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「小学生最後の夏休み、俺はママになる」第6話(全7話)

 朝になった。

 明け方、泣き声で起こされた俺は、そのまま寝ないで起きていた。母さんもそのまま起きていたし、何か手伝いたかったんだ。

 姉ちゃんも起きてきた。模擬試験に行く準備をしている。

 母さんがカレンダーを見ながら言った。
「だめねえ。やっぱり今日は休めないな。」
考え込んでいる。

「俺、がんばるよ、真里姉ちゃんが帰るまで。」
そう言った俺を見て、母さんが微笑んだ。

「うん、悟ががんばってくれるのはわかってるのよ。でもね、万が一何かあった時を考えると、やっぱり大人がいないと心配なの。やす子おばさんは今日は忙しいと思うし。」
また母さんが考え込んだ。

 姉ちゃんが申し訳なさそうに言った。
「役に立てなくてごめんね。」

「模擬試験の方が大事!がんばれ!」
俺はグーの手を姉ちゃんに差し出した。姉ちゃんは笑った。

 そこへ電話が。

「もしもし。」
母さんが出た。

「ああ、兄さん。」
伯父さんらしい。

「うん、うん、そう。わかったわ。……私は今日は休めないな。うん。当てがないわけじゃないから、確認する。うん。」
母さんが受話器を置いた。

「伯父さんからだった。例の真里ちゃんの友達の恵美さんが、連絡とってくれたみたいで、真理ちゃん、彼の家でねばって話し合ってるんだって。でも伯父さん、真里ちゃん本人とは話せてないんだって。携帯にも出てくれなくて。」

「でも無事なのはわかったのね。」
姉ちゃんが言った。

「うん。でね、今夜伯父さんここに来るって。涼太君のことをまかせっきりですまないって言ってた。……それで考えたんだけど、今日は父さんにここに来てもらおうか?」

 俺と姉ちゃんは顔を見合わせた。

 離婚してからも、父さんとは月に一度くらいは会っていたけど、母さんはこの家には絶対父さんを入れなかった。いつも、俺達が父さんのマンションに行くか、どこか別の場所で会っていたんだけど。

「……母さんがいいなら俺はいいけど。」
俺が言うのを聞いて、母さんはうなずいた。

「よし、そうしよう。あの人じゃ赤ちゃんの世話の役には立たないけど、困った時は何とかしてくれるでしょう。電話して聞いてみるわ。」
母さんはそう言うと、電話をかけた。

 姉ちゃんが小声で言った。
「母さんが父さんをこの家に入れるなんてね。」

「うん。……でも頼めそうな大人がいないしね。」

「そうね。」

 電話が済んだ。
「父さん、午前中は用があるんだって。昼頃からなら来れるらしいわ。簡単に事情は説明しておいたから、悟、悪いけどそれまで頼んでいい?」

「うん。」

「ごめんね。何かあったら時間気にせずに電話してきていいからね。」

「大丈夫だよ、がんばる。」

 赤ちゃんを見ると、今は寝ている。泣き続けている赤ちゃんには参るけど、赤ちゃんの寝顔はかわいい。

「私も、試験が終わったらすぐに帰るね。」
そう言った姉ちゃんを見て、母さんが時計を気にしながら台所へ行った。
「急いで朝ごはんにしなきゃね!」


 朝食を済ませて、母さんと姉ちゃんは出て行った。

 シゲ兄ちゃんの迎えが来るまで、姉ちゃんはなんだかそわそわしていた。

 そして迎えに来た時のスーツ姿のシゲ兄ちゃんを見て、一瞬固まって、あわてて靴を履いて、うわずった声で「行ってきます」と言って出て行った。

 俺はニヤニヤしながら見送った。

 でも。

 今はニヤニヤなんかしている余裕はない。
 赤ちゃんが泣き出したのだ。

 おむつおむつ。あけてみるとうんちだ。相変わらずゆるゆるうんちだ。

 この後始末がなかなか大変で。

 お尻全体、タマタマのしわの中にもうんちがついていて、きれいにするのが難しい。洗ってあげるにしても、俺一人でやるのは一苦労。

 とりあえず、ざっと拭こう。そう思ってお尻をのぞき込んだ瞬間!

