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三鷹の太宰治を感じる「三鷹の此の小さな家」

太宰治が亡くなるまで住んだのは、三鷹市にあった小さな家でした。

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わたしが今住んでいる家の大家さんは
子供の頃からこの近辺に住んでいて、
「太宰治が玉川上水で亡くなった時には
僕は赤ん坊だったから覚えていないけど、
母親におぶわれて玉川上水まで
見に行ったらしい」
と話してくれました。
 
そんなこともあって
三鷹に住み始めてから
太宰治のことは
それまでより身近に感じるようになりました。
 
それまでは作品中に
「三鷹」「井の頭公園」
などと書いてあっても、
自分とは縁のない世界だったので
全く記憶に引っかかっていませんでした。
 
でも、自分がこの土地に住んでからよみかえすと、
自分の暮らしている町の名前や
目と鼻の先にある公園も
太宰が歩いていたのだと感じて
さらに身近な存在になりました。
 
昨年、三鷹駅の近くの
「三鷹市美術ギャラリー」に
「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」
がオープンしたのですがなかなか行けず、
今日、ようやく行ってみました。
 
展示室=三鷹の太宰家の復元になっていて、スペース自体は
小さな小さなお家一軒分なのですが、非常に面白く拝見しました。

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(写っている女性は他の見学者の方です) 

展示品は、まさに太宰の生活を感じさせるものが
多いのです。 
 
長女のへそのおを納めた箱には
太宰が丁寧に娘の名前を書いており、
菓子折りの木箱を使って太宰が書いたという自宅の表札には
「津島修治(太宰治)」
と、ペンネームも書いてありました。
(今なら考えられませんが) 
 
当時の家を再現した家の中でそのような展示を見ていると、
本当にあのような小さな家で
「走れメロス」
「駆け込み訴え」
などを書きながら多くの来客を迎え、
縁側に座って娘たちと一緒に庭の鶏を見て笑っていた太宰が本当にいたのだ、
ということを心から実感しました。
 
また、「斜陽」「桜桃」の自筆の原稿や絵や書も展示されていたのですが
彼があんなに絵が上手だとは知りませんでした。
 
そして、旧字体でかかれたオリジナルの「櫻桃」を見たとき、
「わたしの名前にも入っている「櫻」の字を太宰はこんな風に書いていたのか」
とちょっと嬉しい気持ちで眺めていました。
 
また、六畳の書斎兼応接間には靴を脱いで入ることができました。
 
そこには彼が愛用していた文机を再現したものと
彼の手書きの原稿(「大恩は語らず」)のコピーが置いてあり、
太宰になったつもりで
文机の引き出しに用意されている原稿用紙に
彼の原稿を書き写すことができるようになっていました。


わたしは活字になったものではなく、作家の自筆原稿のコピーを見て
書き写すのは初めてでした。 

活字を見て書き写すのとは違って、
旧漢字を使って書かれた手書き原稿を見ながら書いていると(コピーとはいえ)
「は行の文字が可愛らしいな」など、
作家の筆跡からエネルギーが伝わってくるようでいつまでも書き続けたくなりました。
(気がつくと他の見学者も待っているようだったので席を譲りました)
 
このあと、近くにある「太宰治文学サロン」にも行ってみました。

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ここは太宰が通った酒屋「伊勢元」の跡地に開設されたもの。 

ここも小さなスペースでしたが、
太宰が井伏鱒二宅に預けた青い火鉢などもあり
面白く拝見しました。
 
「三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。
ここに暫く閉じこもって一つの仕事が出来上がると、
私はそそくさと三鷹を引き上げる。
逃げ出すのである。旅に出る。
けれども、旅に出たって、私の家はどこにもない。
あちこちうろついて、そうしていつも三鷹の事ばかり考えている。
三鷹に帰ると、またすぐ旅の空をあこがれる。」
(「誰」昭和16年)
 
改めて、彼の作品を読み返したいと思いました。
 
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
 
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