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小説「正欲」朝井リュウ

朝井リョウの長編小説。
初めてこの作品を知ったのは映画の広告だった。演者とか内容とかそうゆうものに興味はなくタイトルの「正欲」という言葉に強く惹かれた。日々の生活や詩作をする時「正しさ」とはなんだろうと考えることがある。だから「正欲」とは正しさを欲することなのか、正しく欲することなのか、そもそも正しい欲とはなんだろうか、強烈な興味に駆られた。映画を観そびれてしまったのでいっその事、元々原作から映像化された物は原作から、という思いが強い為、書店に買い求めに走ったわけである。

私的な結論。性欲を通して正しさとは何かを問う物語。今の時代を生きやすくも生きにくくもする多様性とは何なのか。正しさだけが果たして正しいのか。法の下で正しさを問う検事、少数派である性癖をもち秘密を抱えて生きる登場人物たち。後半にかけて彼らの人生が重なり絶望と希望が交錯する中で、はっきりした結論を出さずに終わる。変わりゆく時代に適応して生きてゆく難しさ。物語の中ほど大きい問題ではなくともそれぞれの人生において考えてゆくべきものなのかもしれない。

まず性的対象とは似たり寄ったりであったとしても人それぞれ違うものであるがその多種多様なことはAVのカテゴリーからみてもわかること。それすら氷山の一角に過ぎない。ただ多くの人は異性を性的対象としそこからどんな物が対象であるか枝分かれしてゆく。分母が大きい分だけ枝分かれしたとしても孤独を味わう程のことは少ないだろうしそこに議論の余地もある。性的対象が異性とういうのが多数派であるからこそ。そこに正解はなくとも正しく議論が行われるのであろう。私は性的対象が異性であるからもれなくそこに属する。

そんな多数派の一般的な私には人ではなく「水」が性的対象である登場人物たちが、芸術的で高尚でロマンティックでなんと素敵なことだと思ってしまうわけだが、ならばこの登場人物たちと共に生きてゆけるかと言われたらならばそれは無理だ。結局は珍しい少数派の性癖をみた、という一時的な感情に過ぎない。はたまた性的対象が犯罪レベルのものであった時その人たちはどう生きてゆくのだろう。尤もそうゆう事件は多く、最近ではとある大手芸能事務所が潰れ、とある大物カリスマ的存在である芸人が裁判沙汰になっている。

一方で性的対象が多数派で一般的な私が少数派に回ることもあった。幼いの頃に周りの子供と違う行動を取る私を母親は少し心配していた。その心配はある時から「ただの変わり者」というものになったわけだが。小学生に上がるとランドセルには名前と住所と生年月日と血液型を書いたカードが貼られた。おそらく事故に巻き込まれた時の為と思われるが、個人情報を晒しまくる行為であり今の時代では考えられない。そこに記されたAB型の文字。珍しい。少数派。血液型占い。変わり者。血液型あるある。少なくとも周りからは稀有な目で見られた。こんな小さな事でも少数派であるという事が疎ましかった。

いい大人になった今、変わり者でも少数派でも、私自身が正しく私らしく生きてゆければそれでいいと思っている。それに誇りすら持っている。自分らしく生きないことが一番正しくないのではないか。変わりゆく時代に上手く器用に乗りながら。それは図らずも法の下での範囲内である事は言うまでもないが。

この作品は老若男女、時代も性別も超えて、多くの人に読んで欲しいと思う。そして映像化された作品を観るのを楽しみに待っている。

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