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「小学生最後の夏休み、俺はママになる」第4話(全7話)

 姉ちゃんの買い物が終わって、俺達は屋上へ向かった。エレベーターが開いて屋上の遊び場に着くと、やっぱりいい天気で暑かった。

「真里姉ちゃんどこだろう?」

姉ちゃんが周りを見回す。
「あ、あそこのベンチ。」

 少し日陰のできるベンチに、真里姉ちゃんが座っていた。脇にベビーカーがある。近づこうと俺達が行くと、俺達より先に、うさぎの着ぐるみが真里姉ちゃんに寄っていった。そして手に持った風船を真里姉ちゃんに差し出した。

「え?私に?」
真里姉ちゃんが少し驚いたようにうさぎを見上げた。

 うさぎは大きく首を振ってうなずいた。

「ありがとう。」
真里姉ちゃんはくすっと笑って風船を受け取ると、
「うさぎさんの仕事、大変そうね。こんな暑い日に。」
と言ってうさぎを見た。

 うさぎはまたオーバーにうんうんとうなずいた。

「そうよね、大変よね……。」
真里姉ちゃんは風船をじっと見ている。

「私の仕事はね、この子を育てること。」
そう言って、こんどはベビーカーを見つめた。

「この子は私の大事な息子。かわいい私の息子よ。」

 うさぎはまたうんうんとうなずいて、ベビーカーをのぞきこんだ。

「私、がんばってこの子のママになろうって決めたの。」

 真里姉ちゃんは、俺達にはまったく気づいていないらしかった。ベビーカーを見つめているように見えて、全然違う、どこか遠くを見ているような目だった。

「一生懸命やってるの。がんばってるの。自分で決めたことだもの、私は母親だものって。」
真里姉ちゃんの声がかすれてきた。

「でも……こんなに大変だって思わなくって……。つらくって。自分が甘かったのはわかってるけど……。もうつらくって……自信ないよ。」
真里姉ちゃんは顔を覆ってしまった。俺と姉ちゃんは顔を見合わせた。うさぎはもう首を振らずに、ただ真里姉ちゃんの前に立っていた。

 しばらくして、うさぎはベビーカーに風船をつけると、そのままどこかへ行ってしまった。俺達は出て行くことができずに、真里姉ちゃんが落ち着くまで待った。



 

「真里姉ちゃん、お待たせ!」
たった今来ましたというように、俺と姉ちゃんは出て行った。

「あら、加奈ちゃん、気に入ったのあった?」
真里姉ちゃんは微笑んだ。無理して作ってる笑顔なのかなぁ……。

「シゲ兄ちゃんとは、二階の喫茶店で待ち合わせてるの。」
姉ちゃんが時計を見た。
「そろそろなんだ。」

 真里姉ちゃんはちょっと考えて、
「せっかく迎えに来てもらったけど、また店の中まわってる最中に涼太がぐずりだしても困るし、私このままここにいようかしら。」
と言った。

 でも姉ちゃんは、
「一緒に行こうよ。今涼太君寝てるみたいだし、泣いたらその時はその時だよ。」
と言った。

 たぶん姉ちゃんにしたら、真里姉ちゃんとシゲ兄ちゃんを会わせるのはあまりおもしろくないはずだけど、さっきの真里姉ちゃんを見た後では、ひとりにしておけないのかもしれない、と俺は思った。

「ここじゃ、きっと涼太君も暑いよ。一緒に行こう!」
姉ちゃんが真里姉ちゃんの手を取った。

「そうね、ここ、暑いわね。じゃあ一緒に行く。」
真里姉ちゃんが立ち上がった。



 

 俺達はエレベーターに乗って二階まで降り、待ち合わせの喫茶店に入った。シゲ兄ちゃんはまだ来ていない。

 そこに、携帯の着信音が鳴った。真里姉ちゃんの携帯だった。

「ちょっとごめんね。……はい、もしもし?恵美(えみ)?……うん。……え?本当?それで?」
真里姉ちゃんが眉間にしわを寄せて話している。恵美さん?友達かな?しばらく話した後、真里姉ちゃんは電話を切ると、
「加奈ちゃん、悟君、ごめんなさい。私先に帰るわ。」
と言った。

「え?どうしたの?」
びっくりする俺達の顔を見て、ちょっと真里姉ちゃんはあわてたように、
「友達からの電話で、ちょっといったん帰らないといけなくなったの。叔母さんから頼まれた買い物もあるのよね?悪いけど、先に帰らせてね。」
と言うと、俺の持っていた荷物を受け取ろうとした。

