ヨ・ロ・コ・ビの歌がきこえてきた
第47週 2月23日〜3月1日 の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、ベートーベンの「歓喜の歌」から季節のうつろいを感じながら
よろこびにみち、しあわせにあふれ。という日常を願い
読み込んでみました。
では、いってみましょう。
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世界の母体から生まれる
存立への光が感喜に充たされ
私の考える力が究められる
大いなるものの力によって備えられ
私の内で力強く息づく。
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歓喜は感覚によってもたらされる
ベートーヴェン「歓喜の歌」につけられた日本語歌詞です。今週は、少しずつ春を予感させる詞(コトバ)を感じながら探ってゆきます。
この曲は、矢野顕子さんも「ヨ・ロ・コ・ビ」 という秀逸なカバーを残しておりまして、個人的には矢野さん節での詞が染みついてしまっていて、毎度、曲を聴くたびに、なんとも楽しげな歌いかたに大いなるものとの関わりを感じてしまうのですよ。
ここに在るという感覚によって喜びが充たされるのでしょう。自然とのつながり、社会的なつながり、家族との世界によって感じさせられるものが心であり、そこから思考が始まるのでしょう。
心が人間のどこに備わっていると感じるのか?あなたは、どうでしょうか?
頭でしょうか?心臓あたりでしょうか?大昔の人は、子宮や男根にそれを感じていたそうです。たしかに赤ちゃんは子宮で育ちますし、女性の方はたしかにと頷かれるかもしれませんね。
そして、時代が過ぎ「古事記」が書かれた頃の人たちは、内蔵で感じていたそうです。興味深いですよね。
人間の感受性は、時代とともに変わってきていますし、自分が今現在に感じているものたちも、不確かなものなのでしょう。
脳で考えるのではなく、心で感じることからすべてが始まるのに、いきなり脳で考え始めてしまう癖は早く直した方がよさそうですね。これは、すべてに通じる考える力を究めるための鉄則なのでしょう。
自分がいまここに存在していて、そこに光があり、感じ、喜びにみちひびきあう美しさ。
みたいなものを大切にしたいですね。
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母胎
歌うたいの女性が、妊娠されたときのこと。「毎日、うたっているの」といっていたのを思い出しました。
そのような胎教もあるんだ。と少しおどろいたのですが、胎教としてみれば、あたりまえのことなのかもしれませんね。大変、歌が上手かったので、きっと赤ちゃんは、音によって心がみたされて喜びにあれているのだろうなと思いました。このような体験を通して心を備えてゆくのかもしれませんね。
「神」という文字には、「示=奏」「申=音」という意味合いが隠れているそうです。世界の母胎(子宮)にも、そういった響く機能が備えられているのかもしれないですね。
それを聴く力を、あなたはきっと備えているはずなのです。
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大いなるものは成長をうながす。
自分自身、関係性、社会など、それらの成長も、自然の成長に近しい。
それらも、いのちの宿命なのでしょうか?
二行目Den Sinnenschein erquickend Werdelustの直訳は
「感覚をリフレッシュする喜び」となります
「存立への光が感喜に充たされ」って全然違うじゃねーか!と
クレームが入る前に自分で突っ込みをいれてみました…。
ホント翻訳の難しいところなのですね。
心の成長というテーマを主にすると、春が近づいてきました、冬の内的な思考から、外界からの感覚によって活性化していってね。というふうに素直にとらえられます。
さらに、今日書いてきたように、心の概念が時代とともに変化してきているように、あなたの感性は年を重ねるごとに成長しているものです。であれば
去年、今年と備えられてゆく力は、リフレッシュよりさらに充たされてゆくものとした方がしっくりくる、と思ったのです。
たぶん、これらも、いのちの宿命なのですよ。
思ってしまったら失敗を恐れず表現してみる。
の繰り返しですよね。
そうすることで、私の内で息づき
あなたの内でも息づいてゆくのでしょうね。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
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