  ぶぼぼぼぼっっ!

 すごい音とともに何かが俺の顔にかかった。
 え?何?

 ……ぎゃああああああ!
 おならとともにうんち大発射ですか!

 勘弁してくれよぉ~!ひええええええっ!

 見るとシャツの胸のところに黄色の小さな水玉模様ができている。

 ウンチシャワーを浴びる羽目になるとは!しかも赤ちゃんはまだ泣いている。

 そこへもってきて、玄関のチャイムが鳴った。

 俺はもうとりあえず、赤ちゃんのお尻に新しいおむつをあてて、自分の汚れたシャツを急いで着替えて玄関に出た。

「悟~!俺!正だけど。慶太もいるよ。」
のんきな正の声がした。なんだあ、あいつらか。

「なんだよ、今忙しいんだ。」
俺は玄関を開けながら言った。

「おう、おはよう、悟!」
正が笑いながらひょこっと顔を出した。

「あれえ?赤ちゃんの泣き声?テレビの音?」

そう言う正に、
「え?ああ、説明すると長いんだけど、俺今、一人で子守してるんだ。」

「悟一人で?誰の子?」
正の横から顔を出した慶太が、不思議そうに聞く。

「ええっと、まあとりあえず入って!ちょっと今大変なんだ。」
俺が二人を玄関に通すと、正が俺の顔を見て言った。
「今朝はカレーだったのか?」

「カレー?」

「口の横についたままだぜ。」

口の横に……カレー?……まさか。

 俺は洗面所に走った。


 正が大笑いしている。

「災難だったなあ。どう見てもカレーだったんだけど。」
そう言って、正が笑い続ける。

「笑い事じゃないんだぞ!大変なんだからさ!」
ふくれる俺を見て、笑いをこらえながら慶太が言った。

「お尻、洗ってやるつもりなら手を貸そうか?」

「え?ほんと?助かる、頼むよ。」
そう言うと、慶太が慣れた手つきで赤ちゃんを抱き上げると、肌着を持ち上げて準備し出した。俺は驚いた。

「慶太、なんか慣れてない?」

慶太は、ははっと笑いながら、
「ほら俺ンとこ、二人妹いるだろ?下の妹とは十歳離れてるから、時々世話するのを手伝ってたんだ。今でもまだ二歳だから、トイレ失敗することもあってさ、シャワーしてやったりするんだ。」

 そう言われれば妹小さかったな。これはもしかして力強い助っ人かも?

 期待通り、慶太はびっくりするくらい手際よくて、俺は大助かりだった。こうやっていつも妹達の世話を手伝ったりするから、慶太はしっかり者になったんだな。正は俺達のするのを口をあけたまま見ている。いつかのシゲ兄ちゃんを思い出す。

「慶太、すげえな。俺なんか一人っ子だし、子守したことなんか全然ないよ。」
正がため息混じりに言った。

 俺もため息をついた。
「俺も弟だしな。子守は初めてだよ。泣かれたりするとどうしていいかわかんないし。」

 慶太が笑った。
「俺だってわかんないよ。でも妹だからさ、なんていうかかわいいしね。」

慶太はじーっと赤ちゃんを見つめた。
「今日は悟を遊びに誘いに来たんだけど、それどころじゃないみたいだな。……この子さ、名前、なんていうんだ?」

「え?」


名前?……赤ちゃんの……名前?


 俺はちょっととまどった。

「ああ、えっと、涼太。」

「そうか、涼太君か。」

慶太は、改めて赤ちゃんを見つめると、
「涼太君、俺は悟の友達の慶太だよ。『太』が同じだね。お尻、さっぱりしてよかったな。」
と言った。

 赤ちゃんの名前、涼太。

 ……考えたら、俺、赤ちゃんの名前、呼んだことがない気がする……。

 それに気づいたら、なんだか、目の前にいる赤ちゃんが、今までと違う見え方になってきた。

 自分と違う、不思議な存在の赤ちゃん、だと思ってたけど、この子は涼太君なんだって。この世界にたったひとりの涼太君なんだって。

 そう思ったら、今までのことが、ザーッと頭の中で回転しだした。


 あの時の涼太君。
 また別の時の涼太君。


 ……俺、真里姉ちゃんの気持ちはいろいろ想像して考えてきたけど、涼太君の気持ちは全然考えてなかった!

