見出し画像

愛おしさを知る

私には家族がいる。
年下の妻と2歳の息子。
そして妻のお腹の中にはまだ性別が分からない、名前もない我が子。

幸せだと感じる瞬間がある。
朝目が覚めて、1階のリビングに降りて朝の支度をしていると2階から、
「あっこ、あっこーっ」と息子の呼ぶ声がする。
その声に心をほぐしながら私は2階に息子を迎えにいく。

寝室の前に立つと、息子が笑い、両手を大きく広げながら私に抱っこをせがんでくる。そのときの息子の表情や声がすごく愛おしいと感じる。

心から愛するとはこういうことかと、人生の幸せを少し鑑みる。
こういう日常を過ごせることは私にとってすごく幸せだと思う。

1年前の私はこの日常を想像できていなかった。人生とはその時になってみないと分からないと感じる。人の心は移り変わるものだと、良い時もあれば悪い時もある。

この日常を守りたいと思うこの気持ちが、今の私を突き動かす衝動の根源であると思う。今の私に問いたい。まだ死ぬつもりはあるのかと。

だけど、こう考えることができるのも立ち止まり人生について意味を問い直し、私にとって家族が何より大切だと心から思うことが出来たからに他ならないと思う。

自分の人生だから好きに生きればいいと思うけど、私は大切な家族に自分の人生を使いたいと思った。
仕事も日々の暮らしも、巡り巡っては私の家族のためになる。
こう考えると、日々の雑多なことにも少し愛着が湧いてくる。

人はには色々な顔があり、その時々で求められる役割によって人格に影響を受けると思う。 その中で、柔軟に自分を変えて環境に適用した方が良いという意見もある。だけど、これは周りに流されるという意味ではないと思う。
自分という個を得えている上で、その時々に求められる変化を受け入れて変わっていくことだと思う。

その時々で流されるように、求められるがまま自分を変えてきた人は、自分という軸がなく存在意義や自分の価値について悩むのだと思う。
これは過剰に社会に、その場に適用しようとして自分を押し殺した結果だと思う。これは別に悪い事だとは思わないしその人なりの自衛だと思う。
私も昔はそうだったと思う。

社会から1年程度距離を置くことができ、自分自身に向き合うことが出来たからこそ、この価値観を私は得ることが出来たのだと思う。

うつ病は人生において無駄というわけではなく、むしろ大切なことに気づかせてくれた大切な機会だったと思うことが出来ている。

この経験は私が幾つになっても胸に残り続け、もし自分がまた迷子になった時には道標として私を導いてくれると思う。



この記事が参加している募集

育児日記

心の動きや精神世界を知るために貴方のお気持ちを使わせていただきます! 私にはやりたいことがまだまだあります。 いただいたサポートは大切に使わせていただきます。