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パレスチナ自治区へ。分離壁と抗議デモ【イスラエル・パレスチナ旅行記2】

こんにちは!yukiです。

今日は、
イスラエル・パレスチナ旅行記の
2回目となります。


現在の両地域の状況には、
胸が締め付けられるような思いです…

この旅行記は、
両地域で見てきたことについて、
旅行者の目線で書いていきます。

6日間連続で投稿しますので、
お時間あるときに
ご覧いただけると嬉しいです。

(※この記事は、2016年の旅を“旅行記”としてまとめたものです)



パレスチナ自治区へ


イスラエルに入国し、
聖地エルサレムへ行ったあと、
パレスチナ自治区へ向かうことにしました。


パレスチナ自治区…
その名を聞いて浮かんでくるのは、
どうしても混乱や争いのイメージです。

そもそも旅行者が入れるなんて、
思ってませんでした。

しかし、調べてみたところ、
「ヨルダン川西岸地区」
に行くのは特に問題ないそう。

外務省の安全情報ページでも、
危険度は高くないとされています。

エルサレムを出発したバスは、
いとも簡単に“チェックポイント”を通過し、
パレスチナ自治区へ入りました。

・・・こんなに簡単なのか。

(その後分かるのですが、
 イスラエル→パレスチナは簡単で、
 パレスチナ→イスラエルは厳重でした)


バスは乾燥した大地を走り、
ラマッラーの街につきました。

うわあ、大きな街!


街の活気にもびっくりですが、
真っ先に目に飛び込んできたのは
スタバっぽく見せてるカフェ。

看板をよく見ると
“フラビッチーノ”って書いてある…
なんじゃそりゃ…



街を歩いていると、

「ハロー!チャイナ?」

「ウェルカム!」

本当にたくさんの人が
声をかけてくれます。

とても温かい感じの挨拶なのです。

こんなにフレンドリーなんて、
バングラデシュに行ったときみたいで
なんだか新鮮な感じ。



パン屋さんを見つけたので、
ゴマつきのクッキーを
ビニールに入れて買おうとすると、

「違う、違う!」

とお店のお兄さんが来て、
僕から袋を取り上げました。

そしていろんな種類を袋に詰めていく笑

このずけずけした感じも、
久々だと何だか心地よく感じます笑

せっかくなので、
詰められるがままに買いました。

お兄さんは、

「ホブズ食べるかい?」

と焼きたてのホブズ(アラブパン)を
ひとつ味見させてくれます。

熱々のパンを口に入れると…。
なんだこの美味しさは!!

ただのパンなのに、
めっちゃ美味しいです。
(この後は毎日ホブズ生活になりました)

パレスチナって聞くと、
特別な感じがしてしまいますが、
これまで見てきた国々と同じでした。

街行く人々の表情には
明るさが灯っている。

現地では“普通の生活”が営まれているのです。




パレスチナは、
実質2つに分かれています。

1つは「ヨルダン川西岸地区」
もう1つは「ガザ地区」

面積は、
「ヨルダン川西岸地区」が
圧倒的に広いです。

「ガザ地区」は、
パレスチナの土地が国連によって
ユダヤ人とアラブ人に分割されたとき、
飛び地のようにできた場所。


「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」は、
別々の政治団体により統治されています。

すなわち、
「ヨルダン川西岸地区」は、ファタハ
「ガザ地区」は、ハマス


もともと、
これらは1つの政治団体でした。

パレスチナ自治政府
2大政党として機能していたものの、
両政党のあいだで激しい対立が続き…

ついにハマス
ガザ地区を無理やり手にして分離。

穏健派のファタハとは
袂を分つことになったのです。

ここラマッラーには、
ファタハの中心機能が置かれ、
“事実上のパレスチナの首都”
となっています。

(パレスチナは、
 「首都はエルサレム」と主張しますが、
 現実にはイスラエルが実効支配している)

首都といいましたが、パレスチナは、
国連で“国連非加盟国”とされています。

つまり、国家として認められているのです。


イスラエルへの抗議デモ


ラマッラーに到着した翌朝。

宿のダイニングキッチンで紅茶を飲み、
市場で買ったミニトマトを食べます。

ダイニングキッチンは、
広い窓から陽が差しこむ
気持ちの良い空間。

そこへ、
フランス人の女性がやって来て
にこやかに言いました。

「一緒に食べない?
 アラブの朝食よ。」

アラブパンのホブズ、
胡麻とハーブのペースト、
そら豆を潰してスパイス、ガーリック、レモンを混ぜたフールという料理。

いかにも自家製といった
タッパーに入っているので、

「あなたが作ったんですか?」

と聞くと、

「パン以外はね笑
 ここに長く滞在してるから、
 料理も教えてもらったの」

と言います。

ありがたく頂くと、
どれも、とても美味しい!