 ある日いきなり知らない家に連れてこられて、知らない顔がたくさんあって、自分の状況がよくわからない中で、ママに寝かしつけられて目が覚めたらママがいない。

 すぐに戻ってくるかと思ったら、いつまでたってもママは戻ってこない。代わりに、よく知らない人達が相手をしてくれている。でも、僕のママはどこなの?ママの声が聞こえない。ママのおっぱいが飲みたい。ママ、どこ?

 涼太君。

 きっと不安だよね。ママがいなくて怖かったり寂しかったりしたよね。

 ミルクを飲ませていた俺の手に小さな小さな手を重ねて、じっと俺の顔を見ていた時、君は何が言いたかったの?

 俺は涼太君を見つめた。お尻がきれいになって、機嫌はよさそうだ。自分の顔の前に、自分のグーの手を持ってきて、じーっと見ている。

 涼太君、俺じゃ頼りないと思うけど、がんばるよ。俺の方が君より兄ちゃんだ。俺が涼太君を守らなきゃ!

「なあ、結局誰の子なの?涼太君って。」
正が居間のソファから聞いた。

 俺は二人に簡単に事情を説明した。

「ふーん、なんか大変そうだな。」
正が頬杖をついて言った。

「俺達、悟の父さんが来るまで手伝おうか?な、正?」
慶太が正を見て言った。

「え?そりゃいいけど、俺は何していいかわかんないから、教えてくれよ?」
正が慶太に言った。

 慶太は笑った。
「俺のできることだってたいしたことじゃないけど、もともと悟と遊ぶつもりで来たんだし、いいよな?」

 正も笑った。
「おっけー。いいよ。」

 俺は嬉しくなった。
「ありがとう、助かるよ。悪かったな、遊べなくて。」

 正がニッと笑って、
「いつもはできないことをするのも楽しそうじゃん。」
と言った。正はいつものんきで軽い感じだけど、こうやって何でも前向きに楽しんでやろうとするところがすごいと思う。

 俺は慶太も正も大好きだ。

 慶太と正がいてくれた間、涼太君はあまり寝ないでいたけど、比較的機嫌がよくて、ほとんど泣かなかった。

 慶太が言うには、きっと俺達三人の子供の声が聞こえてるからだって。同じ子供同士の声って、赤ちゃんはよく聞いているらしい。人見知りをするようになっても、相手が子供だと慣れるのが早いとか。自分と仲間だって思うのかな。

 だから、時々涼太君の世話をしながらも、居間で遊べる遊びをした。俺達の楽しそうな雰囲気がわかれば、涼太君も楽しい気分になるかもしれないと思って。トランプとか、ボードゲームとか。

 そうしたら、結構時間の経つのは早くて、気づくともうお昼になっていた。

「腹減ったな。」
正が言った。

「もう昼だな。悟の父さん、そろそろ来るんだろ?」
慶太が時計を見た。

「うん、たぶん。」
俺も時計を見た。二人がいてくれて助かった。あとはなんとかがんばれる気がした。

「二人とも、手伝ってくれてありがとう。もう帰っていいよ。昼ごはん、家に帰って食べるんだろ?二人の母さん、待ってるだろうし。」

慶太が心配そうに言った。
「大丈夫か?もう少しいてもいいよ。」

「うん、俺もいいよ。」
正も言ってくれた。

 でも俺は笑って言った。
「大丈夫。慶太と正のおかげで元気になったし、父さん来るまでがんばれるよ。」

慶太と正は顔を見合わせた。

「うーん。じゃあ帰るか。」
正が言った。

 慶太もうなずいて、俺の方を向いて言った。
「もし父さんがなかなか来なかったりしたら、電話くれよな?俺、昼ごはん食べたらまた手伝いに来れるからさ。」

 俺は本当に嬉しかった。だから素直に言った。
「ありがとう。もしそうだったら助けてもらうよ。」

 慶太は、うん、と言った。

「じゃあ、またな。」
正が立ち上がって言った。

「うん、またな。ありがとな。」
俺は二人を玄関まで送った。

 ふと、慶太が玄関の靴を見てつぶやいた。
「加奈子さん、いないんだな。」

「え?ああ、模擬試験。何か用事あった?」
答えた俺に、慶太はあわてて首を振った。

「いや、なんでもない。じゃあ帰るよ。がんばってな。」
そう言って、正と帰って行った。・・・どうしたんだろ?




