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物欲はなくなったのか?

大学のとき「経済データ解析論」という授業を受けていた。家計調査や住宅着工数などの統計データから国の経済状況を知るというやつだ。

あのころ、大学の先生は学生の欲のなさに嘆いていた。

「なんでクルマを持たないんだ?」とか。
「将来、家を持つ気はあるのか?」とか。

これからの経済を支えていく若い人たちを嘆いていた。

単純にお金がないからでしょって思っていたけど、あれから時が経って、そういうことじゃないってわかってきた。

学生だったあの頃より「所有する」以外の選択肢が格段に増えていて、いつのまにか「持つ」幸せと「持たない」幸せが選べるようになっていたからだ。

都市部であればクルマを使う機会はそんなにないし、もしあったとしてもそのときレンタルすればいい。普段から持たなくていい。

クルマが本当に必要な人、クルマにこだわりのある人なら持てばいい。
ただ無理してみんなそれぞれ1台ずつ持っていなくたっていい。

クルマをもって幸せかどうかは人それぞれだ。

あらゆる情報やモノが増えたことで、「クルマを持たなきゃならない」「新しい家を建てることが幸せ」以外の選択肢も増えた。

無理してなにもかも持たなくていい。

じゃあ、こんな売れない時代だから、みんなの物欲はもう消えたのか?

その答えには、菅付雅信の『物欲なき世界』という本がヒントをくれると思う。先に言っておくと、物欲のない、ミニマリストの入門本ではない。

ファッション誌編集者や小売関係者、シンクタンクや学者への直接の取材やアメリカのポートランド、中国上海の動向から、21世紀の物欲のゆくえを紐解いていく良書。

かなりボリュームのある内容なので、くわしくは本を読んでもらったほうがいい。

読んだ上で物欲を語るとしたら、「物欲はなくなっていない。けれど、物欲の質がシフトした」ということ。

情報やモノが増えて、あらゆる選択肢が与えられた世界では、もっといいものを探したくて、簡単にモノを選び取りにくくなったし、余計に時間がかかるようになった。

この膨大な情報の中から積極的に選ぶためには、モノと自分のあいだになんらかのエンゲージメント(関わり)が必要だ。

モノや作った人のストーリーに共感して「つながる」か、誰かと「シェア」するか、自分で「つくる」か。

自分は何とどうエンゲージメントしたら幸せなのか?
あるいは何とエンゲージメントしないほうが幸せなのか?

モノを選び取るという行為の前に、わたしたちは各々その答えを用意しておくべきなのかもしれない。

現在進行中の、そしてさらに顕在化されるであろう「物欲なき世界」は、貧しいわけでも愚かなわけでもない。むしろ今まで以上に本質的な豊かさや知性を感じられる世界になるはずだ。ただ、「何をもって幸せとするか」を巡る価値観の対立は今まで以上に激しくなるだろう。(中略)そのような時代の到来の中で、多くの人々はより自問するだろう、「果たして自分は何が欲しいんだろう?」と。それに対する解答を、経済の言葉ではなく語れる人が、来るべき「物欲なき世界」を謳歌できるはずだ。––––––––菅付雅信『物欲なき世界』


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