「じゃあ、俺も一緒に帰るよ。荷物持つからさ。」
俺は言ったけど。

「大丈夫。悟君は買い物した荷物を持ってあげて。」
と真里姉ちゃんは言った。

「じゃあ、お先に。」
真里姉ちゃんは、ベビーカーを押して、一人帰っていった。

「いったい何だろうね?」
首をかしげる姉ちゃんと、顔を見合わせた。

 「お待たせ!」
シゲ兄ちゃんが現れた。額に汗をかいている。そして、周りをキョロキョロして言った。

「あれ?真里さんは?」

姉ちゃんは不思議そうな顔をして、
「なんで真里姉ちゃんが私達と一緒だと思うの?」
と言った。

 シゲ兄ちゃんはちょっとあわてて、
「さっき、真里さんっぽい人を見かけたんだよ。」
と言った。

 姉ちゃんはまた不思議そうな顔をして、
「シゲ兄ちゃん、いったいなんのバイトしてるの?」
と言った。

 でもシゲ兄ちゃんは、
「うん、まあ、いいじゃないか、さ、勉強、勉強!質問って何?」
とはぐらかした。

 秘密ってこと?いったい何のバイトなんだろう?姉ちゃんも不服そうだったけど、あきらめたのか、問題集をかばんから出した。

 姉ちゃんがわからなかったところを一通り教わると、シゲ兄ちゃんは注文していた飲み物を一気に飲み干して、
「じゃ、またな!明日は加奈ちゃんちに行けると思う。」
と言って立ち上がった。

「会計済ませておくから、ゆっくり休んで帰りなよ。」
そう言ってちょっと手を上げて、にっと笑うと、喫茶店を出て行った。

 姉ちゃんはしばらくシゲ兄ちゃんの後ろ姿を見つめていた。俺は、もうほとんど残ってないジュースを音を立ててすすった。



 

 帰り道もやっぱり暑かった。母さんに頼まれた買い物をして、姉ちゃんと二人で荷物を持って、家に着いたのはもうお昼を過ぎた頃だった。

「腹減った!」
喫茶店で何か食べておけばよかったと後悔した。

 姉ちゃんもため息をついて、
「私もすいたぁ。真里姉ちゃん、お昼ご飯どうしたかな?」
と言った。

 かばんをあけると、鍵を取り出して玄関を開ける。

「ただいまぁ!」
家の中は静かだ。赤ちゃんは寝ているのかな?玄関に、たたんだベビーカーがある。

「買ってきたお惣菜、冷蔵庫に入れないとね。」
姉ちゃんはぱぱっと靴を脱いで、台所に入っていった。俺は、客間をのぞいてみた。布団の上に赤ちゃんが寝ている。こんどは居間に行く。真里姉ちゃんはいない。トイレかな?

俺が腰をおろそうとした時、
「悟!ちょっとこれ見て。テーブルにのってた。」
と、姉ちゃんが小さな紙切れを差し出した。置手紙?

   ごめんなさい。急ぎの用事ができました。
   夕飯頃までには戻ります。
   涼太をお願いします。      真里

 テーブルの上には、粉ミルクと哺乳瓶が置いてあった。

「ええっ!いきなり言われても、どうすりゃいいの?」

「私だって困るわよ!」

 俺と姉ちゃんは互いに焦っておろおろした。

 でもしばらくして、
「まあ夕飯までよね、まだ涼太君、寝てるんだし、起きて泣いたらおむつを見て替えて、ミルクあげたらいいのよ。」
と姉ちゃんが言った。早速姉ちゃんは、粉ミルクの缶の、ミルクの作り方の説明を読み出した。こういう時、俺は姉ちゃんを尊敬する。やっぱりお姉ちゃんだよなあ。

 俺は、客間をのぞきにいった。うん、まだ寝ている、大丈夫。台所に戻ると、俺もミルクの説明を読んだ。そして紙おむつの確認をして、支度を整えた。姉ちゃんは湯冷ましを作っている。哺乳瓶の横には、哺乳瓶を消毒できるケースがあった。箱の説明を見ると、電子レンジで消毒できるらしい。へえ、すごいな。

「とりあえず、準備はしたから、私達のお昼ご飯にしよう。」
姉ちゃんが言った。

「うん、俺もうペコペコ。」

「私も。」
二人で笑う。簡単に、レトルトカレーにすることにした。

 食べ終わって、片づけが済んだ頃、泣き声が聞こえてきた。
「起きた!」
姉ちゃんが言った。

 さあ、戦闘開始!

