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「お菓子な絵本」18.スター・サファイア

18. スター・サファイア



 王子の居場所はすぐにわかった。川岸の情景は物語に描かれていたとおりだったから。

 岸辺の緑のみずみずしさ、小鳥たちの透明な歌声。せせらぎの音も、風がそよぐたびに舞い踊る優しい木漏れ日も、「王子ジャンドゥヤ」の章で、真秀は既に体験していた。
 眠っていた黒すぐり=ジャンドゥヤ王子が、襲撃者=ブレッター・タイクに剣を突きつけられた場所。王子とマドレーヌが初めて出会って恋に落ちたのも同じ場所で、五年前の明るい夏の午後、ということになっていた。

 王子は腕組みをして木にもたれ、川の流れを眺めていた。背後に放り出されていた王家の紋章入りの盾と宝剣を、真秀は注意深く拾い上げた。

 ロイヤルブルーが基盤の木製の盾。上半分には冠をいただく二羽の白鳥が向き合い、ハートの形を作る姿と、盾の下の半分には音符が描かれている。王家の〈ブラン〉という家名は、フランス語で「白」の意味であると同時に、音楽用語の二分音符も表わしている。およそ戦いとは縁のなさそうな、傷ひとつついていない美しい盾だ。
 そして伝説の〈星の剣〉。
 柄に見事な輝きを放つ青い宝石が埋め込まれている両刃の剣。アーサー王の〈エクスカリバー〉も、きっとこんな剣だったに違いない。

── ぼくには重すぎる ──。

 剣と盾を王子の脇にさりげなく置きながら、真秀は彼の立っている側に腰を下ろした。なるべく差し障りのない話題でいこう。真秀は慎重に語りかけた。

「どうして〈星の剣〉と?」

「隕石でできているから。それにスター・サファイア。二つの意味が込められている」

 ジャンドゥヤは精気のない声ではあったが、一応会話につきあった。残酷に突きつけられた現状と、今は違う方向に想いを馳せたかった。

「隕石の剣? すごいな」
「今から──この世界での話だが──、1500年以上も前に」
 どこか遠いところを見つめながら、王子は星の剣の伝説を静かに語り始めた。


 創造者が最初にこの世界に現われた時、世の中の秩序はかなり乱れていたそうだ。
 二人はまだ幼い少年と少女だったが、創造者ゆえの特別な能力を駆使して、世界を混乱から救おうと努力する。
 しかし彼らの底知れない能力──しかも簡単にはコントロール不能な超能力──を、人々はやがて恐れ始め、最終的には受け入れることができなかった。
 危険を察した信頼のおける唯一の従者の計らいで、二人は城を脱出するも、暴徒と化した群集から逃れて、荒野をさ迷う羽目になる。


「いわゆる宇宙の偉大なエネルギーというものを、真秀、きみは理解している?」
 真秀の答えを聞く前に、ジャンドゥヤは先を続けた。
「幼き創造者二人が暴徒に襲われる。宇宙はそうした理不尽な事態を許さなかったのだろう」

 雷鳴のとどろく中、身の危険にさらされていた創造者らの前に、突如大きな石が現われ、落雷を受けた。おそらく二人の身代わりとなって。
 そして彼らはまるでその石と入れ替わるように忽然と消えてしまった。この世界での役目を果たし終えたかのように、現実世界へ戻ったということだ。

 彼らと行動を共にしていたマティアスという若い従者がすべてを目撃しており、このことを記録に残した。それは『予言者マティアスの書』として、後世に伝えられている。

「マティアス?」
 これも偶然にすぎなかろうが、ついに自分と同じ名が登場し、真秀は思わずつぶやいた。
 マティアスは真秀のドイツ名なのだ。
 もっとも真秀をその名で呼ぶのは、ドイツで暮らす父方の祖父だけであるのだが。

「予言者マティアスは創造者と並ぶ伝説の人物となり、創造者の思想を伝えた彼の書によって、この世界の価値観は築かれていったのだ」

「どうして予言者と?」

「創造者の再臨を予言していたから。しかも正確な年代で」


 分析の結果、幼い創造者二人の命を救ったその石は鉄が主成分の隕石であると判明。
 そして創造者の再臨を願い、一本の剣が作られる。こうしたことも、すべてマティアスの指示で。柄には世界最大級のスター・サファイアが埋め込まれ、〈星の剣〉として大切にされる。
 そしてマティアス自身もまた、〈星の剣〉の完成を見届けた後に姿を消してしまった。永遠に。

    

 幼い創造者、隕石に落雷。そして作られた宝剣。

 真秀は遙かな伝説に思いを馳せた。
「隕石が目の前に落ちてきて、しかもカミナリとくれば、さぞかしすごい衝撃だったことでしょうね」


 不思議なことに、隕石は上空から落ちてきたのではなく、どこからか瞬間的に転送されたかのような現われ方だったという。
 創造者が再びこの世に戻って来た際に明かされたところによると──

