こんな時だからこそ、心を寄せて

先月札幌の叔父が持病のために亡くなって、もうすぐ四十九日になります。

先日は母の日だったこともあり、叔父を亡くして今は一人で暮らしている叔母に美味しいお茶に手紙を添えて送りました。

ある方に教わった

「朝茶はその日一日の難封じ」

という言葉を添えて・・・。

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すると、わたしの母のところに(叔母は母の妹なのです)

とても喜んで叔母が

「由紀ちゃんからお茶と可愛い便箋のお手紙が届いた」

と電話してきたそうです。


叔母が喜んでくれ、わたしの母まで喜んでくれて、よかったなあと思っていました。


その後、叔母がお茶を飲み、とても美味しかったので

(わたしも飲んでいますが、本当に美味しいお茶なのです)

仏様にもお供えしたとか。


そして、お礼状はうまく書けないからと、母にわたしの電話番号を聞いて、お礼の電話をくれました。


「いたましいから(=もったいないから)毎朝1回だけ飲む」

というので、

「あのお茶はよく出るから、何煎か飲めるよ」

などと、他愛のないことではありますが、

久しぶりに叔母と話しました。


叔母自身も病気があり、ほとんど自宅で一人で過ごしているので、やはり寂しいのでしょう。


ささやかなことでしたが、とっても喜んでもらえて、わたしも嬉しかったです。

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そういえば、わたしが1997年に英国に住んでいた時、

自分の家族や友人の他に母が仲良くしていた高齢のお友達Mさんにも

時々手紙を書いていました。


Mさんはその頃にはもう七十代後半以上だったのではないかと思うのですが、

品があって可愛らしい方で、

一人できちんと暮らしていることが伝わってくるような方でした。


Mさんは宛て名をわたしの母に書いてもらったのか、何度か英国のわたしに

返事を書いてくれました。


九月のある日、Mさんから頂いた手紙には

「先日、あなたのお母さんが五目寿司を作ってきてくださいました。

ダイヤモンドよりもうれしい宝のご訪問でした。」

と書いてあったのです。


「『ダイヤモンドよりもうれしい』はさすがに言い過ぎなんじゃないかなあ」

と思いつつも、 

「宝のご訪問」と書いてくださったところにMさんの思いがにじんでいる気がしました。


英国にいたわたしにはその日本語のことばが余計にじーんと響いて、 

「一人暮らしのMさんがわたしの母の心遣いをそんなに喜んでくださったんだ」

と、わたしの方が感激したものです。 

(先日、当時の日記を読み返していてその時のことを数十年ぶりに思い出し、

「Mさんからこんなお手紙を頂いたことがあったよ」

と母にも教えてあげました)

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あれから二十数年たち、置かれている状況は違いますが、わたしもコロナ禍で何日もほぼ一人で過ごす毎日も経験して、なんともいえない人恋しさも味わい、母の訪問をあんなに喜んでくれたMさんの気持ちも、少しは分かる気がするのです。


自分の両親や叔父や叔母も年をとり周りの方に助けて頂いたり、優しくして頂いたりしながら、毎日を過ごしています。


離れているとすぐには会えない状況ではありますが、

こんなときだからこそ大切な人や周りの方に心を寄せて

少しでも自分にできることをしたいと思います。


今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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Vol.6も、鋭意執筆中♬

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