 慶太に電話する必要はなかった。

 父さんは、二人が帰って十分もしないうちに来た。

「朝から来れなくて悪かったな。大丈夫だったか?」
父さんが玄関で言った。

「うん、友達が来て手伝ってくれたんだ。ほら、慶太と正。」

 父さんはちょっと考えて、ああ、と思い出したように、
「あの二人か。元気なのか?二人とも。」
と言った。

「うん、元気。」

「そうかあ、しばらく会ってないな。でかくなったんだろうな。」

 父さんは靴を脱ぎかけて、ふと、
「この家にあがるのもひさしぶりだな。」
と言った。

「そうだね。」
俺もちょっと複雑な気持ちで言った。

 ……父さんと母さんと姉ちゃんと俺と、四人の家だったのにね……。

「じゃ、おじゃまします!」

 父さんは靴を脱いで、えいっと声をかけてあがった。


「ほお、この子が涼太君。真里ちゃんに似てるような気もするな。」
父さんは涼太君をのぞき込むと、ちょんちょんとほっぺをつついて、
「こんにちは。悟の父さんです。」
と言った。

 俺は台所に向かうと、
「父さん、何か食べようよ。」
と言った。

 父さんは、
「おお、そうだな、腹減ったな。途中でちょっと買って来たんだ。食べよう。」
と言って、俺に袋を差し出した。昔よく一緒に食べた駅前のお弁当屋さんの袋だった。

「ここのお弁当、ひさしぶり。じゃあ飲み物用意するね。父さん、麦茶でいい?」

 父さんは居間で涼太君を見ながら、
「うん、いいよ。」
と言った。

 父さんと二人でお弁当を食べる。涼太君は時々手を動かしながら天井を見ている。

 父さんが涼太君の方を見て言った。

「加奈子や悟があのくらいの頃は、父さんあんまり育児に参加してなかったから、よく母さんに文句言われたよ。」
そして苦笑いをした。

「たとえばどんな?」
おかずを頬張りながら聞いた。

 父さんは、うーんと言ってから話し出した。

「私は二十四時間ずっと休みなしで、自分の時間も持たずに育児と家事をしてるのよって。父さん、煙草吸うだろ?外に出て吸ってたんだけど、母さんがよく、ため息混じりに、『あなたはいいわよね、ひとりになって一服できて。私はひとりでゆっくりお茶も飲めずに、食器洗いながら合間に立ったままで飲んでるわ。』って言ってた。」

「へえ。」

俺は想像した。でもわかる気がする。たったひとりで赤ちゃんを見てたら、食事さえままならない日が多かっただろうと思う。

「そういうことで母さん怒って離婚しちゃったの?」

 そう俺が聞くと、父さんは困ったように笑って、
「うーん……。まあそういうことも原因だったのかもしれないな。なんていうか、毎日のいろんなことの積み重ねだったんだと思うよ。母さんにも父さんにも、小さな不満がいろいろあって、いくつも重なってだめになったんだろうな。」
と言って、ご飯を口に運んだ。

 俺はちょっと考えた。
「……その不満って、俺や姉ちゃんのこともあったの?」

 すると父さんは、まっすぐ俺を見ながら、ごくんとご飯を飲み込んで、
「悟や加奈子は原因になってない。」
とはっきり言った。

「父さんと母さんふたりの問題だよ。悟達には、寂しい思いをさせたと申し訳なく思ってるけど、夫婦の間のことでそうなったんで、悟と加奈子はなんにも悪くないんだ。」

 父さんはそう言って、俺をしばらく見てから、
「悟、自分が悪くて離婚したのかもって思ってたのか?」
と聞いた。

 俺はあわてて、
「いや、そういうことじゃないんだけど。なんとなく、さ、原因はなんだったんだろうって考えたりはしてたよ。」
と言った。

 父さんはため息をついた。

「まあ、父さん自身、原因はこれだってはっきりはわかってないんだ。離婚前後は、自分のことばっかり考えてたけど、離れてみて落ち着いてきたら、ああ、父さんのここがいけなかったな、あれが悪かったなって少しずつわかってきてさ。今更だけど、反省することが多いんだよ。」

