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なぜゲーム学習の研究を始めたのか 後編(ゲームとシミュレーション)

はじめに(前回のあらすじ)

この記事は「なぜ私がゲーム学習研究を始めたのか」ということをご紹介する記事の後編になります。前編をお読みでない方はぜひ前編からお読みください。前編から日を空けずに公開したかったのですが、後編の内容は調べ物をしたりする必要があり出勤中のスマホ執筆だけでは完結せず、少し時間がかかりました。(また子どもが生まれてバタバタもしておりました)

簡単に前編のあらすじだけ書いておきますと、①塾講師時代に生徒に教えた知識が生徒の日常と繋がっていないという課題を感じた、②その課題を解決するためには経験学習という手法が良さそうだと思った、③しかし、現代社会には直接経験できないが経験的に学ぶべき課題がたくさんあるという問題がある、ということでした。

直接経験しづらいことを学ぶ方法

このような問題に直面した私は「直接経験しないで現代社会において重要なものごとを学ぶ方法」を探究し始めました。が、実は最初からゲーム学習に到達したわけではありません。

修士課程進学後に「経験的な学習手法に関する研究レビュー」を行った結果いくつかの研究手法の候補を見つけ,当初は「参加型シミュレーション(participatory simulations)という文脈で、環境問題を体験的に学ぶ方法を検討していました。

参加型シミュレーションとは簡単にいうと、あるシステムにおける一部の役割を学習者が担って、その役割をプレイすることで全体をシミュレーションする方法です。病原菌の感染をシミュレーションする研究が有名です。

なぜはじめからゲーム学習と言わなかったのかといえば、私が修士課程に入学した2008年では、実はゲーム学習という領域があるということをあまり知らなかったというところもあります。ゲーム学習やシリアスゲームについては2007年に「シリアスゲーム」を藤本徹先生が書かれて、その後時間をかけて日本でも広まっていった印象があります。(余談ですが、2010年頃はゲーム学習の発表をすると「ゲーム理論ですか?」と高頻度で学会で言われてましたが、いつからか言われなくなりました)

ゲームとシミュレーションの違い

その後、私はシミュレーションではなく、ゲームに手法(の呼び方)を変えていくことになるのですが、そこにはシミュレーションとゲームの性質の違いが影響しています。

シミュレーションというのは、基本的には「現実と同様の環境」をできる限り完璧に再現することを目指します。例えば医療行為(手術)をシミュレーションで教育する場合、その手術に関連した人体に関して厳密なパラメーター設定を行い、そのシミュレーション結果に基づいて実際の手術が行えるようなものが求められ(ると思い)ます。

しかし、ゲームではある現象の重要な要素に焦点化し、他の部分は捨象しても問題ありません。例えば、初期の「信長の野望」では国は「兵力」、「米」、「民忠」という3つの変数で表現されてい(たと山本貴光さんに以前伺い)ました。ゲームでは制作者が「それが重要だ」と思えば、その要素に焦点化することができます。ゲーム学習のメリットでも「重要な学習項目を強調した学習体験を提供出来る」ことが指摘されています(藤本 2015)

これはどちらが良いという話ではなく、何のために学習を行うのかという目的の問題になるのですが、私は「現代社会にある直接経験することはできないが経験的に学ぶべき課題を効果的に学ばせたい」・「学習者の日常生活に根ざした学習を行いたい」という問題意識で研究を始めていますので、シミュレーションよりもゲームの方が相性がよかったということになります。

このような経緯で2010年頃からは「ゲーム学習」の教材を開発して、実践するという研究スタイルで研究をするようになりました。

終わりに

ということで、前編・後編の2回に渡りまして私がなぜ「ゲーム学習」の研究をしているのかということをご紹介してきました。結論を言えば、「現代社会の問題を学習者の実生活に根ざした経験学習で学ぶためにはゲーム学習が向いていると思ったから」ということになります。

つまり、私にとっては「ゲーム学習」というのは手段に過ぎないということです。もし10年後、20年後に違う手法に注目して研究をしていたら、「ああ、もっとピンとくる別の手法を見つけたんだな」と思っていただければ幸いです。(そもそもの研究関心がまったく変わっている可能性もありますが、、)なかなか「実はゲームありきではなく学習の問題から研究を始めまして…」というところからお話する機会はないですので、今回は過去を振り返る良い機会になりました。

また次回の記事でお会いしましょう。




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