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小さくて確かなしあわせを噛みしめる ~「”余命”と向き合う人」を見て~

NHKで放送されている『100カメ』が好きで見ています。
先日放送された「”余命”と向き合う人」の回を見ました。

100カメは、あるテーマに関する場所に100の定点カメラを設置して観察するドキュメンタリー番組。
今回は、病気により医師から余命についての発言をされている5人の方々にカメラを向けていました。

こうしたことについて、感想を言葉にするとどうしてもありきたりな陳腐なものになってしまいそうで迷ったのですが、それでも残しておきたいと、自分のために記録しておきたいと思い、文章にします。

最も印象的だったのは、ほとんどの期間を病気と歩みながら結婚3周年を迎えた祝いの場での若いご夫婦の会話。
仕事の都合で、実家で緩和ケアを受ける奥さんと離れて暮らさなければならなかった旦那さんが
「この状況になって、LINEの返信がちゃんと来るありがたみを感じている」

奥さんの状況と向き合ってこなかったことやひとりにさせたことへの後悔を語っていました。

配偶者が病気になり、治らないかもしれないという事実と向き合うのはかなり困難な苦しいことだろうと想像に難くないです。
そしてその言葉を静かに受け入れ、すれ違っていると感じていたことを語り
「今日来られて本当に良かった」「また来年も来れるかなぁ」
と涙する奥さん。

明日が来ることは当たり前じゃないと、よく言われるし頭では知っているのに、こうしたコンテンツに触れる機会が定期的にないとすぐに忘れてしまうのです。

また別の方が闘病記につづっていました。
人生には限りがある、挑戦しないともったいないのだと。

あらためて、自分がいかに恵まれているかを痛感しました。
あぁ、私は実は全部持っているんだなと思いました。
日頃小さな不満を見つけて「あーぁ」と思うことも、これがないこれが足りないと思うことも、全部全部バカみたいだと思いました。
実は、私はすでにとても幸せだったのです。

番組に出てきた全ての方が、毎日を楽しむように過ごしていて、そうした毎日こそが幸せなものだと、語らずとも全身で表していました。

夫が毎晩元気で帰宅することやふたりでバカな話をして笑いあう時間も
両親と定期的に会って話をする時間も
友達と会って食事やお茶をする時間も
仕事で子どもたちと触れ合い遊び笑いあう時間も
料理したり掃除したり洗濯ものを畳んだりお風呂に入ったりする生活の時間も
実はすべてが愛おしいキラキラしたものなんだと、本当に思います。

40年以上生きてきて、楽しいことも苦しい時間も、すべては平等に必ず終わりが来るのだと繰り返し経験してきて知りました。
実感は湧かないけれど、私の人生にも必ず終わりが来るらしいじゃないですか。
そして両親や夫や友達や子どもたちや同僚ともいつかは必ずお別れすることになるらしいじゃないですか。

ほんと、そうとなったら、小さな不満をかき集めて不機嫌でいる暇なんてないですね。
大好きな人たちのために時間をしっかり使って、愛してる愛してると表現しないと。(言葉じゃなくてもね)
やってみたいことをかじってみないと。

自分の機嫌は意外と自分でとれるってことも、大人になってだんだんわかってきたので、それもさぼらずにちゃんとやっていくことにしよう。
気分よく生きることで、周囲の人たちもちょっとは気分よくなるだろうから。
それが回って自分が生きやすい空間をつくれることにもつながるしね。

こうして強く感銘を受けても、またしばらくすると、日常のありがたみを忘れそうになる日がきっと来るんだろうなぁ。
それでもまた何度でも思い出して、幸せを嚙みしめることにしましょう。



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