「小学生最後の夏休み、俺はママになる」第2話(全7話)
手を洗ったら、赤ちゃんをだっこさせられてしまった。どう抱いていいのかわからないでとまどう俺に、真里姉ちゃんが優しく教えてくれた。
「まだ首がすわってないから、頭を支えてやってね。」
「首?すわる?」
「うん、まだ首がしっかりしてなくて、自力で自分の頭を支えられないの。」
「へえ。」
「だからね、こうやって頭を支えて、もう片方の手でお尻を支えてあげてね。」
「うん。……こう?」
「そうそう、うまいうまい!」
真里姉ちゃんが笑顔になった。笑顔を見ると、ほっとする。
赤ちゃんは、ふんわりしていた。こんなにやわらかいんだ……。
しばらくたつと、ちょっと重くなってきた。左右の腕を反対にして、こんどは右手で頭を支えようか。そう思って抱きなおしたら。
「ふえ~~~~ん!」
うわっ、泣き出しちゃったよ、どうしよう?俺はあわてて赤ちゃんを真里姉ちゃんに返した。真里姉ちゃんは笑いながら赤ちゃんを抱いて言った。
「ありがとう。少し抱いてくれて、助かった。私、腱鞘炎になっちゃってて、手首痛いの。」
「けんしょうえん?怪我したの?」
手首を見つめる俺に、真里姉ちゃんが笑った。
「涼太を毎日抱いてるでしょ?首を支えたり、おっぱいあげたりしてると、意外と手首に力がかかってるみたいで、痛くなっちゃって。病院に行ったら腱鞘炎だって。」
「大丈夫なの?」
「安静にしないといけないって言われたんだけど、涼太の世話してたら安静になんてしてられないからね。ちっともよくならなくて、普段は湿布して、どうしようもなくなると、病院で痛み止めの注射を打ってもらってる。でも、母乳あげてること考えると、注射もあんまりよくない気がして、結局痛みを我慢してるのが多いかな。」
真里姉ちゃんと俺の会話を聞いてた母さんが、そうそう、と言うような顔で言った。
「母乳あげてる最中って、ママが具合悪いときに薬が飲めなくてつらいわよね。」
真里姉ちゃんもうなずいた。
「はい。薬の成分がおっぱいに出て、涼太が飲んだら悪い影響があるんじゃないかと思うと、痛み止めも風邪薬も飲めなくて、我慢するしかなくて。」
ふーん。ママってたくさん我慢してるんだな。
ずっと聞いていたシゲ兄ちゃんが言った。
「なら、俺がいる時は遠慮なく言ってよ。いくらでも抱いてるよ!」
真里姉ちゃんが笑って言った。
「ありがとう。でも重人さんは、加奈ちゃんの先生をするのがお仕事だから。」
そう言われて、シゲ兄ちゃんがちょっとドキッとしたように黙った。
……ははーん、さては「重人さん」に反応したか?って、俺、結構スルドイ?
ちらっと姉ちゃんを見ると、案の定おもしろくない顔をしている。へへ、俺的には、カナリおもしろくなってきましたな。
ちょっと遅めの昼食になった。母さんが準備してくれるのを、姉ちゃんと俺が手伝った。その間、シゲ兄ちゃんが、赤ちゃんを抱きながら真里姉ちゃんと話している。
「へえ、じゃあ真里さんは、教師になりたかったの?」
「うん、でも今休学中で、単位取り切れていないし。……もしこの先チャンスがあれば、資格取りたいと思うけど。」
「えらいな、目標がしっかりしててさ。俺なんて全然だめ。大学は入ったけど、自分がどんな仕事したいんだかいまだに見えてこないし、就職活動もそろそろ準備始める時期だけど気合が入らなくて、おふくろに怒られっぱなし。」
シゲ兄ちゃんははしゃいでいる。姉ちゃんは、チラチラと二人をうかがっている。
「さ、食べましょう!」
姉ちゃんの気持ちに、母さんは気づいているんだか気づいていないんだか、楽しそうにテーブルにお皿を並べた。みんなが席に着く。
「はい!いただきます!」
「いただきます!」
赤ちゃんは、テーブルから見える居間のバスタオルの上に寝かせている。
「俺までごちそうになってすみません。」
シゲ兄ちゃんが言う。
「いいのよ、加奈子をよろしくね。」
母さんが言った。
「はい、がんばります!がんばろうぜ、加奈ちゃん!」
シゲ兄ちゃんが、隣に座っている姉ちゃんの肩をたたいた。
姉ちゃんは、
「う、うん。」
と口をモゴモゴさせた。
食べ始めて、五分経ったかどうかという頃、赤ちゃんが泣き出した。
真里姉ちゃんが食べ途中の箸を置くと、
「すみません。」
と言って立ち上がり、赤ちゃんの方へ行った。
おむつが汚れていないかチェックをしている。どうやらおむつじゃなさそうだ。おっぱいもあげたばかりだし。真里姉ちゃんは、赤ちゃんを抱き上げた。
「涼太、どうしたの?よしよし。」
お尻をポンポンと優しくリズミカルにたたきながら赤ちゃんをあやしている。
赤ちゃんが泣き止んだので、真里姉ちゃんはまたバスタオルの上に寝かせようとした。すると赤ちゃんはまた泣き出した。
「みんなで食べてて、ひとりで寝てるから不安なのかもね。」
母さんが言った。
「そうかもしれませんね。」
