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きみの魂のぜんぶ可愛い

 美味しいものを食べたとき、「あの人に食べさせたい」と思うのが愛だと聞いた。美しい景色に包まれたとき、「あの人に見せたい」と思うのが愛だと聞いた。自分のことを差し置いて「守りたい」とか、「与えたい」と思うのが愛だと聞いた。

自分が経験したことや、共感できる作品たち、大事にしている音楽や人の話を含めても否定する必要などなく、それは実際誰かにとっては極めて正しく、誰かにとっては何の価値も持たない。わたしにとっての真実は、自分の愛を包括的に語るにふさわしい言葉は何処にもない、ということだった。愛の形や温度は常に可変で、涙がそれに近しい瞬間もあれば、朝陽に浮かぶ残像がそれだと思える日もある。

音や写真や映画や絵画のほうがよほど愛の真理に近く嘘をつけないと感じるのは、愛と名付けられたその瞬息を言葉より多く閉じ込めてしまう母体だからだ。本物ゆえに共鳴してしまう引力は時々、戻れないところまで人を連れていく罪深さを持っている。

ヒトが人生の中で見つけた血の湧き上がる瞬間の言葉を、自分の体内に当てはめるほど粘膜も皮膜も濁るようで嫌気がした。「I love you」を月の綺麗さに例えた彼の言葉のなにを、誰が、どうやって理解できるというのか。その目を持っているのも、その景色を見たのも、その命を生きたのも、わたしではないのに。愛は超属人的で身勝手なところにしか生息していない。

あなたのものはわたしのものではないし、わたしのものはあなたのものになり得ないという前提をなしに、愛が愛以外の何も持たないまま存続するとはもう思えなかった。

 「愛してる」と言いたくなるとき、わたしの目はあなたを見ている。内臓よりもっと奥の、血液の海よりもっと深くの、どこにもない全部を見ている。眼球に映らない全部を見ている。あなたを含めた全ての他人が侵入できない、わたしの中だけで成立している世界で「見ている」。

他者の不可侵領域でしか愛が何かを決められない理は即ち愛と呼ばれるすべてが意志的に生みだされたという証明で、愛のすべてに命名日があり、そのすべてを名付けたのは間違いなくわたしだという事実から逃れることが一生できない。誰にも理解されないところで生まれ、誰にも見えない場所で続いていくのが、愛以外の何も持たない「愛でしかない愛」と私に呼ばれるものだ。


そう呼びたいと思う人が私にとって「愛している人」であり、他者の物差しでどう測られようとその数値に意味も価値も与えられない。誰かと育てたり分け合うことを願ったとしても、それは愛以外なにも持たないままでは不可能で、そばにある似て非なる独立した心と、他者に合わせて変容され愛と名付け直されたものたちによって成立する動詞だ。あなたのものはわたしのものではないし、わたしのものはあなたのものになり得ない。触れるのに触れない、見えているのに何も見えない、わからないのに、感じることだけができる。

願わくばそういう美しさのままずっと愛していたいと思うけれど、出来そうにない。わかりあえないということを前提に、「愛してる」といくらでも、口に出して伝えたいからだ。わからないということを前提に、わかっていると言えるほど、近くに在りたいと思うからだ。


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