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もしかしたらの人生

「常識があり狂いきれなかった」

これはうつ病になり、何回も自殺未遂してもう死なせてくれと思ってもなお、社会的に生きてしまう自分が嫌になって浮かんできた言葉。

過去の記録を読んでいても、閉鎖病棟に入院するしないとか
そんな話を医師とやりとりしていたことが書いてある。

コロナの関係で1回も入院することはなかったけど、
でも入院していたら私の人生は今と少し違っていたかなと思う。

ODして目が覚めずにそのまま寝るように死んでいたらと、
本当に精神が擦り切れて自我と言えるものが崩壊していたらと。
今とは違った場所に行けているのかとも思う。

何でこんな普通に生活していけているのかが不思議で仕方がない。

ODして救急搬送され、その都度10万円近い治療費が請求される。
死のうとして、運よく助かりこの金額を請求される。

命が助かれば安いものだとも思う。
生きる苦しみをお金で買うと考えるか。
それもと、生きる喜びをお金で買うと考えるか。

心が擦り切れて、今まで培ってきた価値観が崩壊して社会から隔離される。社会から距離を置き崩れ去った価値観をかき集めて新しく作り上げていく。

でも価値観というのは砂でできた城みたいに何かあると崩れていく。
設計図は無いので直す度に元の形とは違う形になっていく。

直すのをやめるとどうなるのかな。
壊れたまま放置するとその先には何があるのかな。

お城を直すのをやめて少し放置している。
崩れていく残骸を見て、そこから言葉を拾い上げていく。

死にたかった。
いきたかった。

色々な思いが詰まっていて、それを言葉にするたびにお城を作り直しているのだと思う。

10代とか20代前半にこういった心の脆さは克服されるものだと思っていたけど、どうやらそういうわけでも無いらしい。

精神的に辛いと感じるのはなぜだろう。
自分の人生を生きているのに、当事者意識が無いのはなぜだろう。

この生をより良いものにしたいはずなのに、行動できないのはなぜだろう。
生きる気力が足りないのはなぜだろう。

いつか、自分が心からやりたいと思えることに出会える。
そう思っていたけど、自分から行動しないことには現実は何も変わらないと気づいてしまった。

大人になるということは、変化のきっかけを自ら作ることなのだと思う。

治ってよかったと思うけど、治らずにそのまま狂ってしまったら良かったのにとも思う。

自分にとって1番幸せなのはどの選択肢だったのか。



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