「ちょっと待って。創造者って、現実世界とここの世界を自由に行き来できるわけ?」

「自由ではない」
 で、あるわけがない。とジャンドゥヤは強く否定した。
「彼らは1500年もの時を超えて、マティアスの予言どおり、成人した姿で再臨したのだ」

 そして、自分が生まれた。

 そして、息子は置き去りにされた。

 ずっと待ち続けていた。
 そしていつしか待つのをやめた。おそらく彼らは戻って来れないのだろう。おそらく、二度と。ジャンドゥヤは自分に言い聞かせ、話を続けた。


 創造者が現実世界で知った事実によると、同じ頃、確かに隕石は落ちていたという。現実世界の、ランズ・エンドというイングランド西端の岬に。
 真っ赤な光を発しつつ空気や大地を切り裂く大音響とともに落下。荒涼とした大地をえぐるほどの衝撃だったにもかかわらず、隕石は跡形もなく消滅していたという。瞬時に燃えつきたか、蒸発したかということで片づけられたそうだ。


「つまり現実世界に落ちた隕石が、二人の創造者を落雷から守るために、瞬時にこの世界に導かれたってことなんですね」

 王と女王は宇宙からも守られていたわけか。そしてきっと、彼も。
 真秀はこの王子が、何かとてつもなく大きな力で守られている、と感じていた。


 マティアスの予言どおり創造者が、1986年の現実世界から再びこの世界を訪れた時、人々は今度こそは二人を王と女王として熱狂的に迎え入れる。『予言者マティアスの書』によって、この世界の住人の意識は飛躍的な進化を遂げていたのだ。

 彼が作らせた〈星の剣〉は1500年もの時を経て王の手に渡り──、

「そしてわたしに受け継がれた」

 ジャンドゥヤは剣をさやから抜き、頭上にすっと振りかざした。

 騎士が剣を抜くときの金属音が、真秀は好きだった。そのきらびやかな響きが、星の剣そのものの輝きと重なり合い、あまりのかっこよさに、真秀はぞくっと身を震わせた。

「もうひとつの意味は……」

 西の空に傾きつつある陽の光を受けて、星の剣はまばゆいばかりにきらめいた。剣ばかりでなく、王子までが輝いて見えた。騎士と剣とが光に包まれて、完全に一体化しているようだった。

「スター・サファイア。光に当たると星が輝いて見えるだろう?」

 深みのあるロイヤルブルーのサファイアに、白い星の形が浮かび上がる。

「交差する三条の光のラインは、信頼、希望、そして運命を表わしている。スター・サファイアは、もっとも力のある守護符とされているが」

 納得がいかぬように頭を振りながら、王子が乱暴に剣をさやに収めたので、ロマンティックな空気は一瞬にして崩れ去った。

「お守りなどいらない。我が身なんかどうでもいい。ぼくが守りたかったのは──」
 王子は絶句した。

「確かめに行きますよね?」
 真秀は心を鬼にして、避けていた話題を持ち出した。
「まだそうと決まったわけじゃないでしょ? 原因も何もわからないんだから」

「筋書きは決まっている、と言ってたな、真秀。このあと王子ジャンドゥヤは弔い合戦をするのか? そして討ち死に? チェック・メイトはペルル・アルジャンテか?」

 王子は芝生にどさっと寝転がった。
「運命が、既に定められているのだとしたら、ぼくは反乱を起こす」
「何もしないことが、あなたの反乱ですか」
 真秀は呆れ、そして怒って言った。

 王子は夕暮れのさし迫った微妙な色合いの空を見上げ、淋しそうに目を細めた。
「この世は、指揮者不在のオーケストラのようなものなんだ」
「ならばあなたが指揮すればいい」
「タクトを振ることができるのは創造者だけ」
「ジャンドゥヤ。これはあなたの物語なんだよ。王も女王も、もはやこの世に存在してないじゃないか。現実世界に帰ったってことは、すべてをあなたに託したということだ」
「創造者の息子というだけで指揮をする資格なんて、ない」 
「だったらコンサートマスターでも何でも務めるべきでしょ。優れたオケなら、指揮者なしでも立派にやれるものですよ」

 真秀の怒った調子と反比例するかのように、王子の語り口はゆっくりと静かなものとなっていく。完全に生きる気力を失っているように。
「スコアに書かれている音楽が、壮大な運命の流れだとしよう。その曲を演奏するオーケストラの団員は、偶然にこの同じ時代を生きているあらゆる生命体。互いの音に耳を傾け、最高の音色で、見事なアンサンブルを創り出す。
 運命が決められていても、それをどう奏するかは演奏者次第。しかし、だ。今となっては、スコアそのものが信用できない。こんなことは間違っている」

