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「小学生最後の夏休み、俺はママになる」第3話(全7話)

 真里姉ちゃんがもどってきた。

「涼太、おっぱいにしようか。」

 ママに話しかけられて、またふえふえと泣き出した赤ちゃんを、真里姉ちゃんは優しく抱き上げた。そして、服の前を開け始めた。

「おっと、俺、あっちに行くね。」
見ちゃマズイよな。

 でも真里姉ちゃんは、くすっと笑うと、
「いいよ、ここにいても。」
と言った。

「え?」
俺はちょっと信じられない気持ちで聞き返した。

「うん、いいよ、ここにいて。」
真里姉ちゃんは笑いながら言って、おっぱいを出すと、赤ちゃんの口にふくませた。赤ちゃんが、小さな手を真里姉ちゃんの胸に添えるようにして、一生懸命飲み出した。

 ……あれ?なんだかあんまりエッチな感じじゃないな。女の人のおっぱい、間近で見ちゃったけど、思ったほどのドキドキはなくて、ちょっとオーバーかもしれないけど、神秘的な、それでいてあったかい気持ちになるような、そんな感じ。

 真里姉ちゃんは、少し微笑むような顔で、赤ちゃんの顔をじっと見ている。赤ちゃんがとても大事なんだって、見てるだけで俺にもわかった。母さんが、俺も母乳だって言ってたっけ。俺もこうして、母さんに見つめられながら一生懸命飲んでたのかな。

 寝る、泣く、おむつを替える、おっぱいをあげる、その繰り返しであっという間に時間は経っていった。真里姉ちゃん、大変だろうな。お父さんであるはずの彼がいないって、どんななんだろう?

「真里姉ちゃん。」

「なに?」

俺は思い切って聞いてみた。
「お父さんの彼は、今どうしてるの?」

真里姉ちゃんは、ちょっと困ったような顔をして、うつむきがちに笑って言った。
「わからないんだ。」

「どういうこと?」

「連絡取れないの。大学にも来なくなっちゃったみたいで。電話もつながらないし、一人暮らししていたアパートも、いつ行っても留守で。」

 台所にいた母さんが、話に入ってきた。
「向こうの親御さんは?」

 真里姉ちゃんは母さんの方を向くと、またうつむいた。
「父が、彼のご両親に連絡して会ったんです。でも、彼のご両親は、一人息子の彼が学生の身分でそんなことするはずがない、本当に息子の子供なのか、他の男の子供じゃないのかって……。」

「それで兄さんは?」

「……父はすごい剣幕で怒鳴って。娘のことを侮辱するなって。しまいには、こんな無責任なやつらのところに娘を嫁に出すものかって。」

 母さんはため息をついた。
「まあ、兄さんの気持ちはわかるわ。私もそう言ったかもしれないわね。」

「それで、向こうのご両親も、それはこっちのセリフだ!って。もう大変でした。それきり、ご両親とも、彼本人とも連絡は取れていません。」
真里姉ちゃんはうつむいたままだ。

「そんな状況で、よく産もうと思ったわね。」
母さんが言った。

 真里姉ちゃんは、しばらく黙っていたけど、顔を上げて母さんを見て言った。
「赤ちゃんができたのは、彼だけの責任ではありません。私の責任でもあります。私は、母親になったんです。自分でしたことの結果です。もちろん、自信なんてありませんでした。今もありません。でも、赤ちゃんを殺すことはできませんでした。」

 母さんは黙って真里姉ちゃんを見た。

「私が決めたことが、正解かどうかはわかりません。でも、私はもう涼太のママです。
……がんばらなきゃって思ってます。叔母さんにご迷惑かけることになってしまいましたけど。」

 廊下で音がした。

「えっと、おばさん。今日は勉強終わりにします。」
シゲ兄ちゃんと姉ちゃんが、居間に顔を出した。ちょっときまり悪そうに。

 たぶん、少し前から廊下にいて、話の内容から居間に入りにくくて廊下で困っていたんだと思う。

「あら、もうそんな時間?早いわね。シゲちゃん、夕飯も食べていく?」
母さんがエプロンに腕を通した。

「いえ、嬉しいですけど今日はもう失礼します。お昼もご馳走になったし。」
シゲ兄ちゃんが胸の前で手を合わせた。

「あらそう?じゃあまたね。ありがとう、お疲れ様。やす子によろしくね。」

「はい!」
玄関に向かうシゲ兄ちゃんを、姉ちゃんが送った。

 夕食は、おいしかったけど、なんだか会話がはずまなかった。みんな何を話したらいいのか、よくわからなかったのかもしれない。




次の日の朝、俺が目を覚ますと、もうみんな起きていて、朝食の準備ができていた。

 真里姉ちゃんは、赤ちゃんを抱いたまま、少し眠そうだった。きっと昨夜も二時間おきに赤ちゃんの世話をして、あまり寝ていないのだろう。

「あ、悟。おはよう。」
母さんが俺に気づいて言った。

「おはよう。」

姉ちゃんと真里姉ちゃんも。
「おはよう。」

 母さんはパタパタと忙しそうに、エプロンで軽く手を拭きながら言った。
「母さん、さすがに今日は休めないから、仕事行ってくるわ。なるべく早く帰るようにするけど、よろしくね。」

「わかった。」

 姉ちゃんが俺を見て言った。
「あのね、悟。私、昨夜勉強しててわからないところがあって、シゲ兄ちゃんに教えてもらいたかったんだけど、シゲ兄ちゃん、今日は来れないんだって。」

