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パンケーキ食べたかった

幼少期、親の車で毎週のようにファミレスに連れて行ってもらった。
私と、一つ上の姉が注文するのはだいたいがお子様プレートか、あるいはパンケーキ。
私はとにかくパンケーキが大好きだった。
そして、同じファミレスという業態でもお店によってパンケーキの内容は少しずつ異なっていた。
アイスクリームとチョコソースがかかっている豪華なもの、ザ・パンケーキといったようなプレーンなものなど様々であった。
私はそれら多種多様なパンケーキのどれも好きだった。

ある週末、いつものように家族みんなでランチを食べにファミレスへ出かけることになった。
しかし、残念ながら理由は覚えていないのだが、私が突然癇癪を起こして父と言い合いの喧嘩に発展してしまった。
私以外の家族三人からすれば、突然理不尽に感情を撒き散らし始めた私に、さぞ違和感を覚えたことだろう。流石にその様子を見かねた母は、

「じゃあ、もう今日は留守番ね」

と言い捨て、私を置いて三人で出かけてしまった。
密かに週末のパンケーキを楽しみに生きていた私にとっては、大ピンチ。
しかし、この日の私は母の発言を受け、むしろ冷静になっていた。

今日、ファミレスのパンケーキを食べることができないことは、運命付けられていたことなのかもしれない。

そんな謎の感覚に至っていた。
その日私は、パンケーキを食べに行けなかった悔しさをレバレッジに、家で留守番しながらいかによい時間を過ごせるか?という命題に臨む探究者のようだった。
今でも、休日の空き時間をどう過ごそうか、悩ましい気持ちになることがある。
そんな時、ふとこの日のことを思い出してしまう。

私の探究心のトリガーは、いつだって"悔しさ"だ。

あの日、パンケーキは食べたかった。
パンケーキを食べ損ねたことで、私の心にはなんとも言えない空虚感が生まれた。
しかし、その感覚は同時に新しい可能性を開くきっかけにもなった。
それは、「悔しさを帳消しにできるくらいの経験を創ろう」という価値観の形成につながった。

面白いことがしたい。
そんな自分の志向性の背景に、この日の出来事はあるのかもしれない。

よくある日常の一コマ。
この日の出来事が後々の私の人生に少なからぬ影響を与えていることなど、家族は知る由もないだろう。

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