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キャリアカウンセリング セッション#9

出張前に与えられた課題は、頷きを言葉にすることと、気遣いができる人として必要なことがわからないから聞いて実行することだった。
結局その期間でできたのは、ふと思い出して頷きを言葉に何度かしてみたことと、帰り際に一緒に行っていた上席に今回私の行動で社会人として良くなかった点がなかったか聞いたことくらいだ。
それで何かが変わったわけでもないし、気遣いはコーディネーターや先方が先立って全てやってくれてしまった。
それでもできていないことに気が付いて思い出した時だけでも実行できた、今自分に求められている役割は何か考えることができ特に問題点も指摘されなかったというのは、良かったこととして捉えるものなのだと思う。

今日話したことはそことはまた変わって、この先どうなりたいのかわからないということだった。
虚しいから何かをやってみたところで、その先どうしたいということがない。
何に繋がるのか・本当に意味があるのかわからないまま頑張ることが、非効率だし意味がないように思えてしまう。

私の"こうしたい"と"こうしなきゃ"は、大抵二律背反状態になっていると指摘を受けた。
話せる人にならなければいけないから頑張らなくてはと思う一方で、とにかく出来る限り目立ちたくないと思っている。
社会的にこれが必要と言われているし評価される可能性が高いから、本当は関心がないけれどとりあえず手あたり次第に取り組んでしまう。
私自身は自己がなさすぎるせいで社会的によしとされているものに手を出しているのだと思っていたけれど、カウンセラーの方にはこれまでの話を踏まえると自己はしっかりとあるのだろうと言われた。

空間に居場所を求めながら壁をつくるという問題には、「この程度で」と相手に思われてしまうことへの恐怖心が強くはびこる。
それは多く人に対して言っていることを聞いてきたことで、今私が多くの人に思ってしまっていることでもある。
卑屈になることが多いせいで、「人の悪口を言う人は悪口を言えるくらい自分で能力があると思えるほどに能力が高いから有能だ」という理論を本気で当てはめ続けてきた。

要は、専門性があってそれなりに頑張ることで評価されればそれでいい筈だ。
なのだけどそこに色々な問題が絡み合って、居場所がないとか自分は本当はそうしたいとは思ってすらいない社会的に評価される王道に進みたいとか、よくわからないものに頭を叩かれる。
必要なことはできているかもしれないけれど、それで満足して許される状態ではないと、怒られないために思っては焦り続けて今日も苦しむ。

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