「うん。」

「でね、出先で良ければちょっとなら勉強見てくれるって言うの。」

「ふうん。」

「それが駅前のデパートなんだけど、私いない間大丈夫?」

 俺はちょっと考えた。真里姉ちゃんと赤ちゃんと俺だけか……。

 すると真里姉ちゃんが言った。
「私も一緒に行ってもいい?気分転換に。涼太のお散歩兼ねて。」

「え?そうする?私は真里姉ちゃんがいいならいいよ。ただ、勉強見てもらうだけだから、つまらないかもしれないけど。」

真里姉ちゃんが言った。
「ちょっと出たいの。お勉強の間は、じゃまにならないように他をまわってるから。」

 それを聞くと、姉ちゃんは少し安心したみたいだった。

「お、それなら!」
母さんがポンと手をたたいた。

「悟も一緒に行って、デパ地下のお惣菜買ってきてよ。」

「いいよ。特に用もないし。」

「じゃあ、買ってほしいものメモするね。」

母さんはそう言うと、
「いらない紙、いらない紙。」
と言いながら、メモする紙を探した。

 俺は朝食をとろうと席に着いた。俺以外は食べ終わっているらしかった。
「いただきます!」
今日はデパートか。デパートも久しぶりだな。



 

 母さんが仕事に行って、出かける準備をすると、俺達三人は家を出た。

 真里姉ちゃんはベビーカーを押している。また大きな荷物だったので、俺が荷物持ちになった。ま、これくらいは手伝えるさ、俺だって。

「でも、なんでデパート?」
俺が聞くと、姉ちゃんが言った。

「あんまり詳しいことは教えてくれないんだけど、どうもシゲ兄ちゃん、デパートでバイトしてるみたい。その休憩時間でちょっとだけ見てくれるって。」

「ふうん。」

 今日もいい天気で暑い。姉ちゃんも真里姉ちゃんも、つばの広い帽子をかぶっている。ベビーカーの日よけもバッチリだ。家を出て来る時におっぱいを飲んで、赤ちゃんはすやすやと寝ている。

「タクシーじゃなくてよかったの?」
と聞くと、
「うん、歩きたかったから。」
と、真里姉ちゃんが笑った。

 今朝の真里姉ちゃんの眠そうな顔を思い出して、ちょっと心配になった。

 デパートの中は冷房が効いていた。最近はエコってやつなのか、設定温度を控えめにしているみたいで、冷えすぎで寒いことはあまりなくなった。

「さてと。まだ待ち合わせの時間までちょっとあるんだけど、真里姉ちゃん、行きたいところある?」
姉ちゃんが真里姉ちゃんに聞いた。

「うーん、そうね……。特にないけど?」

「じゃあ、私、靴見たいんだけど、つきあってくれる?」

「うん、いいよ。」

 うーん……女の買い物に付き合うのは苦手なんだよな。まあ、俺は荷物持ちだし、行くしかないか。

 姉ちゃんのお目当ての店に着いた。結構若い人で混んでいる。

「どれにしようかなあ。」
姉ちゃんは楽しそうだ。真里姉ちゃんを見ると、結構楽しそう。もしかしたら、靴屋さんを見るのは久しぶりなのかな?

 しばらく靴を見ているうちに、赤ちゃんが目を覚ましてぐずりだした。

「よしよし、涼太。デパートだよ。」
真里姉ちゃんがベビーカーを押したり引いたりであやしている。でもなかなか泣き止まない。店のお客さん達がチラチラと見る。真里姉ちゃんは困った顔をしてあやしていたが、泣き止まないので、あきらめたみたいに俺達に言った。

「加奈ちゃん、悟君、ごめんね、ちょっと屋上のプレイランドで涼太の相手してていいかな?」

このデパートの屋上には、小さな子供の遊び場がある。赤ちゃんが遊べそうな遊具はないけど、あそこなら多少大きい声で泣いても、誰も気にしないかもしれない。

「じゃあ、俺も一緒に行くよ。」
俺はそう言ったんだけど。

「大丈夫、私だけで。買い物済んだら屋上に来てね。」
と真里姉ちゃんは言った。

 ええっ?姉ちゃんと俺の二人っきり?それはいやだな、誰か友達に見られたらからかわれるぜ。

「いや、俺も行くよ。」
と一緒に行こうとした俺を、姉ちゃんが引きとめた。

「悟はここにいてよ。」

「えっ?なんでだよ?」

 聞き返す俺を無視して姉ちゃんは、
「じゃあ真里姉ちゃん、またあとでね。」
と真里姉ちゃんに手を振った。

 真里姉ちゃんはうなずいて、エレベーターホールの方へベビーカーを押していった。

「姉ちゃん、なんでだよ?」
改めて聞いた俺に、
「真里姉ちゃん、一人でいたいのかと思ったから。」
と姉ちゃんは答えた。

「そうか?」
俺はわからなかったけど。

「なんとなくそう感じたのよ。いいじゃない、少しだからつきあってよ。」
と姉ちゃんが言った。しかたないか。

↓第4話

第1話:https://note.com/yukiejimusho/n/n34a45e1c80a4

第2話:https://note.com/yukiejimusho/n/nfbd75598fdd4

第3話:https://note.com/yukiejimusho/n/n7d8c3e84eee0

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