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【保育の場から】クラス運営には学びが詰まってる

冒頭の前置きなのに恐縮ですが、ちょっとだけマイナスな話を。
職場の方におもしろいからと勧められ『保育士よろよろ日記』という本を借りて読みました。
結果、私にはちょっとつらかった。
なんだかモヤモヤしたのです。

会社員から派遣保育士になって何年かやっている方の体験記みたいなものなのですが。
現場で毎日クラス運営をしている正規職員さんやその他保育士たちへのリスペクトがあまり感じられなかった。
モヤモヤの原因はこれに尽きる気がする。

著者の方が、少しでも正規職員として責任を背負ってクラス運営に携わった経験があったら、もう少し違う表現になったのではないかしら。
大変さに共感したり書き方にユーモアを感じる部分もあったけど、なんだか悲しくなったのが先立ちました。
その自分が感じた気持ちから、さまざまなことを考えました。

私は現在、非正規保育士として週5日、一時保育室に勤務しています。
けど、通常の園に併設されているため、通常クラスに応援に行くことも時折ある。

そうした立場であらためて通常クラスに入ると、見えてくることがいろいろありました。
正規職員の頃に上司から言われていたことに、後から「こういうことか…」と答え合わせしているような感覚。

たとえば。
製作をしていて早めに終わる人がパラパラと出てきたとき。
その子たちを待ち受ける立場の私に、どう動いてほしいか、製作の後にどういう活動にするかを伝えておかないといけないんだよな、と。
一瞬でも手持ち無沙汰になった人たちは室内を走り回ったりするから、ほんとは楽しいことを準備して待ち受けていたほうがいい。

どうするかを聞いて確認しおもちゃを出して、走ってる子に言葉をかけて誘導しながら思い出したのです。
あぁ、かつての上司が言ってた。
「製作の後の職員の配置、活動の流れの詳細まで、日案にちゃんと入れ込みなさい」と。。
これだよな、と。。

病児や病棟保育、一時保育などに携わっており、通常クラスにしっかり入るのが久しぶりだったので、新鮮な気持ちで記憶が蘇りました。

当時は、そんな細かいとこまで日案書いてたらいつまでも仕事が終わらねぇわ!!と半泣きになりそうでしたが、非常に意味のある言葉だったと感じます。ごめんなさい。。

そして、現在クラス運営の最前線にあたっている職員さんたちにその余裕がなかったりするのも理解できます。
そこまでのプランを立てる余裕がなくても、夜は明けてまた子どもたちが登園してきて保育が始まる。
目の前の子どもたちに対応するのは待ったなし。

もっと話し合いたいだろうし、もっと考えたり学んだりしたいだろう。
けど、時間や気持ちの余裕がなかなか生まれない。
そして、新人さんが適切な指導を十分に受けられないまま新人ではなくなり、クラス運営を当然のように任されるようになっていく。
みたいなこと、いろんな場所で起きているんではないでしょうか。

ちなみに、現在私が勤務しているところは、だいぶきちんとしているほうだと感じていますよ、念のため。
学ぶべきところが多い職員さんもたくさんいる。
だからこそ、今クラス運営を見て気づかせてもらえることが多いのだと思います。

ちょっと勉強するだけでも、保育にはひとりの人間の将来に関わるすごい可能性があって、素晴らしく専門性の高い仕事だなって思います。
でも残念ながら、自戒の意味も込めて、ちゃんとプロフェッショナルな保育士ばかりではない。
だからみんな勉強するわけなんだけど…日々のトライ・アンド・エラー、大変だよね……(小声になるわ)

それでも日々奮闘しながら、目の前の子どもたちに合ったより良い保育の形を模索し続けている。
もっとこうすれば良かったのか、今度はこうすればどうだろう。
正規職員だった頃、同じクラスで指導してくださったベテランの方が
「私だって毎日ひとり反省会してるわよ。その繰り返しよ」
と話してくださったことが今でも強い印象で心に残っています。
頭が下がります。

私は現在の働き方、関わり方が気に入っているのでこのままですけれど、その中でも日々の気づきを糧に、子どもへの関わり方を向上させていきたい気持ちでいる。
…なんかかっこつけ感がありますが、ほんと。

そして、クラス運営の最前線にいる保育士さんたちへのリスペクトをあらためて忘れないようにしたいのです。
勉強させてもらってるよ。

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