お返しにミニトマトをあげました。
(それしかなくて恥ずかしい…)


おしゃべりしているうちに、
彼女はあることを口にしました。

「もし今日時間があるなら、
 イスラエルの分離壁建設に反対する
 デモに参加してみたら?

今日は金曜日、イスラム教徒の祝日です。
ちょうどデモが行われる日だそう。

うーん、
できることなら自分の目で見たい…

「危険はありますか?」

「催涙弾くらいよ。」

催涙弾くらい、って。
基準が分からないけど、どうなんだ。

結局、
宿にいた欧米人が数人参加するというので、
同行させてもらうことにしたのでした。

ミニバスに乗ってしばらく走り、
ラマッラーの郊外に到着。

この辺りには、
オリーブが点々と茂っています。

「お昼の礼拝が終わったらデモが始まるよ」


少し待って、
地元の人々がやって来ました。

思ったより人数は多くない、
20人くらいでしょうか。

地元の人々やカメラマンは、
ガスマスク、防弾チョッキ、ヘルメットなどを
身につけています。

救急車も待機している。

「普段着ですけど、
 ここにいて大丈夫ですか…?」

「イスラエルが撃ってきたら
 すぐ隠れれば大丈夫だよ」

「・・・はい」

不安になってきます。



デモで抗議する分離壁とは、
ユダヤ人の安全確保を名目に、
イスラエルが建設している壁のことです。

国境に建設するものかと思いきや、
そうではありません。

壁は、パレスチナ側に
食い込むように建設されています。

つまり、壁を作るほど、
実質的にイスラエルの領土が
広がっていく
のです。

パレスチナ内に作られた分離壁は、
人々の生活に大きな打撃を与えています。

ある日とつぜん壁が建ち、
土地が分断されてしまう…

壁を越えるためには、
許可証を手にいれ、
検問所での厳重なチェックを
毎回受けなければなりません。

毎日のように会っていた人と、
突然会えなくなる。

学校や仕事、病院へ行くのも、
ままならなくなってしまうのです。



こんなことができてしまうのは、
イスラエルが圧倒的な軍事力を持つがゆえ。

国際司法裁判所は、
「国際法に違反している」
と勧告を出していますが、
イスラエルは壁の建設を続けています。


デモが始まりました。

参加者は旗を持ち、

「Free,Free,Palestine!(パレスチナに自由を)」

と声を発しながら
丘を下っていきます。

道の先には、
イスラエル軍が待機している。



ドォン!!

急に爆発音が響きわたりました。

まさか、もう撃ってきた?!

デモは始まったばかり、
声が届くはずもない距離です。

ヒュルルル…

恐ろしい音を立てながら、
いくつもの黒い物体が弧を描いて
こちらへ飛んでくる。

デモの参加者は
散り散りに身を隠します。

着弾地点から、
もうもうと煙が吹き出しました。
催涙弾です。


布で口を覆い、
物陰に隠れます。

喉と目が焼けるように痛む。


パレスチナの人々は、
攻撃の合間をぬって、
イスラエル軍に旗を振り続けます。


投石器で石を飛ばす青年も。

この距離で届くわけないし、
仮に当たったとしたら
連行されて投獄されてしまう…


どのくらい続いたか、
長い連続攻撃のあと、
辺りは静かになりました。

イスラエル軍の車が
丘の向こうへ消えていく。

地元の方が、

「Welcome to freedom」

と呟きました。

・・・現実は、
freedomには程遠く感じます。

壁の建設に抵抗できず、
どんどん自由が奪われていく。

力任せの抑圧に、
デモや投石で抵抗する。

抵抗した人々の中には、
殺されたり、投獄される人も。

それに対して、
正面から立ち向かっても敵わないので、
自爆テロでやり返す…。

負の連鎖が、お互いに、
さらなる苦しみを生んでいます。

分離壁


「分離壁へ案内するから、
 ついて来てください」

パレスチナ男性について、
さっきまで軍がいた丘を通り過ぎ、
分離壁へ向かいました。

壁の向こうに見えるのは、
領土を広げたことによって
新しく建設されたイスラエルの町。

分離壁の高さは10m近くあります。

男性は、廃墟の前で立ち止まりました。

「ここには、2か月前まで人が住んでたんだ。
 でも、イスラエルは壁を動かそうとしていて、
 ある日ブルドーザーがやってきて家が壊された。
 住んでいた家族は町に移住したよ。」

分離壁は、僕が行った当時で、
400km以上が完成していました。

建設中、建設予定も含めると、
総延長は700kmに及ぶそう。


ショックを受けながら
ラマッラーの街に戻ります。

パレスチナには、
普通の暮らしをしている人々がいる。

そしてそれは、
イスラエルも同じ。


奪い合わないで、共存する…

言うは易し、
多くの策が講じられてきましたが、
悉くうまくいかなかったのです。



・・・この地にいる間に、
できる限りたくさん見聞きしよう。

今はそれしかできないのだから。



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

それでは、今日も良い1日を!


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