 マドレーヌのことだな。真秀は緊張して身構えた。

「納得できるものか。楽譜が間違ってるんだ」
 ジャンドゥヤは繰り返した。

「ジャンドゥヤ。曲の解釈を誤ってる。スコアは信頼すべきなんだ。すべての音には意味がある。作曲家の意図した深い意味が。たとえそれが不協和音であってもだ」

 真秀は父親、アルヴィン・シュヴァルツの音楽に対する姿勢を、そっくりそのまま引用していた。

「大切なのは、自分に都合のいいよう楽譜を置き変えることじゃないし、好き勝手な解釈で演奏することでもない。大切なのは、曲に隠されたメッセージを正確に読み取って、最高の音色で奏でることなんですよ」

 永遠に続くかのような真秀の演説を聞いているうちに、ジャンドゥヤは父親に説教されているような気分になってきた。
 何故この少年はこれほどまでに確信を持って、こんなことが言えるのだろう。まるで……、まるで別な誰かが、彼にそう言わせているみたいだ。

── その為に彼はこの世界にきたのか? ──

 黒すぐりの衣装を着ている瞳の鋭い勝ち気な少年を、ジャンドゥヤはきっと見据えた。

「真秀。指揮台も、コンマスの席も、空いているぞ。それほど言うならきみがまとめ役をすればいい。現実世界では、きみは劇場の客席でシンフォニーを聴いている聴衆の一人にすぎなかった。しかし物語に入り込んだ今や、きみは舞台上のオーケストラの一員だ」

「いえ結構。人さまの領域に手を出す気はありません。今の自分にできることだけをするつもりです」
 真秀は王子にプイと背を向けて歩き出した。
「さよなら。ぼくは城へ行ってみますから」


 薄暗くなりかけた木々の間に足を踏み入れるや、ブレッター・タイクが待ち構えていた。
 聞かれてたな__。
 真秀は少々気まずい思いで批判を覚悟した。

 少し歩いて、王子に声が届かない辺りまで来ると、ブレッターは切り出した。
「そなたの言うことはもっともだ。しかし……」
 言いにくそうに、もごもごとつぶやく。
「しかし、思いやりというものがなさすぎる……」

「どうして? ぼくは彼の為を思って言葉を尽くしたのに」
 むっとして、真秀は言い返した。
「マドレーヌはきっと無事だ。大丈夫! とでも言えばよかったんですか? 確信もないのに? ぼくに言えるのは真実だけです。下手ななぐさめより、よっぽどましだと思うんですけどね」

「今、王子殿はぎりぎりの状態なのですぞ。あの方には時間が必要だ。彼が本当に助けを必要とする時まで、そっとしておいて差し上げねば」

 お節介だったというわけか。真秀は老人の言いように反発を感じながらも、気が滅入ってきた。またやってしまった。他人の心に土足で入り込んでしまったのか。




 何もしないことが、あなたの反乱ですか? 

 曲の解釈を誤ってはいけない。大切なのは、最高の音色で奏でること。

 真秀の言葉はジャンドゥヤの胸に否応なしに突き刺さっていた。頬を涙がつたう。悲しみの沼に溺れてしまいそうだった。今さら何かをして、運命を変えられるとでもいうのだろうか。
 しばらくの間、涙を流れるにまかせていたが、そのうちに、何か別の感情が渦を巻いて胸の中に広がりつつあることに気づいた。

── 落ち着かない。この胸騒ぎは何だ? ──

 王子は身を起こした。星の剣が、沈みゆく夕陽の最後の光をまともに受けて輝いていた。
 サファイアのスター効果が現れている。
 運命──。白い星のライン。ジャンドゥヤの恋と正義の炎が胸の奥で再び揺らぎ始めた。

── 死んでなどいない。彼女は生きてる ──。

 サファイアの運命線がそれを示していた。

 ジャンドゥヤの全身に活力がみなぎって来る。わかっていたはずだ、最初から。判断力を失っていた。解釈を誤っていたのだ。

 では、この胸騒ぎは?

「真秀か!」
 立ち上がりながら、彼のことを思いやった。
 一人で行かせてしまった。もうじき夜のとばりが降りようというのに。馬の乗り方も剣の扱い方もろくにわかっていない世間知らずの少年を、黒すぐりの扮装のまま、一人で森に放り出してしまった。

── 第一、あの剣は ──。

 黒すぐりの剣が、星の剣と同様、まったく切れない剣であることを、自己防衛のためだけの剣であることを彼に伝えていなかった。

 ジャンドゥヤはオイゼビウスを呼び出し、急ぎ真秀の後を追った。




19.「あの子が行ってしまった!」に 続く……

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