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昨日昨日も遊ばない_2024/03/31

長期休暇は、家にこもりがちになる。
べつに引きこもろうと思っているわけではない、ただあえて外出する用事がないのだ。寝起きするのも、勉強するのも、インターネットするのも、家の中で事足りる。

先日、久しぶりにお出かけをした。
僕を外に連れ出したのは、他でもない、友人たちであった。

朝から、僕を含めて4人で、スポッチャに行った。
年齢がまだ1桁だった頃に親と行って以来、2度目のスポッチャである。

春休みにスポッチャとはなんとも高校生らしくはあるが、これまでの僕はそのような「高校生らしさ」をいけ好かなく思っていたはずだ。
スポッチャへ行く同級生たちのことを、そして「スポッチャ」という名前の響きをも、心のなかで嗤っていた。

けれども、先日の僕は友人とスポッチャに行って、3時間を心から楽しんだ。
具体的には、ビリヤードやエアホッケーをしたり、MUSECAという音ゲーをしたりした。

スポッチャのあるミ・ナーラから新大宮駅までを、無料送迎バスが走っている。他県のことは分からないが、奈良では、このように大型商業施設とその最寄り駅とを繋ぐバスのあることが多い。
バスに揺られながら談笑している自分を見て、ここ1年ほどの自分の変わりように驚く。

この変化が良いものなのか悪いものなのか、今は判断しかねるけれども、良いものでなければならないと思う。たとえそうじゃなかったとしても、良いものにしなければならない。回り道をするには、命は短すぎる。
バスよりは速く、友情よりは確かに、〈僕〉は更新されているのだ。

昼食は天一になった。
こってりと唐揚げを注文し、唐揚げはみんなで分けた。じゃんけんに勝ったから僕は2つ食べた。

ラーメンをすする友人のうちの1人が、僕の中学の同級生と知り合いだと判明した。どちらも右翼なので意気投合し、「三国同盟」というLINEグループを結成したという。
僕たちは「名前やば」とからから笑うばかりで、自分たちが「枢軸国連合」の一員だということなど、全く頭になかった。

連帯感、仲間意識のなさにかえって安心を覚える。このちょうどいい距離感を保ちたい。

ブックオフへ行こうと誰かが言い、それに対して(本好きなのに)「俺行ったことないわ」と言った奴がいたため、彼のデビューも兼ねてブックオフへ行くことになった。

セットコミックを眺めたり、うさんくさい新書に茶々を入れたりしつつ、なんやかんや2時間ほど滞在した。

途中、なにかの会話で「そこに山があるから」という言葉が出て、すかさず僕が「ああ、マロリーね」と返したら、さすが結城だとなぜかめちゃめちゃに褒められた。
知識をひけらかしたいだけの発言だったから本来は疎まれるのだろうが、彼らは反対に喜んでくれる。こういう気の合う人こそ大切にしなければならない。

結局、僕は100円の小説を3冊購入、件の彼は戦争関連の本とかを買えてご満悦のようだった。

それから、4人を2手に分割することになった。
塾のために去る2人と、「オッペンハイマー」を観に行く2人とである。

僕は後者で、楽しみにしていた「オッペンハイマー」の公開日ということで、同志と1名と一緒に観に行った。

かなり面白かった。
伝記映画としてのエンタメ的にも音響などの芸術的にもハイレベルで、ノーラン+アカデミー賞と聞いて上がっていたハードルをやすやすと超えられた。

3時間を終えて外へ出ると、完全に日が落ちていた。
僕たちは、興奮冷めやらぬ状態で感想を話しながら、車がいなくなってひっそりとした駐車場を堂々と歩いた。

例えば「友達・・遊ぶ・・」と言うことに、かなり抵抗がある。
客観的に見ればこの日はたしかに「友達」と「遊ん」だのだけれど、僕はこれらの言葉をうまく使いこなせない。

温かさをこそばゆいと思うし、すべきことがたくさん残っているのにいいのか、とも思う。
僕は、これらの言葉を使わないことによって、深層的にはひとりであろうとしているのかもしれない。

これも生の短さによる問題である。





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