 そう父さんが言うので、俺は言ってみた。
「それならそうやって母さんに謝ればいいじゃないか。」

 父さんは一瞬、ぽかんとしたような顔をして、笑い出した。
「そうだな、それがいいかもしれないなあ。」

 そして、くっくっくと笑って俺を見て、
「悟は、慶太君や正君とけんかしても、謝って仲直りできるかい?」
と聞いた。

 俺はちょっと考えて、
「なかなか謝れない時が多いけど、ちゃんと仲直りするよ。」
と答えた。 
 
 父さんはうなずいて、
「そうだな、父さんより悟の方がえらいな。……大人って言うのは、悪いとわかってても謝れないんだよな。そして、なかなか相手を許してやれないんだ。」
と言った。

「なんで?」
俺は聞いた。

 父さんはまた苦笑いして言った。
「子供は大人が思うより大人で、大人は子供が思うより子供だってことだな。」

 俺はなんだかよくわからなかった。俺はまた聞いてみた。
「父さんは、母さんが嫌いなの?」

 父さんはまた笑って言った。
「嫌いじゃないよ。結果的にうまくいかなくて残念だったけど、母さんと結婚して、加奈子や悟に会えて、楽しく暮らせて、本当によかったと思ってる。それはやっぱり、母さんのおかげだって感謝してるよ。」

 俺はほっとした。それで、ずっと思ってたことを、思い切って言ってみることにした。

「じゃあさ、父さん。またもとのように父さんと母さんと姉ちゃんと俺と、四人一緒に暮らさない?」

 父さんはしばらく黙って俺を見つめていたけど、困ったように頭をかいて、
「……まいったなあ。」
と、複雑な表情で小さくつぶやいた。


 涼太君が泣き出した。

 話がしっかり最後まで終わってないけど、涼太君をみてやらなきゃ!

「涼太君、まずはおむつを見ようね。」

俺はそう言って、おむつを替えた。そして手を洗って。ミルクを作る。

「よし、できたよ。さあ、涼太君、おまたせ。お腹すいたよな。」
俺は涼太君を抱いて、ミルクを飲ませた。元気に飲んでいる。

 ずっと見ていた父さんが、
「悟、すごいなあ。びっくりしたよ。」
と言った。

「まあね。真里姉ちゃんが帰るまでは、ママ代わりになるって決めたんだ。」

「へえ。悟も立派になったなあ。」

 ミルクを飲み終わった涼太君を縦抱きにして、げっぷをさせる。そのまましばらく抱いていた。

 俺は、さっきの話の続きをしたかったけど、父さんの、本当に困ったような複雑な顔を思い出して、言い出すことができなかった。

 結局、父さんと他愛のない話をしながら時間は過ぎていき、姉ちゃんが帰ってきた。

「父さん、いらっしゃい!」

「おじゃましてます。おかえり、加奈子。試験はどうだったんだい?」

姉ちゃんはふふんと笑って、
「いい感じ。手応えありよ!」
と言った。

「すごいな、加奈子は。志望校なんとかなりそうだな。」

「まだ夏休みだもん、がんばるよ!」
姉ちゃんは機嫌がよかった。

「涼太君はどうだった?悟、大丈夫だった?」

 聞かれて俺は答えた。
「うん、なんとかなった。午前中は、慶太と正が手伝ってくれたんだ。」

 姉ちゃんはかばんをおろしながら、
「あの二人?」
と意外そうな顔をした。

「それがさ、慶太がすごく慣れてたんだ。妹の世話、いつも手伝ってるみたいでさ。」

姉ちゃんは、ああ、という顔をして、
「そういえば、まだ小さい妹がいたね。」
と言った。

「そうなんだ。助かったよ。」

「よかったね。私もシゲ兄ちゃんも、心配してたんだ。ちょっと、荷物片付けてくる。」
姉ちゃんは二階へ上がっていった。

「加奈子もがんばってるんだなあ。加奈子と悟ががんばっているのを見ると、父さんもがんばろうって気持ちになるよ。」
父さんがうれしそうに言った。そしてテーブルに頬杖をつくと、
「親ってさ、自分が子供を育てているようで、自分も子供に育てられているんだよな。だからたぶん、子供のいない人より、子供のいる人の方が、苦労も多いけど成長できると思うんだ。……父さんは、子供に恵まれてよかったよ。」
と言った。

