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#03 街中にウシとヤギが溢れる話 - にょぎ

こんにちは!にょぎどぅー日記の「にょぎ」です。にょぎどぅー日記は、ひょんなことからバングラデシュにしばらく住むことになった仲良し女子大生「にょぎ」「どぅー」の2人が、バングラデシュでの暮らしを通して考えたこと、感じたこと、学んだことを発信していきます。全く思考回路・性格が違う2人が、同じテーマをもとにゆるっと書いていきます。日本に住んでいたらきっと気づかない「日常の当たり前ではなかった当たり前」を発信することで、少しでもみなさんの世界が広がったらな、と思います!

今回のテーマは「犠牲祭」。バングラデシュで大切にされている祭事のひとつを初めて体験をして感じたこと、考えたことを話していきます!もう犠牲祭から2週間ちょっと経ってしまいました…遅れての投稿スミマセン

「犠牲祭」の起源

「犠牲祭とは何か?」についてはどぅーが説明してくれたので、犠牲祭の起源について紹介します。私自身、イスラーム文化についてはまだまだ初心者&勉強中なので間違っている点や補足などあればコメントで教えてくださると大変助かります。

どぅーの記事はこちら↓

犠牲祭の起源は、何千年も前に、息子の犠牲を覚悟したイブラヒムの言い伝えだそうです。

『・・・昔々、イブラヒムという人が自分の息子を殺してアッラーに捧げよというお告げを受けました。アッラーへの忠誠を守るため、イブラヒムは息子を殺そうとしました。が、まさに息子を殺そうとしたとき、アッラーから1頭の羊が与えられ息子の身代わりとしてアッラーに捧げられた』
https://www.kaze-travel.co.jp/blog/silkroad_kiji052.html

自分の息子を自分の手で犠牲にすることは、相当な覚悟が必要です。その覚悟を読み取れる一節として、クルアーンには以下の記述があります。

『かれ(イスマーイール)がかれ(イブラーヒーム)と共に働く年頃になったとき、かれは言いました。息子よ、わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。さて、あなたはどう考えますか。かれは言いました。わたしの父よ、あなたは命じられたようにしてください。もしアッラーが望むなら、あなたはわたしが(犠牲になって)耐え忍ぶ者であることはお分りでしょう』
クルアーン37:102

この話では、自分の最愛の息子を犠牲にすることを覚悟したその信仰のあつさが讃えられており、この話こそ犠牲祭の起源となっています。

街中が牛だらけ


ここからは、私が犠牲祭期間を通じて経験したこと、感じたことを書いていきます。なるべくどぅーと被らないように書いていきます。
まず、Eid期間前から街が牛でごった返します。どぅーの話にもあった通り、牛や羊のマーケットが開かれます。私の住んでいる町では4kmにもわたって牛・ヤギ・羊マーケットが開かれていました!初めて見る量の牛でしたが、Eid前には売り切れるそうです…びっくり…

また、牛の影響が出るのは牛マーケットだけではなく、渋滞事情にも。牛を運んでくるトラックがダッカと地方を行き来するので道路がすごく混んでいました。ちなみに私は、車普段なら5分くらいでつく距離を、渋滞にひっかかって1時間くらいかけて進みました.…

牛を運ぶトラック

牛がやってくる

私はEid期間、今お世話になっている社長の実家に行きました。もちろん、こちらの家でも犠牲が行われます。牛とヤギをお手伝いさんが買ってきて、2日間、庭に牛とヤギが繋がれていました。
牛とヤギを最初に見たとき、「この2頭を食べるのか…」と思いつつも、なかなか実感がわきませんでした。何より、子どもたちが牛とヤギに餌をやったり、遊んだりしているので、動物園で動物を見ている気持ちに近かったです。

牛と遊ぶ子供たち

そして当日

牛とヤギが来て3日目。朝8時くらいに牛を犠牲にするため、担当の人が家に来ました。最初の一撃は首なのですが、それをできる人は限られているようで、その方は私たちの家の牛を召してから、向かいの家の牛も召しに行きました。すごく慣れた手つきで裁かれていく様子を、私は目を丸くしてただただ見ていました。目をそらしたかったけど、イスラム教徒の方にとっては大事な行事である、というのもあり、複雑な気持ちでした。好奇心旺盛な子どもたちは容赦なく牛の近くで「見て見て!」とはしゃいでいましたが、大人たちは、はしゃいでいる、というより「見守っている」ように感じました。うまいこと文章では説明できない、不思議な空間でした。

最初の一撃はあっという間でしたが、しばらく牛は息をしていました。そして息を完全に引き取ってからも、全行程が終わったのはその約6時間後。その間、お手伝いさん4人くらいがずっと庭で牛の処理をしていました。1頭を食べれる状態にするまでに、とてつもない時間と労力がかかることを初めて知りました。
何が一番印象的だったか?と言われたら、牛が切られている目の前でその牛の肉で調理されたカレーを食べたこと、だと思います。牛の処理がされているとき、本当に空気が生臭いんです。その中で食べたカレー。一生忘れないと思います。

見ようとしていないだけ?

よく考えてみれば、私たちが日ごろ口にしている肉は、あるタイミングで召されていて、だれかがその工程を担当しています。けれど、実際に私たちが見るのはスーパーにならべられた「牛肉」「鶏肉」「豚肉」。スーパーの並べられるまで、誰が、何が、どのように関わっていたのか、考えることはあまりないのではないでしょうか。
バングラデシュでは犠牲祭の期間でなくても、よく道端で鶏をさばいていたりする光景を目にします。また、地方の方だと自給自足の世界なので、「自分たちで殺して、食べる」という流れはおそらく日常に根付いているもの
この犠牲祭を通して、自分にとっての「当たり前」を考え直す機会をいただきました。だからこそ、今まで自分たちが普段口にしている食べ物の背景を考える機会がなかった私は、この犠牲祭で行われることが「気持ち悪い」「非情だ」「グロい」の一言で片づけることはできませんでした。

生きたまま売られる鶏inスーパー



自分たちの日常の裏にあるもの。それは食に限らず、服、日用品、住んでいる家など.…すべてのモノには、手元に届くまでの工程があって、誰かが・何かが犠牲になっているのかもしれない。当たり前すぎて見えていないのか、考えたくないから見ようとしていないのか。そんなことを考えていました。


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