真里姉ちゃんが困った顔をした。
「いいわよ、食事の間だけは涼太君に我慢して待っててもらいなさいよ。真里ちゃん食べてしまったら?」
真里姉ちゃんは少し考えたが、
「はい、そうですね。」
と言って席に戻ると、また食べ始めた。
赤ちゃんは泣き続けている。……ずうっと泣いている。真里姉ちゃんは急いで食べていたけど、泣き声にたまらなくなったようで、
「ごめんなさい、ごちそうさま。」
と途中で箸をおいて、赤ちゃんのところへ行こうとした。
「真里ちゃん、いいよ、最後まで食べなさい。」
行こうとした真里姉ちゃんを母さんがとめた。かわりに母さんが立ち上がり、赤ちゃんのところへ行くと、よいしょと抱き上げた。
「叔母さんがママの代わりにだっこしてあげるからね。ママにはゆっくり食べさせてあげてね。ママがちゃんと食べないと、涼太君の大好きなおっぱいが出なくなっちゃうからね。わかるかな?」
母さんが赤ちゃんに話しかけながらあやし始めた。
「ありがとう、叔母さん。」
真里姉ちゃんは、椅子に座り直すと残りを食べ始めた。
「よしよし。」
母さんにあやされて、赤ちゃんは泣き止んだ。
「よっし!ごちそうさま。」
こんどはシゲ兄ちゃんが立ち上がって赤ちゃんのところへ行った。
「おばさん、代わりますよ。俺、食べ終わりましたから。おばさん戻って食べてください。」
「あら、そう?ありがとう。じゃあよろしくね。」
「はい。」
こんどはシゲ兄ちゃんがあやし始めた。
だけど。
シゲ兄ちゃんではだめらしい。赤ちゃんがまた泣き出した。
「えええ?なんでだよう。涼太君、俺じゃだめかい?うーん、抱き方が悪いのかなあ?」
シゲ兄ちゃんなりに工夫しているがだめらしい。
「重人さん、ありがとう。私も食べ終わりました。代わります。」
真里姉ちゃんが立ち上がって、赤ちゃんを受け取った。途端に赤ちゃんは泣き止んだ。
「やっぱりママがいいんだねえ。シゲ兄ちゃんじゃだめなんだよ。」
姉ちゃんがクスクスと笑って言った。
「悔しいなあ、何がだめなんだろう?こりゃ、研究しないとだめだな。」
シゲ兄ちゃんが腕組みをした。
ふと、俺は真里姉ちゃんに聞いた。
「真里姉ちゃん、普段は食事どうしてるの?今みたいに泣かれたりする?」
真里姉ちゃんは笑いながら答えた。
「うん、ひとりで寝かせると泣くんだよね。しかたないから、抱きながら食べたりしてる。なかなか食事できない時がよくあるわ。」
「そっか。大変だね。」
出来立ての温かい食事を、ゆっくり座って味わいながら食べると言うのができないんだ。……ママは大変だな、本当に。母さんも同じだったんだろうか。そうやって俺と姉ちゃんを育ててくれたんだろうか。食べるのが大好きで、レストランの店長までしてる母さんが、ゆっくり食事を楽しめないと言うことは、どれだけつらかっただろう?
昼食が済んで、テーブルと流しを片付けると、
「じゃ、俺と加奈ちゃんは失礼して勉強してきます。」
と言って、シゲ兄ちゃんは姉ちゃんと一緒に、二階の勉強部屋へ上がって行った。
母さんは、食後のお茶を入れて、新聞を広げて読み始めた。真里姉ちゃんは、赤ちゃんのおむつをチェックしている。俺は赤ちゃんのそばへ行った。
「おむつ、替えるの?」
俺は赤ちゃんをのぞきこんで聞いた。
「うん、替える。」
「どうやるのか教えて。」
おむつを見てみようと思った。
「おむつはね、私は紙おむつを使ってるの。布おむつを使う人もいるけど、後の洗濯とか後始末を考えると、精神的に余裕の持てる方がいいかなと思って。」
「紙おむつは捨てるだけ?」
「うんちはトイレに流して、おむつだけを小さく丸めて捨てるの。」
「そっか。」
真里姉ちゃんは、赤ちゃんの白い肌着の裾をあけた。小さな小さな、ぷっくりと肉付きのいい足が出てきた。
「足だけをそろえて上に持ち上げると、脱臼しちゃうんだって。だから優しく押さえるくらいで。お尻の方から持ち上げるように。」
「うん。」
おむつをあけると黄色い液状のものがあらわれた。
「え?これうんち?」
「そうよ。」
「ゆるゆるだよ!下痢してるの?」
真里姉ちゃんが笑った。
「母乳だけだと、ゆるゆるの黄色いうんちになるんだって。心配ないのよ。緑になることもあるけど、真っ黒とか真っ白とか赤いのじゃなければ大丈夫。」
「へえ。臭くないね。」
「そうでしょ?大人みたいに食事ができるようになると臭くなるんだって。」
「そうなんだあ。」
真里姉ちゃんは、ささっとお尻を拭くと、新しいおむつに替えて、肌着をきれいに整えた。
そしてトイレへ。
赤ちゃんはうんちも俺達と違うのか。まあおっぱいしか飲んでないんだもんな、あたりまえか。
↓第3話
第1話:https://note.com/yukiejimusho/n/n34a45e1c80a4
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