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キャリアカウンセリング セッション#7

久しぶりにカウンセリングを受けてきた。
連休を挟んで連休前にぎりぎりのラインを歩いているようだった感覚も程よくリフレッシュされて、落ち着いてこれまでの人生のグラフを描いて振り返りをすることになった。

心の上がり下がりと出来事の上下を、年齢を追うようにグラフへ書き込む。
基本的に常にネガティブなせいであまりいい時がないのだけど、一人で闇雲にこれをやって何も得られなかったと言っていた頃と違って、カウンセラーの方と話すことで深堀することができた。
だいたい中学時代から、考えや感情の残骸がはっきりし始める。
そこから見えてくる断片は、結構今も変わらず残っていたりもする。

楽しいと感じるのは、大抵自分の役割が明確な中で誰かと一緒に何かをつくること、もしくは順位がはっきり出る中で一人で結果を出すこと、だった。
吹奏楽やミュージカルにエレクトーンと、形態はその時々で違いはあれど、周りと共に綺麗なものを創り上げることは、ある程度楽しいと思えることが多い。
そういうシーンでも人の上に立ったり誰かを指導・アドバイスすることは常に苦手で、自己完結ばかりしてしまうせいで周りが見えていない。

あとは勉強したり点数や資格を取ったり、やったことが結果として目に見えることに喜びを感じる。
ただそれがその先何に繋がるのかは頻繁に考えてしまうから、"勉強している自分"に一時的に充足感を得ることができても、その先が見えなくて結局辛くなってしまう。

人とつるまないまま薄っぺらい好奇心が、軽率に行動を促進してしまう。
なのだけど周りと比べて情熱の薄さに場違いな感じを覚える。
ぺらぺらなまま軽はずみに色々参加してしまうと、周りが熱量や目的意識を強く持っていることに引け目を感じる。
興味が全くないわけではなくて薄々と色々あるからこそ、一つにたくさんのエネルギーを注げない。

時間内で一通り話すことすらできないくらい、深く周辺のことを話して理解レベルを上げた。
その中で繰り返し、これまでのセッションも通して常に自己への捉え方が否定的過ぎてしまうといった趣旨のことを言われた。
できることはできることとして、できないことはできないこととして、それぞれ別個で認識していけばいいところを、合体させてマイナスの方が大きいから結局何もできないということばかりに結論を持っていっている。
これから先生きやすくなるためにはできることを正しくできることとして認知することが必要だし、そうしないとどこかでやりきれなくなってしまうと言われ、ちゃんとわざわざでも変えていこうと思えた。

周りを見ることは苦手だし、発言したりも上手くできないから、これからできるようにしていく必要がある。
ただそれでも、全てができないわけではない。
形式化された中で改善のために考えて動くとかは積み上げているつもりでいるし、ひとつのことを長く続ける力とかは、なんだかんだ持てているのだと思う。
できないことの方が多いから「何一つまともにできない」というわけではない。
できることもきちんと見て認識しておかないと、いつか本当に何もできなくなってしまうから。
それがたとえ少なかったとしても、できることだってちゃんとある。

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