 そして涼太君を見て、
「真里ちゃんも、涼太君と一緒にちょっとずつ成長して、きっと素敵なお母さんになると思うよ。」
と言った。

 真里姉ちゃん、早く帰っておいでよ。涼太君、待ってるよ。

「よし、こんどは私がママよ!」
そう言って、姉ちゃんが腕まくりしながら居間に入ってきた。

「じゃあ、俺は宿題でもするかな。」
俺が言うと、姉ちゃんが大袈裟に驚いた。
「おお、自分からその気になるなんてめずらしい!」

俺はニシシと笑って、
「父さんを育てるのさ。」
と言った。

 父さんが大笑いした。姉ちゃんはきょとんとしている。




 夕飯は、父さんが宅配ピザを頼んでくれた。また食べてる間に涼太君が泣いたけど、父さんも含めて三人で交代であやしながら食べた。

 しばらくして涼太君が寝た頃、母さんが帰ってきた。
「ただいま!あのね、兄さんと駅で一緒になったの。」

 母さんの後ろから伯父さんが入ってきた。
「今回は本当に申し訳なかった。真吾(しんご)君にまでお世話になってしまってすまない。」
伯父さんはそう言うと、深々と頭を下げた。

 真吾は父さんの名前だ。

 父さんはあわてて立ち上がって頭を下げると、
「いえいえ、私は子供たちに会いに来ただけです。涼太君のお世話をしていたのは、悟と加奈子で、私は見ていただけですから。」
と言った。

 すると伯父さんは、俺と姉ちゃんに向かって、
「加奈ちゃん、悟君、本当にありがとう。なかなか仕事が片付かなくて、頼りっぱなしですまなかった。とんだ夏休みになってしまったね。」
と頭を下げた。

 俺はなんて言っていいかわからなくて固まってたけど、かわりに姉ちゃんが、
「真里姉ちゃんが無事だとわかってよかったです。伯父さんも心配だったでしょ?」
と言った。

 伯父さんは眉間にしわを寄せて、
「真里には困ったものだ。我が子を何日放っているんだ!母親になったという自覚に欠けている。」
と言った。

 母さんはそれを聞いて、
「真里ちゃんも、涼太君のために必死なんだと思うわよ。」
と真里姉ちゃんをフォローした。

 伯父さんは母さんを見て言った。
「しかしあの男は父親にはなれんよ。あいつを当てにしてもどうにもならないさ。」

 父さんは立ったまま様子をうかがっていたけど、部屋の隅においてあったかばんを取ると、
「では、私はこれで失礼いたします。」
と頭を下げて玄関に向かった。

 伯父さんはびっくりして引きとめて、
「いやいや真吾君、もう少しゆっくりしていってくれよ。何のお礼もできてないし。」
と言った。

 父さんは笑いながら、
「そんな、お礼だなんてとんでもない。何もしてないですから。」
と言った。そして、俺達の方を見ると、
「じゃあまたな!今日は楽しかった。」
と言った。

 俺は、
「うん、俺も!またね!」
と言って手を振った。

 姉ちゃんも、
「またね!帰り気をつけてね。」
と言って手を振った。

 伯父さんはしかたないか、という顔で、
「そうかい、残念だな。まあしかし、今日は本当にありがとう。」
と、また頭を下げた。

 母さんは、父さんを玄関まで送っていった。
「今日は突然お願いしてごめんなさいね。助かったわ。」
母さんが言うのが聞こえた。

「いや……、こういう時に、君が僕のことを思い出してくれて、うれしかったよ。」
父さんが、少し小さめの声で言うのも聞こえた。

「また、子供達に会う日程、連絡待ってるから。」

「……ええ、また。今日はありがとう。おやすみなさい。」

「おやすみ。」

父さんが出て行った。


 「涼太、悪かったな、おじいちゃん、全然来てやれなくて。元気だったかい?」
伯父さんが一生懸命涼太君に話しかけている。でも、抱き方といい、話しかけ方といい、俺が言うのもなんだけど、どうもぎこちない。でもしかたないか。あんまり一緒にいる時間ないんだもんな。

