疑ってかかる・・ということ
飛び交う情報、画面に流れるニュース・・
そのどれに対しても、
疑ってかかる
ことが習慣となっている。話半分に聞く・・というか。
僕はそれを家族にも伝えているが、話しながら、
なんか語感がイマイチやなあ・・
と思っていた。
そんなある日のこと。
風呂に入っていて不意に、
疑うということは、敏感である、ということである。
という言葉が心に浮かんだ。
なるほど・・上手いことおっしゃる。(笑)
確かに、ボーッとしていれば簡単に騙される。
なので、気を張り、ニュース一つもキッチリ「聞いて」いれば、その不自然さを感じ取ることが出来よう。
それが、
敏感であること
かと思う。
何を信じるかは個人の判断で良い。だが、自身に備わった「センサー」は高い機能を保持しておかなかればならない。何故ならそれは、
自分を守るツール
であるからだ。
第六感も大事だが、それ以前に五感が曇っていてはまずい。
だが残念ながら、この世の中は、それを曇らせる方向にしか動作していないようである。
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