え始めたので、挨拶して失礼した次第です。

そうか、三羽いたのか、そうだったか! 

有益な情報交換ができました。三羽で健気に夏を乗り越えたのですね。親たちも、そろそろ戻ってくる頃でしょうか。


バン語で必死に呼びかけるも……


白幡沼


それからしばらく経った昼下がり、今度は別所沼公園から1キロほど南東の、「白幡沼」という憩いの水辺に寄ってみました。人気があまりなく、大きな鯉がゆったり泳ぎ、かるがもたちが自由に泳ぎまわり、セキレイがチチッ、チチッと飛び回り、白サギがひっそりと佇んでいる、静かで小さなひなびた池。
ここでは時が止まっているようです。
様々な珍しい小鳥の声や、風が木々を揺らすざわめきなどに耳を傾けながら、ベンチに座って何もせず、青空の下、いつまでもぽ〜っと辺りを眺めているのが好きです。
その日も周辺に人影はありませんでした。

おや? あの子たちではありませんか。

バンの幼鳥が三羽、岸辺の近くを泳いでいます。
どうしてこんなところに? 飛んで来たの? もう飛べるようになったのかな? 
間違いなく、あの幼鳥トリオと勝手に確信するのですが、ほどなくして彼らは池の奥へとすう〜っと遠ざかってしまいます。

待って、私よ! 行かないで〜! とっさにバン語で呼びかけます。

「ケケケッ! ケケケケケーッ!」

残念ながら完全ムシでした。分かってもらえなかったかと少々がっかりしつつも、ふと一抹の不安を覚え、恐る恐る背後を振り向くと……、

自転車にまたがった年配の殿方が、言葉を失って呆然としています。

「今の、聞かれましたっ!?」飛び上がって、大うろたえてしまいます。

聞かれたか? と聞かれても、答えようがありませんよね?

「鳥と話してたんです! と、鳥語で!」
「鳥語……」おじさまが口を開きます。
「バン語です! どうもバンが自分の親戚のような気がして、つい親しみを感じて」
ああ、余計おかしな事を言ってしまったではないですか。

「親戚、ですか……」おじさまが仕方なさそうに笑いつつ、フォローして下さいました。
「あれ、バンなんだ」
「そう、バンです。まだ幼鳥なんですけど、春に仲間に置いてけぼりされちゃったみたいで」

「バンは『田んぼの番人』っていう意味らしいですね」などと、おじさまも話を合わせて下さり(頭のおかしな人と、恐らく警戒しつつも)、留鳥だから、どこそこの水辺に行けばいつでもいると思いますよ、なんて丁寧に教えて下さいました。

とはいえ、きっと怖がらせてしまったかも知れませんね。
あ、お読み下さってる方々も、怖がらないで下さいね。時おり、鳩やカラスと鳴き声を交わし合ったりもしますが(かなり正解にマネしているつもりです)、あくまでも人の気配がないのを見計らっての奇行ですので。
「この人は他人ですっ!」と叫んで、並んで歩いていた息子が突如、私の側から走り去っていくなんてことも、かつてはごく稀にあったりもしましたが。

それにしても、幼鳥トリオは、1キロほど離れた池から池へ、飛んで来たのでしょうか。それとも瞬間転送? 

あるいは私の勘違いで、全くの別人(鳥)トリオだった?

それが勘違いなどではなかったことは、後日判明しました。別所沼公園で見かけない時は、白幡沼で必ずや見かけるようになるのです。やはり密かに移動しているのでしょう。


家族が増えてました!


結局、別所沼にも、白幡沼にも、親鳥たちは戻って来ませんでした。そしていつしか幼鳥トリオも、立派な大人になっておりました。しばらくぶりに別所沼公園を訪れると、両親と幼子二羽の、4人家族が出来上がっていたのです!

昨年残されたトリオのうち、どの二羽がつがいになったのかは分かりません。もう一羽は、ずっと離れた反対側のエリアで水の上に佇んでいました。響き渡る鳴き声が哀愁を誘い、胸がチクリと痛みます。
それとも、たまたま仲間と離れていただけで、普段は一家とも仲良くしているのかも知れません。


子どもたちは身体の色こそ薄めの茶色ですが、既にだいぶ大きく成長していて、岸辺を自由に動き回っては草などをついばんでおりました。両親はつかず離れず、優しく見守っています。
私が少し近づいても警戒する様子はありません。公園生まれで人間に慣れているのでしょう。

一羽の幼鳥が、ぽちゃんと水に飛び込むと、親の片方も続いて水に入り、さりげなく様子を見ています。

それは東山魁夷の1枚の絵のような美しいシーンでした。



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