「兄さん、何か飲まない?」
母さんが台所から声をかけた。

「おお、じゃあコーヒーもらえるか?」
と伯父さんが言った。

「わかった。今入れるわ。」
母さんがカップを出した。

「私、お風呂の準備してくるわね。」
姉ちゃんが廊下に出た。

「ありがとう、お願い。」
母さんが答えた。

 よし、じゃあ俺は、涼太君のお風呂準備をしよう。新しい肌着とおむつにガーゼ、バスタオルと綿棒……。

「悟君、ひょっとして涼太のために揃えてくれているのかい?」
伯父さんが言った。

「うん、そうだよ。」

伯父さんはため息をついて、
「頭が下がるよ、君達はすごいな。伯父さんはかなわないよ。」
と言って、ソファに腰をおろした。

 母さんは笑いながら、
「兄さんも少しずつでも手順を覚えていかないと。おじいちゃんなんだから。」
と言った。

 伯父さんも笑いながら、
「そうだな、勉強しないと。悟君、教えてくれるか?」
と言った。

「うん、俺がわかることならね。」

「ありがとう、よろしくな。」

母さんが微笑みながら、
「兄さん、コーヒーできたわよ。」
と言った。

 順番にお風呂に入って、全員入り終えて、居間でなんとなくテレビを見ていた時、玄関のチャイムが鳴った。

「誰かしら?」
母さんが玄関に出た。

「真里ちゃん!」
母さんが驚いて言うのが聞こえた。俺と姉ちゃんは顔を見合わせて、玄関に走って行った。

「真里姉ちゃん!」
俺と姉ちゃんが同時に叫んだ。

 真里姉ちゃんはうつむきかげんで小さくなってしまったみたいに見えた。
「本当にごめんなさい。私……。」

 そこまで真里姉ちゃんが言ったところで、
「真里!」
俺達の後ろから伯父さんが叫んだ。

 真里姉ちゃんはびっくりして顔を上げて、
「お父さん!来てたの?」
と言った。

 伯父さんはズカズカと俺と姉ちゃんの間を割るように歩いてきたかと思うと、いきなり真里姉ちゃんの左頬をものすごい音で叩いた。

「真里!お前、何やってるんだ!周りにどれだけ迷惑をかけたと思っている?」

 真里姉ちゃんは、叩かれた頬をおさえて、少し震えながら、
「ごめ……なさ……。」
と言った。

 母さんは、裸足にサンダルをひっかけて、真里姉ちゃんの横に立つと、真里姉ちゃんの肩を抱くようにして、
「ね、もういいから、とにかく上がりなさい。」
と真里姉ちゃんに言うと、伯父さんを見て、
「兄さんも、話は部屋に入ってからしましょう。」
と言った。

 俺と姉ちゃんは、どうしていいかわからずに、突っ立ったままだった。そんな俺達を見て、
「加奈子と悟は上に行ってなさい。」
と母さんが言った。

 でも伯父さんが、
「いや、加奈ちゃんも悟君もここにいてかまわないよ。君達にはさんざん迷惑をかけたからね、真里の話を聞く権利がある。」
と言った。

 俺と姉ちゃんは顔を見合わせて、迷っていたけど、母さんが、
「好きにしなさい。」
と言ったので、一緒に残ることにした。

 でも、並んで座る勇気はなくて、俺は姉ちゃんと二人で台所のテーブルにつき、居間でソファに座って話す真里姉ちゃんと伯父さんと母さんのやりとりを聞くことにしたんだ。

↓第7話(最終話)

第1話:https://note.com/yukiejimusho/n/n34a45e1c80a4

第2話:https://note.com/yukiejimusho/n/nfbd75598fdd4

第3話:https://note.com/yukiejimusho/n/n7d8c3e84eee0

第4話:https://note.com/yukiejimusho/n/n74b635348eb0

第5話:https://note.com/yukiejimusho/n/n1621ea19e8e0

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