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コーチング セッション#8

久しぶりにコーチングを受けた。
前回から1ヵ月以上の間が空いて、その間に出来事がいくつもあった。
行動することが足りていないとか、内省する力がないとか、自分の頭で考えていないとか、そんなことを言われることが多かったり、後は悪意のある言葉を投げられた時にダイレクトにダメージを受けて数日泣き続けたり、していた。
足りていないのは自分でわかっていても、それを補ったりできるようにするために何をしたらいいのかが全く見えてこない。
なので今回は、自分が頑張れていると実感できるためにどうしたらいいか、というテーマでお話をしていった。

私は劣等感が強い。
何をやっていても人より出来ていないのではないかという不安に駆られるし、人より頑張れていない自分が怖い。
そういう怖さや虚しさを埋めるためにとってきた行動は、日々に変化を持たせるために道で声を掛けてくる人に軽率についていったり、何の役に立つのか全くわからない資格試験の勉強をしたり、そういう根本的な解決に繋がらないようなことばかりだった。
ややもすると簡単に、自分を破壊したくなってしまう。
本当は何か意味があると思えることをして、頑張れている実感を持って劣等感を和らげたいのに。

それはきっと、新しいことができるようになった実感が得られる状態で、点と点が結び付くことを楽しいと思えるような、そんなイメージだ。
この話をした時、何をしているときが一番楽しいか、という視点を投げられた。
旅行の計画や出かけた日の事柄について振り返ることは、とても楽しい。
頑張ったことが結果として現れることは、楽しい。
人から褒められることや認められることは、楽しい。
言ってみて後のふたつは、嬉しいなのだと感じた。
あえて「楽しい」に限定した時、私が楽しいと感じるのは新しいものや憧れていたものに触れること、自分の調べてきたものが期待以上に素敵なものだと感じられること、だということに行きついた。

変化が怖くリスクを取りたくないといいながら、新しい景色が見たいし新しいものを自分のものにしたい。
ただ「楽しい」ということに限定すると、知らないものを知りたい思いが強いらしい。
ただそれは単なる娯楽ではなく、意味があるものであってほしい。
でも、娯楽と意味のあることの違いって、一体なんだろうか。

何かに繋がるものだったら意味があると思っていた。
それをやることで誰かの役に立ったり頑張るための行動として結び付きがあったり、そういうことが娯楽とそれ以外の境目のように感じる。
こういう話をしていて、頭の中にはオオゼキのまつしまようこさんが浮かんだ。

好きなものに情熱を持って人に伝える、それがきっかけで新しい出来事に繋がる、そんな姿はきっとここでいう繋がりがある状態のイメージに限りなく近いのだろう。

次回までの課題は、何か詳しくなることが楽しいものについて考え行動してみること、それをいくつか挙げて試してみることになった。
ディズニーや服は好きだけど、それは多くの人が好きなものだから何かが違うように感じてしまう。
夏休み間近な暑い夏の日、楽しい夏を過ごした後で少しは先が見えていて欲しい。

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