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一人っ子論の歴史(5)~なぜバッシングされてきたのか

▼今回の記事のハイライト▼

一人っ子否定論も戦火の中を生きながらえた思想のひとつ
母乳を使わなかったという「異常性」も、一人っ子を悪い子供にする原因の一つとして、医師によって公然と語られるようになった。

この記事は連載企画「一人っ子論の歴史~なぜバッシングされてきたのか」の第5回です。


▼第1回、第8回無料公開しました▼

前回の記事では、1930年代において、1920 年代に出始めた一人っ子否定論が「教育相談」を媒介に複製を繰り返されて拡散した様子と、戦争末期の1940年代の状況について触れた。

今回の記事では、太平洋戦争敗戦後、1940年代後半から1950年代の日本における一人っ子論の様子について見ていきたい。

●敗戦直後の時代背景

私の祖母は、日本が戦争に負けたと知った時、「もうこれで死なずに済む」と思ったそうである。
その後も抑留や引き揚げによって辛い思いをした人々はいたのだが、自分の命が戦争によって奪われることはないと知ったことが、生への希望につながったことは確かだ。

それは世の母親たちにとってもそうだった。
1946 年から 47 年にかけて、戦争中に出産を控えていた人々が一斉に妊娠・出産したことからベビーブームが始まった。
この頃産まれた子どもたちが、現在「団塊の世代」といわれるところの人々である。

彼らを育てた家族は、家庭教育に熱を入れ子どものために尽くすのが親の務めだと考えていた。
1950 年代半ばには、都市部の新中間層の母親に「心理学ママ」や「心理ママ」、つまり心理学に基づき、やさしく賢い母親になろうという動きが産まれた。

一方、ベビーブームは社会にとって脅威でもあった。
なぜなら、戦前から課題となっていた人口超過がとまらず、更に貧困が拍車をかけていたからである。
1948 年に優生保護法が施行され、合法的に人工妊娠中絶が行われるようになったことで、子供の数を人工的に調整できるようにもなった。

しかし、現在の日本でもそうであるように、人工妊娠中絶への抵抗感、処置を行う女性への批判や性モラルの低下バッシングなど、中絶に限らず意図的に子どもを産まないこと、子供の数を調節することへの抵抗感、つまり子産みにおいて「自然の摂理に逆らう」ことは問題視されがちである。

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