 俺は客間に行くと、真里姉ちゃんに教わったことを思い出しながら、ゆっくり丁寧に赤ちゃんを抱き起こした。泣き続ける赤ちゃんを、居間に連れて行く。

「涼太君、おいで。」
姉ちゃんがおむつを広げて待っていた。姉ちゃんは俺から赤ちゃんを受け取ると、バスタオルの上にそっと寝かせ、おむつを替えた。ひとつひとつ手順を確認するようにゆっくりと。

「悟。湯冷ましできてるから、ミルク作ってくれる?」

「あ、うん。」

 俺は急いで台所に行くと、消毒済みの哺乳瓶にミルクを作る。なんかけっこう緊張すんなぁ。これでいいかな?手間取ったけどなんとか作って姉ちゃんのところに持っていく。

「はい。」

「ありがと。はい、涼太君、悟が作ってくれたミルクだよ。」
姉ちゃんは赤ちゃんをしっかり抱いて、哺乳瓶を傾けて飲ませる。

「おお、飲んでる飲んでる!見てよ、悟!ちょっと感動!」
姉ちゃんは興奮気味だ。

 一生懸命飲んでるなぁ。俺は赤ちゃんをのぞきこんだ。

「はい、もうおしまいですよ。」
姉ちゃんが空になった哺乳瓶を赤ちゃんの口から離したとたん、赤ちゃんがまた泣き出した。

「え?何?足りないのか?」

「そうかな?でも量は足りてると思うんだけどな。」

 姉ちゃんは赤ちゃんを縦抱きすると、赤ちゃんのあごを自分の肩に乗せて、背中をトントンと優しくたたいたりさすったりした。ああ、真里姉ちゃんもしてた。げっぷを出させるんだな。泣いてた赤ちゃんは、しばらくすると落ち着いてきて、大きなげっぷをした。

「よかった、出たね。」
姉ちゃんはそのまま抱き続けて、しばらく歩いたり話しかけたりしていた。

 そのうち、
「あ、寝たかな?」
と言って、またそうっと赤ちゃんを居間のタオルの上に寝かせた。

「ふう、寝てくれた。一安心。」
姉ちゃんはため息をついた。

「真里姉ちゃん、早く帰るといいけどね。」

「そうね。・・・あ、哺乳瓶洗わないと。」

 姉ちゃんは空の哺乳瓶を台所に持っていった。俺も一緒に行って、哺乳瓶の消毒の準備する。そのまま何事もなく、赤ちゃんは夕方までぐっすり寝ていた。そろそろ夕飯時だけど、真里姉ちゃんはまだ帰らない。

「遅いね。携帯にかけてみようか?」
姉ちゃんは、母さんがメモしていた真里姉ちゃんの携帯の番号を探すと、電話をかけた。

「出ないなあ。どこに行ったんだろう。」

しばらく鳴らしていたら留守電になったようで、
「真里姉ちゃん、加奈子です。今、涼太君は寝ています。どこにいますか?連絡ください。」
と姉ちゃんが伝言を残して受話器を置いた。

「そもそも、何の用事で先に帰ったのか、私達聞いてないもんね。なんだったんだろう?涼太君を置いていくなんて、何だか気になるよね。」
そう言う姉ちゃんに、
「そうだね。」
と俺も同意した。

 デパートの屋上で見た真里姉ちゃんの姿が頭に浮かぶ・・・。



 

 結局夕飯の時間になっても、真里姉ちゃんは帰ってこなかった。電話もない。

 母さんはレストランの仕事だから、夕飯時はほとんど家にいない。基本的には、夕飯の支度をしておいてくれていて、俺達はそれを温めて食べているのだけど、今日はデパ地下のお惣菜だ。

「しかたない、先に食べよう。悟、手伝って。」

「うん。」

 俺と姉ちゃんは夕飯の支度をした。粉ミルクはやっぱり腹持ちがいいのか、赤ちゃんはまだ寝ている。

「さ、涼太君が寝てるうちに食べちゃおう!」
姉ちゃんが座った。

「そうだね、いただきます!」
俺も座って手を合わせた。

「いただきます。」
姉ちゃんも手を合わせると、二人で食べ始めた。



 

 もう九時になっていた。

 真里姉ちゃんは帰らない。

 夕飯を食べ終わる頃赤ちゃんがまた起きて、さっきのように世話をしたけど、しばらく寝てくれなくて、俺と姉ちゃんで交替であやした。

「ただいまあ!」

 母さんだ!俺と姉ちゃんは思わず顔を見合わせた。
 助かったぁ!

