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未経験領域と私

もやっとした雲が私の思考の中を埋め尽くしている。
今週、私は復職から1年を迎えた。
恐らく喜ぶべきことなのだろうし、自分を褒めてあげたい気持ちに嘘偽りはない。
それなのに何故、モヤは晴れないのだろうか。

きっと新しい1年が再びはじまったからだろう。

というのも、4月に大学院へ復学した。
この1年間、私自身も周りの方々も、私の復学への姿勢に好意的であったように思う。
自分のペースで、でも少しずつ勘を取り戻す為の訓練をさせてもらった。
しかし、ここから先は如何せん、未経験の領域。
予定しているスケジュールから逆算して考えると、「うーわー」という声が出てしまいそうだ。
登山道の急勾配を見上げているような感じ(まだ稜線なんて見えていない)。

大学院というところは、大学とはやはり少し違う。
博士課程ともなれば、もう皆さんハッキリと物事を指摘していただくこととなる。
ズビシッと的確な助言が鳩尾に入ったとしても、平気な顔をして、言葉のボールを打ち返すくらいでなければ、生き抜けない。
私はかつて、生き抜けなかった。
柳のようにユラユラと、のらりくらりとしていたら、自分の意見を何処かに落っことすことがしばしばあった。
そして休学・休職した。

けれど、如何に「より良く生きるか」を考えて暮らす今、へなちょこながらにボールを打ち返すことが出来ている。

要は、自分の中で何を一番に据えるか、という揺るぎない思考があれば、自我を持って生き抜けるのである。
休職してから復職を経てこれまで、ずっとその手の本を読んでいると、大体同じようなことが書いてある。「自分軸」、「芯」を持て、と。

研究においても、それは同じであるけれども、いつも強気にはなれないのが実情だ。整理しきれない頭のモヤを少しずつ掻き分けながら、ガスった視界から抜けるまでとりあえず歩いてみようと思う。

とい。