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テラスハウスの「ヤラセ」問題とオンステージ力について

2019年になった。
正月に気づいたことがある。テラスハウスは作業用BGMに最適だ。

みなさまは年末大掃除はされただろうか。
私は根がゴリラなので特に何もせずウホウホと過ごし、気づいたら年が明けていた側である。そこで、正月の有り余る悠久の時間(とき)の中で気まぐれに断捨離をちまちま進めつつ、テラハを流し続けていた。

テラハは音声だけでもだいたいのゴタゴタが認識できるというのがグッドポイントだ。なにせゴリラなので断捨離は始めた瞬間に飽き始める。そんな時に耳にテラハの事件勃発ストーリーを聞かせておくとなんとなく脳が活性化され、断捨離自体も中断せずに進めることができるのだ。
というわけで正月はテラハにお世話になった。

テラスハウスは超オシャな家で男女6人がシェアハウスする様子を放送する番組だ。
(視聴者の期待通り)共同生活での衝突やホレたハレたのゴタゴタが勃発するので、それを観察してスタジオメンバーが茶々入れをする。

テラハについて触れると食い気味でつっこまれがちなことがある。

「あれヤラセでしょ?」問題だ。つまり、あの共同生活の諸々については制作チーム側の台本や演出が大いに介在しているのではということだ。

正月からテラハを流しっぱにしていた人材として、「テラハヤラセ問題」について考察してみた。

純度100%想像の翼を広げた結果、演出があったとしても、介在しているのは制作側のやらせというよりも「自己演出」という側面のほうが大きいのではという結論に至った。

出演者の多くは素人に毛が生えたようなタレントたちである。完全にやらせにしては演技がうますぎるとは感じる。
かといって完全に素が出る状態かというと違うだろう。

視聴者側は「透明人間」状態というシチュエーションではあるが、常に撮影クルーはいるはずだ。
実際、ハイクオリテイの撮れ高があった場合(せまい暗がりなのにいちゃついている様子が鮮明に撮れているときなど)にはYOUが「技術さんありがとう!」と叫んだりしている。

そして、出演者はほぼ「何者かになりたい」「顔を売りたい」という考えを持っており、全国放送されることは織り込み済みだ。その中での振る舞いはセルフブランディングを意識せざるを得ないだろう。
どんなにプライベートっぽいシチュエーションでも常に他人の目がある状態のうえでの「素」であり、自己演出のフィルターを通したうえでの素だ。

それを理解したうえで、それでも零れ出てしまう人格やグダグダを楽しむのがテラハの流儀だろう。

そんな考察をしつつ、ガラクタを仕分ける中でふと頭によぎることがあった。
我々の生活にも自己演出がないといえるだろうか?

答えは否である。
むしろ、自己演出だらけだし、ないと社会的に死ぬ。
たとえば、会社で。親戚の集まりで。久しぶりに会う友人との会合で。
社会的な生き物である以上それは当然だし、「本当の素の自分」などは(少なくとも他人から見たら)存在しない。自己演出も総合して自分だ。

そして、自己演出には適正や個性が存在する。
テラハ出演者になるうえで求められるのは自己演出スキルの中でも「オンステージ力」が高い人材だろう。
つまり、ステージにいるかのように自分に酔えるかどうか、女優のように「こう見られたい自分」として華麗に振る舞えるくらいの自己演出ができる能力だ。

常々自分には「オンステージ力」は不足していると思う。自意識過剰なのだろう、基本的に寒く感じてしまう。
別に他人は自分のことを注目していないし、「はい今スベりましたね!?!?」みたいなスベり警察なわけでもないし、オンステージ力を発揮することで得るものがあるとわかっていても、だ。

テラハにはオンステージ力に優れた人材が多く登用されている。
だからこそ、あの特殊な環境下で「まじか」というドラマが生まれたりするのだろう。

テラハで生まれたドラマの名言に「せいなとサーフィンどっちが大事?」というセリフがある。
これはせいなさんという女性がサーフィンにかまけて自分を放置するサーファーの彼に海岸で風に吹かれながら言い放った言葉だ。

おわかりいただけるだろうか。セリフのパンチラインのすごさを。
私と仕事どっちが大事なの?は古きからあるトレンディドラマあるあるなセリフだが、それをリアルで再現できるメンタルにも、そんなシチュエーションが実在したこと自体にも衝撃を受ける。
さらに比較対象が「サーフィン」、というキラめきに思いがけず動揺する。
これはわたしの人生でサーファーとエンカウントしたことがないからこそ感じるおののきなのだろうか(ちなみに返答は「サーフィン」だった)。

このフィクションとしか思えないセリフを、軽く憤りを感じさせるひたむきな表情で言い放つのである。
この人真剣にこれ言ってる。
これが、圧倒的オンステージ力なのだ。

自己演出が一周してそれが「素」になっているし何かが突破している。それを全国に向けて放送することすらできている。
それはオンステージ力の不足した自分にとっては衝撃だし、正直羨ましい。
もうスタジオと一体になって「トレンディ!」の合唱をするしかない事態だ。

自己演出してしまった…やりすぎ?というイタさの自己嫌悪に震える時。そんな震えもテラスハウスは吹き飛ばしてくれる。
イタさこそが個性であると。
そして、個性を表現することも、その個性を好きになるも嫌いになるもそれは自由だということを。
そういう意味ではひとさじの勇気をくれるかもしれない番組でもあるだろう(まったく意図していないだろうが)。

そんなことをテラスハウスを見てしみじみと思いつつ、おわらない断捨離はこれからも続く。

余談だが、お片づけの権威である世界のKONMARI先生の冠番組もNetflixで始まった。KONMARI先生の番組はちゃんと映像も正座して凝視させていただこうと思う。
いつもありがとうNetflix。

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