「母さんお帰り!大変だったんだよう。」
かけよる姉ちゃんに、母さんが驚いた顔で居間に現れた。

「あら、涼太君泣いてるじゃない。悟が抱いてるの?あれ?真里ちゃんトイレ?」

 かばんを置きながら言う母さんに、
「実はね……。」
と姉ちゃんが説明しだした。

 母さんはふんふんと最後まで聞くと時計を見た。

「もうこんな時間なのに、どこに行ってるのかしらね。連絡もないなんて。……何かあったのかしら。」
眉間にしわを寄せた母さんを見て、姉ちゃんが俺の顔をちらっと見て言った。

「それがね、私達、今日ちょっと真里姉ちゃんがデパートの屋上で一人でいるのを見たんだけど……。」
姉ちゃんは、真里姉ちゃんのうさぎの着ぐるみとのやりとりを母さんに話した。

「そう。そんなのを聞いたら余計心配ね。もう一度電話しましょう。」
母さんはまた真里姉ちゃんの携帯に電話をしたけど、留守電だった。

「もう少し待ってみようか。とりあえず、順番にお風呂に入りましょう。涼太君もお風呂まだでしょう?汗かいただろうし、入れてあげよう。」

 母さんはお風呂の準備をしだした。俺と姉ちゃんも手伝う。赤ちゃんの入浴は母さんがした。それを姉ちゃんと俺が少し手伝って、落ち着いた頃、順番にお風呂に入った。全員入ったけど、まだ真里姉ちゃんからの連絡はない。

 母さんは、伯父さんに連絡することにした。

「あ、兄さん?今いい?」
母さんが伯父さんに電話で説明している。

 赤ちゃんは、お風呂に入って水分補給したらさっぱりしたのか、寝ている。電話が済んで、母さんが来た。

「兄さん、出張先だからいますぐどうこうできないけど、とりあえず心当たりを探してみてまた連絡くれるって。」

「そう。」

真里姉ちゃん、どこまで行ったんだろう。

「でも、あんたたち、がんばったわね!大変だったでしょう?」
母さんが笑顔になった。俺と姉ちゃんは顔を見合わせて笑った。



 

 もう日付が変わろうとしていた。

 真里姉ちゃんは帰らない。

 連絡もないまま。

 ふと……俺は思い出した。

 そうだ、恵美さん!

 伯父さん知らないかな?デパートにいた時、真里姉ちゃんの携帯に電話をしてきた人。あの電話で真里姉ちゃんは先に帰ることにしたんだ。ちょうどそこへ電話が。

「真里姉ちゃんかな?」
俺は受話器をとった。伯父さんだった。

「伯父さん?どう?見つかった?」
受話器の向こうで伯父さんがため息をついたのがわかった。

「だめだった、手掛かりなし。その様子だと、真里は帰ってないようだね。」
伯父さんが答えた。

「ねえ、伯父さん。恵美さんって知らない?」

「恵美さん?……ああ。真里の大学の友達だ。」

 よかった!伯父さん知ってるみたいだ!俺は恵美さんから電話があった時のことを話した。

 伯父さんは、今日はもう夜中だし無理だけど、明日、家政婦さんに頼んで自宅の電話帳で恵美さんの連絡先を調べてもらうと言った。電話はそれで終わった。

 母さんは時計を見ると、
「加奈子と悟はもう寝なさい。母さんは涼太君を見ながらもう少しここにいるから。」
と言った。俺と姉ちゃんは、心配だったけど、どうすることもできないし、それぞれの部屋に戻った。

 真里姉ちゃん……どうしたんだよ。
 俺はベットで考えていたけど、知らない間に寝てしまった。

↓第5話

第1話:https://note.com/yukiejimusho/n/n34a45e1c80a4

第2話:https://note.com/yukiejimusho/n/nfbd75598fdd4

第3話:https://note.com/yukiejimusho/n/n7d8c3e84eee0

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